文子 / 微明
老子曰:人以義愛,黨以群強,是故德之所施者博,則威之所行者遠,義之所加者薄,則武之所制者小。
新字:老子曰:人以義愛,党以群強,是故徳之所施者博,則威之所行者遠,義之所加者薄,則武之所制者小。
書き下し
老子曰く、人は義を以て愛し、党は群を以て強し。是の故に徳の施す所博ければ、則ち威の行わるる所遠く、義の加うる所薄ければ、則ち武の制する所小なり。
現代語訳
老子は言った。人は義によって慕い合い、仲間は集団によって強くなる。だから徳を施す範囲が広ければ威の行き渡る範囲も遠く、義を加える範囲が薄ければ武力で制することのできる範囲も小さい。
解説
短い一文ですが、権威の及ぶ範囲を決めるものは何か、を明快に述べています。「徳の施す所博ければ、則ち威の行わるる所遠く」。威は力で広がるのではなく、徳の広さに比例するという主張です。義が薄いまま武力で押さえても、制することのできる範囲は小さい、と言います。組織の影響力を、権限や人員の大きさで測りがちな経営者にとって、自分の徳の及ぶ範囲を測り直す機会になります。顧客や取引先に対しても、同じ物差しで考えられます。
この章句が説くこと
徳の施す所博ければ則ち威の行わるる所遠く義の加うる所薄ければ徳威義
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