文子 / 微明
老子曰:道無正而可以為正,譬若山林而可以為材,材不及山林,山林不及雲雨,雲雨不及陰陽,陰陽不及和,和不及道。道者,“所謂無狀之狀,無物之象也”,無達其意,天地之間,可陶冶而變化也。
新字:老子曰:道無正而可以為正,譬若山林而可以為材,材不及山林,山林不及雲雨,雲雨不及陰陽,陰陽不及和,和不及道。道者,“所謂無状之状,無物之象也”,無達其意,天地之間,可陶冶而変化也。
書き下し
老子曰く、道は正無くして以て正と為すべし。譬えば山林の以て材と為すべきが若し。材は山林に及ばず、山林は雲雨に及ばず、雲雨は陰陽に及ばず、陰陽は和に及ばず、和は道に及ばず。道は、「所謂無状の状、無物の象」なり。其の意に達する無ければ、天地の間、陶冶して変化すべきなり。
現代語訳
老子は言った。道は決まった形がないからこそ、あらゆるものの基準となる。たとえば山林が材木を生み出すようなものだ。材木は山林に及ばず、山林は雲や雨に及ばず、雲や雨は陰陽に及ばず、陰陽は調和に及ばず、調和は道に及ばない。道とは『いわゆる形のない形、物のない象』である。その意に通じることがなければ、天地の間を陶冶して変化させることはできる。
解説
材木、山林、雲雨、陰陽、和、道と、ひとつずつ上流へさかのぼる段です。材木は山林から、山林は雲や雨から生まれる。その源に「和」を置き、さらにその先に道を置くのが特徴です。「無状の状、無物の象」は『老子』第十四章の言葉で、形がないものが形を生む、という見方です。仕事でも、成果物を見るだけでは足りず、それを生んだ上流の条件、たとえば人間関係や場の空気まで遡ってみる習慣が、ここから学べます。末尾の一文は原文のまま訳しにくいところです。
この章句が説くこと
道は正無くして以て正と為すべし陰陽は和に及ばず山林の以て材と為すべき道和源流
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