文子 / 上德
山有猛獸,林木為之不斬,園有螫蟲,葵藿為之不採,國有賢臣,折衝千里,通於道者若車之轉於轂中,不運於己,與之致於千里,終而復始,轉無窮之原也。故舉枉與直,何如不得,舉直與枉,勿與遂往。有鳥將來,張羅而待之,得鳥者羅之一目,今為一目之羅,則無時得鳥,故事或不可前規,物或不可預慮,故聖人畜道待時也。故欲致魚者先通谷,欲來鳥者先樹木,水積而魚聚,木茂而鳥集,為魚得者,非挈而入淵也,為猿得者,非負而上木也,縱之所利而已。足所踐者淺,然待所不踐而後能行,心所知者遍,然待所不知而後能明。川竭而谷虛,丘夷而淵塞,脣亡而齒寒,河水深而壤在山。水靜則清,清則平,平則易,易則見物之形,形不可併,故可以為正。
新字:山有猛獣,林木為之不斬,園有螫虫,葵藿為之不採,国有賢臣,折衝千里,通於道者若車之転於轂中,不運於己,与之致於千里,終而復始,転無窮之原也。故舉枉与直,何如不得,舉直与枉,勿与遂往。有鳥将来,張羅而待之,得鳥者羅之一目,今為一目之羅,則無時得鳥,故事或不可前規,物或不可預慮,故聖人畜道待時也。故欲致魚者先通谷,欲来鳥者先樹木,水積而魚聚,木茂而鳥集,為魚得者,非挈而入淵也,為猿得者,非負而上木也,縦之所利而已。足所践者浅,然待所不践而後能行,心所知者遍,然待所不知而後能明。川竭而谷虚,丘夷而淵塞,脣亡而歯寒,河水深而壤在山。水静則清,清則平,平則易,易則見物之形,形不可併,故可以為正。
書き下し
山に猛獣有れば、林木之が為に斬られず、園に螫虫有れば、葵藿之が為に採られず、国に賢臣有れば、衝を折くこと千里なり。道に通ずる者は、車の轂中に転ずるが若し、己に運らさずして、之と与に千里に致り、終わりて復た始まり、転ずること無窮の原なり。故に枉を挙げて直に与えるは、何如ぞ得ざらん、直を挙げて枉に与うれば、与に遂げ往く勿れ。鳥の将に来らんとする有れば、羅を張りて之を待つ、鳥を得る者は羅の一目なり。今一目の羅を為らば、則ち鳥を得る時無し。故に事は或いは前に規す可からず、物は或いは預め慮る可からず。故に聖人は道を畜えて時を待つ。故に魚を致さんと欲する者は先に谷を通じ、鳥を来さんと欲する者は先に木を樹う。水積もれば魚聚まり、木茂れば鳥集まる。魚の為に得る者は、挈げて淵に入るるに非ず、猿の為に得る者は、負いて木に上らしむるに非ず、其の利する所に縦すのみ。足の践む所は浅く、然れども践まざる所を待ちて後に能く行く。心の知る所は遍く、然れども知らざる所を待ちて後に能く明らかなり。川竭きて谷虚しく、丘夷らぎて淵塞がり、唇亡びて歯寒く、河水深くして壌は山に在り。水静かなれば則ち清く、清ければ則ち平らかに、平らかなれば則ち易く、易ければ則ち物の形を見る。形は併す可からず、故に以て正と為す可し。
現代語訳
山に猛獣がいれば、林の木は切られず、園に毒のある虫がいれば、葵や藿は摘まれない。国に賢臣がいれば、千里先の攻撃も防ぐ。道に通じる者は、車輪の中心の軸に転がるようなもので、自分は動かず、車輪とともに千里に至り、終わってはまた始まり、尽きない原野に転じる。だから曲がった者を挙げて真っ直ぐな者に添わせれば、うまくいかないことはないが、真っ直ぐな者を挙げて曲がった者に添わせれば、共に遂げていってはならない。鳥が来ようとするとき、網を張って待つが、鳥を捕る網は一つの目にすぎない。いま一目だけの網を作れば、鳥は決して捕れない。だから物事は前もって計画しきれず、事柄は前もって思い量れない。だから聖人は道を蓄えて時を待つ。魚を呼びたい者は先に谷に水を通し、鳥を来させたい者は先に木を植える。水がたまれば魚が集まり、木が茂れば鳥が集まる。魚のために得る者は、魚をつまんで淵に入れるのではなく、猿のために得る者は、猿を背負って木に上らせるのではなく、その利とするところに任せるだけである。足が踏むところは小さいが、踏まないところが残って初めて歩ける。心が知るところは広いが、知らないところが残って初めて明らかになる。川が涸れれば谷は空になり、丘が崩れれば淵は塞がり、唇が亡べば歯が寒く、河の水が深くなれば土は山に残る。水が静かなら清く、清ければ平らになり、平らなら見通しがきき、見通せれば物の形が見える。形は混ぜ合わせられないから、正しく測れる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
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論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
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孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳・蔡の間に戹するは、上下の交はり無ければなり。」
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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