文子 / 上德
老子曰:道以無為有體,視之不見其形,聽之不聞其聲,謂之幽冥。幽冥者,所以論道,而非道也。夫道者,內視而自反,故人不小學,不大迷,不小惠,不大愚。莫鑒於流潦,而鑒於止水,以其保之,止而不外蕩。月望日奪光,陰不可以承陽,日出星可見,不能與之爭光,末不可以強於本,枝不可以大於幹,上重下輕,其覆必易。一淵不兩蛟,一雌不二雄,一即定,兩即爭。玉在山而草木潤,珠生淵而岸不枯,蚯蚓無筋骨之強,爪牙之利,上食咘堁,下飲黃泉,用心一也。清之為明,杯水可見眸子,濁之為害,河水不見太山,蘭芷不為莫服而不芳,舟浮江海不為莫乘而沉,君子行道不為莫知而止,性之有也。以清入濁必困辱,以濁入清必覆傾,天二氣即成虹,地二氣即泄藏,人二氣即生病,陰陽不能常,且冬且夏,月不知晝,日不知夜。川廣者魚大,山高者木脩,地廣者德厚,故魚不可以無餌釣,獸不可以空器召。
新字:老子曰:道以無為有体,視之不見其形,聴之不聞其声,謂之幽冥。幽冥者,所以論道,而非道也。夫道者,内視而自反,故人不小学,不大迷,不小恵,不大愚。莫鑒於流潦,而鑒於止水,以其保之,止而不外蕩。月望日奪光,陰不可以承陽,日出星可見,不能与之争光,末不可以強於本,枝不可以大於幹,上重下軽,其覆必易。一淵不両蛟,一雌不二雄,一即定,両即争。玉在山而草木潤,珠生淵而岸不枯,蚯蚓無筋骨之強,爪牙之利,上食咘堁,下飲黄泉,用心一也。清之為明,杯水可見眸子,濁之為害,河水不見太山,蘭芷不為莫服而不芳,舟浮江海不為莫乗而沈,君子行道不為莫知而止,性之有也。以清入濁必困辱,以濁入清必覆傾,天二気即成虹,地二気即泄蔵,人二気即生病,陰陽不能常,且冬且夏,月不知昼,日不知夜。川広者魚大,山高者木脩,地広者徳厚,故魚不可以無餌釣,獣不可以空器召。
書き下し
老子曰く、道は無為を以て体有り。之を視れども其の形を見ず、之を聴けども其の声を聞かず、之を幽冥と謂う。幽冥とは、道を論ずる所以にして、道に非ざるなり。夫れ道とは、内に視て自ら反る。故に人は小学ばざれば大迷わず、小恵まざれば大愚ならず。流潦に鑑する莫く、止水に鑑す。其の保つを以てなり、止まりて外に蕩かず。月望にして日光を奪われ、陰は以て陽を承く可からず。日出でて星見ゆる可く、之と光を争う能わず。末は以て本より強かる可からず、枝は以て幹より大なる可からず。上重く下軽ければ、其の覆ること必ず易し。一淵に両蛟あらず、一雌に二雄あらず。一なれば即ち定まり、両なれば即ち争う。玉は山に在りて草木潤い、珠は淵に生じて岸枯れず。蚯蚓は筋骨の強、爪牙の利無けれども、上は咘堁を食い、下は黄泉を飲む。心を用うること一なればなり。清きの明らかなるは、杯水にても眸子を見る可く、濁れるの害は、河水にても太山を見ず。蘭芷は莫服を為さずして芳しからざらず、舟は江海に浮かび莫乗を為さずして沈まず、君子は道を行いて莫知を為さずして止まず。性の有るなり。清を以て濁に入れば必ず困辱し、濁を以て清に入れば必ず覆傾す。天二気なれば即ち虹を成し、地二気なれば即ち泄れ蔵し、人二気なれば即ち病を生ず。陰陽は常なる能わず、且つ冬し且つ夏し、月は昼を知らず、日は夜を知らず。川広き者は魚大に、山高き者は木修く、地広き者は徳厚し。故に魚は餌無くして釣る可からず、獣は空器にして召す可からず。
現代語訳
老子は言った。道は無為であって、体をもつ。これを見ても形が見えず、これを聴いても声が聞こえない。これを幽冥という。幽冥とは、道を論じるための言葉であって、道そのものではない。そもそも道とは、内に向けて見て自らに立ち返るものである。だから人は小さな学びを欠かさなければ大きな迷いに陥らず、小さな恵みを欠かさなければ大きな愚かさに陥らない。流れる水たまりには姿を映さず、止まった水に映す。それは止まって外に揺れないからである。満月は日の光に奪われ、陰は陽を受けるものとして陽に並べない。日が出れば星は見えるが、日と光を争えない。末は本より強くあってはならず、枝は幹より大きくあってはならない。上が重く下が軽ければ、倒れるのは容易である。一つの淵に二匹の蛟はおらず、一羽の雌に二羽の雄はいない。一であれば定まり、二であれば争う。玉が山にあれば草木は潤い、珠が淵に生まれれば岸は枯れない。蚯蚓は筋骨の強さも爪牙の鋭さもないが、上は土を食い、下は黄泉の水を飲む。心の用い方が一つだからである。清いものの明るさは、一杯の水でも瞳が映せるが、濁りの害は、河の水でも泰山さえ映さない。蘭や芷は誰も服につけないからといって香らなくなりはしないし、舟は江海に浮かび誰も乗らないからといって沈みはしないし、君子は道を行い誰も知らないからといってやめはしない。それが本性だからである。清いものが濁に入れば必ず苦しみ辱められ、濁ったものが清に入れば必ず傾き覆る。天に二つの気があれば虹となり、地に二つの気があれば漏れ隠れ、人に二つの気があれば病が生まれる。陰陽は常に一つではなく、冬があり夏がある。月は昼を知らず、日は夜を知らない。川が広ければ魚は大きく、山が高ければ木は伸び、地が広ければ徳は厚い。だから魚は餌なしでは釣れず、獣は空の器では呼べない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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文子・道原老子曰く、「物有りて混成し、天地に先んじて生ず。惟れ象ありて形無く、窈窈冥冥、寂寥淡漠、其の声を聞かず。吾強いて之が名を為し、字して之を道と曰う」と。夫れ道なる者は、高きこと極む可からず、深きこと測る可からず、天地を苞裹し、無形を稟受す。原流は泏泏として、沖にして盈たず、濁るも以て之を静むれば徐ろに清む。之を施せば窮まり無く、朝夕する所無し。之を卷けば一握にも盈たず、約にして能く張り、幽にして能く明らかに、柔にして能く剛なり。陰を含み陽を吐きて、三光を章らかにす。山は之を以て高く、淵は之を以て深く、獣は之を以て走り、鳥は之を以て飛び、麟は之を以て遊び、鳳は之を以て翔び、星曆は之を以て行る。亡を以て存を取り、卑を以て尊を取り、退を以て先を取る。古者の三皇は、道の統を得て、中央に立ち、神は化と遊び、以て四方を撫す。是の故に能く天は運り地は墆まり、輪転して廃る無く、水流れて止まず、物と終始す。風興り雲蒸し、雷声あり雨降り、並び応じて窮まり無し。已に雕り已に琢きて、還りて樸に復る。無為にして之を為せば生死に合し、無為にして之を言えば徳に通じ、恬愉にして矜る無ければ和を得、万の同じからざる有りて生に便なり。
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文子・微明老子曰く、道は以て弱なるべく、以て強なるべく、以て柔なるべく、以て剛なるべく、以て陰なるべく、以て陽なるべく、以て幽なるべく、以て明なるべく、以て天地を苞裹すべく、以て無方に応待すべし。之を知ること浅ければ之を深く知らず、之を外に知れば之を内に知らず、之を麤に知れば之を精に知らず。之を知るは乃ち知らざるなり、知らざるは乃ち之を知るなり。孰か知らん、知るを之れ知らずと為し、知らざるを之れ知ると為すを。夫れ道は聞くべからず、聞けば非なり。道は見るべからず、見れば非なり。道は言うべからず、言えば非なり。孰か形の形ならざるものを知らんや。故に「天下皆善の善たるを知る、斯れ不善なり。知る者は言わず、言う者は知らず」と。
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文子・自然自ら奉ぜざる故に富み、自ら見さざる故に明らかに、自ら矜らざる故に長じ、不肖の地に処る故に天下の王と為る。争わざる故に能く之と争う莫し。終に大と為らざる故に能く其の大を成す。江海は道に近し、故に能く長久にして、天地と与に相い保つ。公正にして道を修むれば、即ち功成りて有せず、有せざれば即ち強固にして、強固にして以て人に暴ならず。道深ければ即ち徳深く、徳深ければ即ち功名遂に成る。此れを玄徳深し、遠しと謂う。其の物と反するや。天下に始め有るも、其の理を知る莫し。唯だ聖人のみ能く所以を知る。雄に非ず雌に非ず、牝に非ず牡に非ず、生じて死せず、天地以て成り、陰陽以て形われ、万物以て生ず。故に陰と陽とは、円有り方有り、短有り長有り、存有り亡有り。道之が命と為り、幽沈にして事を光らす。心に於いて甚だ微にして、道に於いて甚だ当たる。死生は理を同じくし、万物の変化は一道に合す。生を簡し死を忘るれば、何くに往くとして寿からざらん。事と言とを去り、慎みて為す無かれ。
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文子・道原老子曰く、道を執りて以て民を御する者は、事来たれば之に循い、物動けば之に因る。万物の化応ぜざる無く、百事の変耦わざる無し。故に道とは、虚無、平易、清静、柔弱、純粋素樸なり。此の五者は、道の形象なり。虚無とは道の舎なり。平易とは道の素なり。清静とは道の鑑なり。柔弱とは道の用なり。反は道の常なり。柔は道の剛なり。弱は道の強なり。純粋素樸とは道の幹なり。虚とは中に載する無きなり。平とは心に累い無きなり。嗜欲載せざるは、虚の至りなり。好憎する所無きは、平の至りなり。一にして変ぜざるは、静の至りなり。物と雑ざらざるは、粋の至りなり。憂えず楽しまざるは、徳の至りなり。夫れ至人の治や、其の聡明を棄て、其の文章を滅し、道に依りて智を廃し、民と与に公に出ず。其の守る所を約にし、其の求むる所を寡くし、其の誘慕を去り、其の貴欲を除き、其の思慮を捐つ。其の守る所を約にすれば即ち察し、其の求むる所を寡くすれば即ち得。故に中を以て外を制し、百事廃れず。中にして之を得れば、外にして之を牧う。中の得るや、五蔵寧く、思慮平らかに、筋骨勁強にして、耳目聡明なり。大道は坦坦として、身を去ること遠からず。之を求むること遠き者は、往きて復た返る。
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