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文子 / 道德

文子問道。老子曰:學問不精,聽道不深。凡聽者,將以達智也,將以成行也,將以致功名也,不精不明,不深不達。故上學以神聽,中學以心聽,下學以耳聽,以耳聽者,學在皮膚,以心聽者,學在肌肉,以神聽者,學在骨髓。故聽之不深,即知之不明,知之不明,即不能盡其精,不能盡其精,即行之不成。凡聽之理,虛心清靜,損氣無盛,無思無慮,目無妄視,耳無苟聽,尊精積稸,內意盈并,既以得之,必固守之,必長久之。夫道者,原產有始,始於柔弱,成於剛強,始於短寡,成於眾長,十圍之木始於把,百仞之臺始於下,此天之道也。

新字:文子問道。老子曰:学問不精,聴道不深。凡聴者,将以達智也,将以成行也,将以致功名也,不精不明,不深不達。故上学以神聴,中学以心聴,下学以耳聴,以耳聴者,学在皮膚,以心聴者,学在肌肉,以神聴者,学在骨髄。故聴之不深,即知之不明,知之不明,即不能尽其精,不能尽其精,即行之不成。凡聴之理,虚心清静,損気無盛,無思無慮,目無妄視,耳無苟聴,尊精積稸,内意盈并,既以得之,必固守之,必長久之。夫道者,原産有始,始於柔弱,成於剛強,始於短寡,成於衆長,十囲之木始於把,百仞之台始於下,此天之道也。

書き下し

文子、道を問う。老子曰く、学問精ならざれば、道を聴くこと深からず。凡そ聴く者は、将に以て智に達せんとするなり、将に以て行を成さんとするなり、将に以て功名を致さんとするなり。精ならざれば明らかならず、深からざれば達せず。故に上学は神を以て聴き、中学は心を以て聴き、下学は耳を以て聴く。耳を以て聴く者は、学は皮膚に在り、心を以て聴く者は、学は肌肉に在り、神を以て聴く者は、学は骨髄に在り。故に之を聴くこと深からざれば、即ち之を知ること明らかならず、之を知ること明らかならざれば、即ち其の精を尽くす能わず、其の精を尽くす能わざれば、即ち行いて成らず。凡そ聴くの理は、心を虚しくして清静にし、気を損じて盛んなること無く、思う無く慮る無く、目に妄りに視ること無く、耳に苟くも聴くこと無く、精を尊び稸を積み、内意盈ち并わせ、既に以て之を得れば、必ず固く之を守り、必ず之を長久にす。夫れ道なる者は、原と産まれて始め有り、柔弱に始まりて剛強に成り、短寡に始まりて衆長に成る。十囲の木は把に始まり、百仞の台は下に始まる。此れ天の道なり。

現代語訳

文子が道を問うた。老子は言った。学問が精密でなければ、道を聴くことも深くならない。そもそも聴くというのは、智に達するため、行いを成すため、功名を挙げるためである。精密でなければ明らかにならず、深くなければ行き着かない。だから上の学び手は神で聴き、中の学び手は心で聴き、下の学び手は耳で聴く。耳で聴く者は、学びが皮膚にとどまり、心で聴く者は、学びが筋肉に入り、神で聴く者は、学びが骨髄にまで届く。だから聴くことが深くなければ、知ることが明らかにならず、知ることが明らかでなければ、その精髄を尽くせず、精髄を尽くせなければ、行っても成就しない。およそ聴くときの理は、心を虚しくして清らかに静め、気をおさえて盛んにせず、思わず慮らず、目はみだりに見ず、耳はいいかげんに聞かず、精を尊んで蓄えを積み、内なる思いを満たして一つに合わせ、いったん得たら必ず固く守り、必ず長く保つことである。そもそも道というものは、もともと生まれたところに始まりがあり、柔弱に始まって剛強に成り、短くわずかなところに始まって多く長いものに成る。十抱えの木も一握りの芽から始まり、百仞の高殿も土台から始まる。これが天の道である。

解説

聞き方に三つの深さがあるという段です。「耳を以て聴く者は、学は皮膚に在り」「神を以て聴く者は、学は骨髄に在り」。同じ話を聞いても、どこまで身に入るかは聞き手で決まります。条件は「心を虚しくして清静にし」、思い込みと雑念を置くこと。後半は、道は柔弱に始まり剛強に成ると続け、大木も高殿も小さな始まりからだと言います。研修や面談で、話は聞いたのに現場が変わらないとき、問題は内容より聞く側の姿勢にあるのかもしれません。

この章句が説くこと

神を以て聴く者は学は骨髄に在り心を虚しくして清静にし十囲の木は把に始まり聴く虚心柔弱

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