文子 / 符言
老子曰:一言不可窮也,二言天下宗也,三言諸侯雄也,四言天下雙也。貞信則不可窮,道德則天下宗,舉賢德,諸侯雄,惡少愛眾天下雙。
新字:老子曰:一言不可窮也,二言天下宗也,三言諸侯雄也,四言天下双也。貞信則不可窮,道徳則天下宗,舉賢徳,諸侯雄,悪少愛衆天下双。
書き下し
老子曰く、一言は窮む可からざるなり、二言は天下の宗なり、三言は諸侯の雄なり、四言は天下の雙なり。貞信なれば則ち窮む可からず、道徳なれば則ち天下の宗、賢徳を挙ぐれば諸侯の雄、少なきを悪み衆きを愛すれば天下の雙なり。
現代語訳
老子は言う。一言は窮まることがなく、二言は天下の宗となり、三言は諸侯の雄となり、四言は天下に並ぶ者となる。貞信であれば窮まることがなく、道徳があれば天下の宗となり、賢者と徳のある者を挙げれば諸侯の雄となり、少ないことを憎み多いことを愛すれば天下に並ぶ者となる。
解説
一言から四言までを数え、それぞれ貞信、道徳、賢徳を挙げる、少ないことを憎み衆を愛する、に対応させる短い段です。数を重ねるごとに器が広がる構成で、最後は多くの人を愛する者が天下に並ぶと結びます。原文の「惡少愛眾」は読み方に幅があり、数の多さを求める意味にも、人々を愛する意味にも取れます。訳としては前者を採りましたが、断定はできません。一つ目の貞信は、約束を守る誠実さを指し、組織の信用の出発点であることを示す一語として読めます。
この章句が説くこと
貞信なれば則ち窮む可からず道徳なれば則ち天下の宗賢徳を挙ぐれば諸侯の雄貞信人材徳
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