弁名 / 德
德者得也。謂人各有所得於道也。或得諸性。或得諸學。皆以性殊焉。性人人殊。故德亦人人殊焉。夫道大矣。自非聖人。安能身合於道之大乎。故先王立德之名。而使學者各以其性所近。據而守之。脩而崇之。如虞書九德。周官六德。及傳所謂仁智孝弟忠信恭儉讓不欲剛勇淸直之類。皆是也。蓋人性之殊。譬諸草木區以別焉。雖聖人之善敎。亦不能强之。故各隨其性所近。養以成其德。
新字:徳者得也。謂人各有所得於道也。或得諸性。或得諸学。皆以性殊焉。性人人殊。故徳亦人人殊焉。夫道大矣。自非聖人。安能身合於道之大乎。故先王立徳之名。而使学者各以其性所近。拠而守之。脩而崇之。如虞書九徳。周官六徳。及伝所謂仁智孝弟忠信恭倹譲不欲剛勇清直之類。皆是也。蓋人性之殊。譬諸草木区以別焉。雖聖人之善教。亦不能強之。故各随其性所近。養以成其徳。
書き下し
徳は得なり。人各々道に得る所有るを謂ふなり。或いは諸を性に得、或いは諸を学に得。皆性を以て殊なる。性は人人殊なり。故に徳も亦た人人殊なり。夫れ道は大なり。聖人に非ざるよりは、安んぞ能く身道の大に合はんや。故に先王徳の名を立てて、学者をして各々其の性の近き所を以て、拠りて之を守り、脩めて之を崇くせしむ。虞書の九徳、周官の六徳、及び伝に所謂仁・智・孝・弟・忠・信・恭・倹・譲・不欲・剛・勇・清・直の類の如き、皆是なり。蓋し人の性の殊なること、諸を草木の区して以て別あるに譬ふ。聖人の善く教ふると雖も、亦た之を強ふること能はず。故に各々其の性の近き所に随ひ、養ひて以て其の徳を成す。
現代語訳
徳とは「得る」ことである。人がそれぞれ道から得たものがあることを言う。本性から得る者もあれば、学問から得る者もあるが、いずれも本性によって違いが出る。本性は人によって違うから、徳もまた人によって違う。そもそも道は大きい。聖人でなければ、どうして身ひとつで道の大きさ全体に合致できようか。だから先王は徳という名を立て、学ぶ者に、それぞれ自分の本性に近いものに拠ってそれを守り、修めて高めさせた。『書経』虞書の九徳、『周礼』の六徳、また伝に言う仁・智・孝・弟・忠・信・恭・倹・譲・不欲・剛・勇・清・直の類がみなそれである。思うに人の本性が違うのは、草木が種類ごとに区別されているようなものだ。聖人がいかに上手に教えても、無理に同じにすることはできない。だからそれぞれ本性に近いものに従い、養ってその徳を成し遂げさせるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』德徳立ちて材成り、然る後に之を官にす。其の材の成るに及びてや、聖人と雖も亦た及ぶこと能はざる者有り。后夔の楽に於ける、禹の水を行るに於ける、稷の芸殖に於けるが如き、皆堯舜の及ぶこと能はざる所なり。故に孔子の七十子に於けるも、亦た其の材に因りて篤くす。子路に告ぐるに勇を以てし、曾子に孝を以てするが如き、以て見るべきのみ。其の徳の成るに及びては、四科、及び賜や達、由や果、求や芸の如き、以て見るべきのみ。
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『春秋左氏伝』襄公二十七年 徳を務めて先を争わず且つ晉・楚狎りて諸侯の盟を主ること久し。豈に專ら晉に在らんや」と。叔向趙孟に謂ひて曰く、「諸侯は晉の德に歸するのみ。其の盟を尸るに歸するに非ざるなり。子德を務めよ。先を爭ふこと無かれ。且つ諸侯盟ふに、小國固より必ず盟を尸る者有り。楚晉の細と為る。亦た可ならずや」と。乃ち楚人を先んず。書して晉を先んずるは、晉に信有ればなり。壬午、宋公兼ねて晉・楚の大夫を享す。趙孟客為り。子木之と言ふ。對ふる能はず。叔向をして侍りて言はしむ。子木も亦た對ふる能はざるなり。乙酉、宋公及び諸侯の大夫蒙門の外に盟ふ。子木趙孟に問ひて曰く、「范武子の德は何如」と。對へて曰く、「夫子の家事治まり、晉國に言ひて隱情無し。其の祝史信を鬼神に陳べて、愧づる辭無し」と。子木歸りて以て王に語る。王曰く、「尚きかな。能く神人を歆ばしむ。宜なり其の光いに五君を輔け、以て盟主と為ること」と。子木又王に語りて曰く、「宜なり晉の伯たること。叔向有りて以て其の卿を佐く。楚以て之に當たる無し。與に爭ふべからず」と。晉の荀盈遂に楚に如きて盟に蒞む。
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『弁名』聖周礼の六徳に、智と曰ひ、聖と曰ふ。是れ聖人の徳を岐ちて之を二つにし、以て君子の徳と為すなり。蓋し人の性は同じからず。故に其の智、能く政治の道に通ずる者有り、之に命じて智と曰ふ。能く礼楽鬼神の道に通ずる者有り、之に命じて聖と曰ふ。故に其の所謂聖も、亦た聖人の徳の若きに非ず。曰く、唐虞は九官にして乃ち九徳有り、周は六官にして乃ち六徳有り。徳は性を以て殊なり、徳成りて之を官にす。故に虞・周の官制の異なるは、其の徳を立つる所以の同じからざればなり。
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『童子問』卷下問ふ、何ぞ古昔は人材の多くして、後世は之れ尠きや、と。曰く、一なれば則ち達し、岐多ければ則ち迷ふ。後世の人材を成すこと能はざる者は、其の岐多きが為なり。夫れ学なる者は、徳を成し材を達する所以なり。学者内に名利の膠無く、外に他事の擾無く、此に衣食し、此に寝処し、立てば則ち其の前に参ずるを見、輿に在れば則ち其の衡に倚るを見、積みて又積み、老の将に至らんとするを知らず、心心念念、此に専一ならば、則ち何ぞ徳を成し材を達せざることの之れ有らん。舜も人なり、我も亦人なり。堯舜の事業、孔孟の学術と雖も、亦豈に遠からんや。昔韓幹馬を画くことを好み、見る所の馬、皆其の師に非ざるは莫し。夫れ然る後、能く其の妙を造し、古今に冠絶す。古人の道芸に於けるや、皆然り。後の学者は則ち然らず。己の期する所、父兄朋友の責むる所、利名の両者に過ぎず。有用の事は講ぜず、有用の書は読まず。無益の章句を守り、無益の空文に鶩せ、無益の故事を記し、一切時好に狗ひ、名誉を邀へ、旁蹊多岐にして、志を用ふること専らならず。而して大学問・大事業に於ては、則ち之を度外に付す。藉令数十巻の著述有りて世に行はるるも、亦児戯のみ。行々将に澌滅に就かんとす。何の益かあらん。其の求むる所の名と利とも、亦皆児女子の仰歎に供するのみ。何の人材を成す所あらんや。少しく智慮有る者は、其れ取捨する所を知らざるべけんや。
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