文子 / 符言
老子曰:時之行動以從,不知道者福為禍。天為蓋,地為軫,善用道者終無盡,地為軫,天為蓋,善用道者終無害。陳彼五行必有勝,天之所覆無不稱,故“知不知,上,不知知,病也。”
新字:老子曰:時之行動以従,不知道者福為禍。天為蓋,地為軫,善用道者終無尽,地為軫,天為蓋,善用道者終無害。陳彼五行必有勝,天之所覆無不称,故“知不知,上,不知知,病也。”
書き下し
老子曰く、時の行動以て従えば、道を知らざる者は福も禍と為る。天を蓋と為し、地を軫と為し、善く道を用うる者は終に尽くること無し。地を軫と為し、天を蓋と為し、善く道を用うる者は終に害無し。彼の五行を陳ぬれば必ず勝つこと有るも、天の覆う所は称わざる無し。故に「知りて知らざるは上なり、知らずして知るは病なり」と。
現代語訳
老子は言う。時に従って動いても、道を知らない者にとっては、福も禍となる。天を車の屋根とし、地を車の台とし、道をよく用いる者は、最後まで尽きることがない。地を台とし、天を屋根とし、道をよく用いる者は、最後まで害がない。五行を並べれば必ず勝つものがあるが、天の覆うところにはかなわないものがない。そこで言う。「知っていて知らないとするのは上であり、知らないのに知っているとするのは病である」と。
解説
本文に乱れがあるらしく、訳には幅が出る段です。それでも、道を知らなければ福も禍に変わる、という最初の一文は明確です。同じ「時に従う」行動でも、道を知る人と知らない人では結果が逆になる、という指摘です。後半の天蓋と地の台の比喩は、道の働きの大きさを述べているようです。終わりの「知りて知らざるは上なり」は老子の言葉の引用で、知らないふりではなく、知っていても知り尽くしたと思わない慎みを指します。経験を積んだ人こそ、自分の確信を一度疑うことが助けになります。
この章句が説くこと
道を知らざる者は福も禍と為る天の覆う所は称わざる無し知りて知らざるは上なり知慎み道
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