春秋左氏伝 / 襄公二十三年 知の難きや
莒子重賂之。使無死。曰。請有盟。華周對曰。貪貨棄命。亦君所惡也。昏而受命。日未中而棄之。何以事君。莒子親鼓之。從而伐之。獲杞梁。莒人。行成。齊侯歸。遇杞梁之妻於郊。使弔之。辭曰。殖之有罪。何辱命焉。若免於罪。猶有先人之敝廬在。下妾不得與郊弔。齊侯弔諸其室。齊侯將為臧紇田。臧孫聞之。見齊侯。與之言伐晉。對曰。多則多矣。抑君似鼠。夫鼠晝伏夜動。不穴於寢廟。畏人故也。今君聞晉之亂。而後作焉。寧將事之。非鼠如何。乃弗與田。仲尼曰。知之難也。有臧武仲之知。而不容於魯國。抑有由也。作不順而施不恕也。夏書曰。念茲在茲。順事恕施也。
新字:莒子重賂之。使無死。曰。請有盟。華周対曰。貪貨棄命。亦君所悪也。昏而受命。日未中而棄之。何以事君。莒子親鼓之。従而伐之。獲杞梁。莒人。行成。斉侯帰。遇杞梁之妻於郊。使弔之。辞曰。殖之有罪。何辱命焉。若免於罪。猶有先人之敝廬在。下妾不得与郊弔。斉侯弔諸其室。斉侯将為臧紇田。臧孫聞之。見斉侯。与之言伐晋。対曰。多則多矣。抑君似鼠。夫鼠昼伏夜動。不穴於寝廟。畏人故也。今君聞晋之乱。而後作焉。寧将事之。非鼠如何。乃弗与田。仲尼曰。知之難也。有臧武仲之知。而不容於魯国。抑有由也。作不順而施不恕也。夏書曰。念茲在茲。順事恕施也。
書き下し
莒子重く之に賂ひ、死すること無からしめんとして曰く、「請ふ盟有らん」と。華周對へて曰く、「貨を貪りて命を棄つるは、亦た君の惡む所なり。昏に命を受けて、日未だ中せずして之を棄てば、何を以って君に事へん」と。莒子親ら之に鼓し、從ひて之を伐ち、杞梁を獲たり。莒人行成す。齊侯歸り、杞梁の妻に郊に遇ふ。之を弔せしむ。辭して曰く、「殖の罪有らば、何ぞ命を辱くせん。若し罪を免れば、猶ほ先人の敝廬の在る有り。下妾は郊弔に與ることを得ず」と。齊侯諸を其の室に弔す。齊侯將に臧紇に田を為さんとす。臧孫之を聞き、齊侯に見ゆ。之と晉を伐つことを言ふ。對へて曰く、「多きは則ち多し。抑も君は鼠に似たり。夫れ鼠は晝伏し夜動き、寢廟に穴せず、人を畏るるが故なり。今君晉の亂を聞きて、而る後に作る。寧ろ將に之に事へんとす。鼠に非ずして如何」と。乃ち田を與へず。仲尼曰く、「知の難きや。臧武仲の知有りて、魯國に容れられず。抑も由有るなり。作すこと順ならずして、施すこと恕ならざればなり。夏書に曰く、『茲を念ひ茲に在り』と。事を順にし施しを恕にするなり」と。
現代語訳
莒子は二人に重い贈り物をして、死なせないようにしようと言った。「どうか盟いを結ぼう」。華周(華還)は答えた。「財貨を貪って君命を棄てるのは、あなたも憎まれることでしょう。昨夕に命令を受けて、日が南中もしないうちにそれを棄てるようでは、どうして君に仕えられましょう」。莒子は自ら太鼓を打って兵を進め、二人を攻めて、杞梁(杞殖)を捕らえ殺した。莒は斉に和睦を申し入れた。斉侯が帰る途中、郊外で杞梁の妻に出会い、人をやって弔意を伝えさせた。妻は辞退して言った。「殖に罪があるのなら、どうしてお言葉をいただけましょう。もし罪がないのなら、まだ先祖から受け継いだ粗末な家がございます。私のような者が郊外で弔いを受けるわけにはまいりません」。斉侯はあらためてその家に出向いて弔った。斉侯は臧紇に領地を与えようとした。臧孫はそれを聞いて斉侯に会った。斉侯は晋を攻めたことを臧孫に話した。臧孫は答えた。「戦果は多いことは多いです。しかし君は鼠に似ています。鼠は昼は隠れ夜に動き、宗廟の中には穴を掘りません。人を恐れているからです。いま君は晋に乱があると聞いて、それから兵を起こされた。晋が落ち着けば、また晋に仕えるおつもりでしょう。これが鼠でなくて何でしょう」。斉侯はそれで領地を与えなかった。仲尼(孔子)は言った。「知というのは難しいものだ。臧武仲ほどの知恵があっても、魯の国に受け入れられなかった。それには理由がある。行いが道理に従わず、人への施しに思いやりがなかったからだ。『夏書』に『これを念えば、心はこれにある』と言う。事を道理に従わせ、施しを思いやりあるものにせよということである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四易に曰く、知は崇く礼は卑し。崇きは天に效ひ、卑きは地に效ふ、と。故に致知は其の高きを極めんことを欲し、力行は其の卑きを極めんことを欲す。伊川易伝、復恒賁の三卦に於て、各其の義を発明し、之を終へて曰く、道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん、と。経説にも亦た曰く、動静端無く、陰陽始め無し。道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん、と。咸の九四の伝に曰く、道を知る者は、黙して之を観て可なり、と。此れ皆伊川卓爾たる高識有り、以て胸中の自得する所を攄発するのみ。世儒の矜高の言と、日を同じくして語るべからず。実に見得する所有りと謂ふべきなり。
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『慎思録』巻之一学を為すの工夫、古人知を以て先と為す者は、蓋し知は以て開導すればなり。先づ之を知るに非ざれば、則ち力行すること能はず。先づ知るとは、当に行ふべきの端緒を知るなり。親に事ふる者の、先づ温凊定省、出づるに必ず告げ反れば必ず面するの法を知るが如き、是れなり。窮め知ること畢はりて而る後に方に之を行ふの謂に非ざるなり。既に其の端緒を知れば、則ち之を行ふこと最も急と為す。此れ乃ち知行並び進むの工夫なり。須らく此くの如くなるべし。蓋し知行の二者は、車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。一を闕けば則ち不可なり。故に学は徒らに之を知ることを要せず、必ず力行を要す。二者以て学と為すべくして、行ふを以て重しと為す。若し之を行ふこと能はざれば、則ち徒らに之を知ると雖も、都て用無し。以て学と為すべからず。是を以て学ぶ者は、之を知るを先と為し、之を行ふを重しと為すなり。之を行ふに非ざれば、則ち真に知ること能はず。譬へば道路を行くが如し。其の道路の里程、山川の形勢、記籍有りて詳審なりと雖も、然れども躬親ら経過するに非ざれば、則ち其の真境を諳知すること能はず。故に行ひて後に知る者は、真知なり。
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論語・八佾篇或るひと禘を問う。子曰く、『知らざるなり。その説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示すが如きか。』と掌を指す。
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荀子・賦篇皇天(こうてん)物を隆(くだ)し、以て下民に示し施す、或いは厚く或いは薄く、常に齊均(せいきん)ならず。桀紂(けつちゅう)は以て亂れ、湯武(とうぶ)は以て賢なり。涽涽(こんこん)たり淑淑(しゅくしゅく)たり、皇皇(こうこう)たり穆穆(ぼくぼく)たり。四海に周流(しゅうりゅう)して、曾(すなわ)ち日を崇(お)えず。君子は以て脩め、跖(せき)は以て室を穿(うが)つ。大なること天に參(さん)じ、精微(せいび)にして形無く、義を行いて以て正しく、事業以て成る。以て暴(ぼう)を禁じ窮(きゅう)を足(た)らしむ可く、百姓(ひゃくせい)之を待ちて而(しか)る後に泰寧(たいねい)なり。臣愚にして識らず、願わくは其の名を問わん。曰く、此れ夫(か)の寬平(かんぺい)に安んじて險隘(けんあい)を危(あや)ぶむ者か。脩潔(しゅうけつ)を之れ親しみて、雜汙(ざつお)を之れ狄(しりぞ)くる者か。甚だ深く藏(かく)れて外は敵に勝つ者か。禹舜(うしゅん)に法(のっと)りて能く跡(あと)を弇(おお)う者か。行(こう)の動靜(どうせい)、之を待ちて而(しか)る後に適(かな)う者か。血氣の精(せい)なり、志意の榮(えい)なり、百姓之を待ちて而る後に寧(やす)く、天下之を待ちて而る後に平らかなり、明達純粹(めいたつじゅんすい)にして疵(きず)無し。夫(そ)れ是れを之れ君子の知(ち)と謂う。知なり。
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『呻吟語』内篇・問學・知る可からざるを知れば則ち鑿つ君子は其の知る可きを知り、其の知る可からざるを知らず。其の知る可きを知らざれば則ち愚なり、其の知る可からざるを知れば則ち鑿つなり。
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論語・雍也篇樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂う可し。仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲るを後にす、仁と謂う可し。
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