文明一統記 / 慈悲・慈悲と仁は、人を哀れむ心
慈といふ文字は、拔苦といふ心也、悲といふ文字は、興樂といふ心也、佛の御心には、衆生の爲に苦を拔て樂を興へんと思召すが、慈悲の文字の心也、外典の書には、是を仁となづけ侍り、仁といふは、人を愛する心也、言葉こそかはり侍れ、心はたゞ慈悲の文字に相違なき也、すべて鳥獸も手馴てかふとなれば、不便に思はるゝもの也、況人たるものをば、をしなべて哀憐の心をたれさせ給はんが、仁君の行にて侍るべし、抑此十餘年、上下萬民所帶をはなれて、飢寒につめられたるもの、幾千萬といふ數をしらず、かくのどく無理非道に押領をいたす輩は、偏に慈悲の心かけたるゆへなるべし、修因感果のことはりを、思ひさとらぬことこそあさましけれ、
新字:慈といふ文字は、抜苦といふ心也、悲といふ文字は、興楽といふ心也、仏の御心には、衆生の為に苦を抜て楽を興へんと思召すが、慈悲の文字の心也、外典の書には、是を仁となづけ侍り、仁といふは、人を愛する心也、言葉こそかはり侍れ、心はたゞ慈悲の文字に相違なき也、すべて鳥獣も手馴てかふとなれば、不便に思はるゝもの也、況人たるものをば、をしなべて哀憐の心をたれさせ給はんが、仁君の行にて侍るべし、抑此十余年、上下万民所帯をはなれて、飢寒につめられたるもの、幾千万といふ数をしらず、かくのどく無理非道に押領をいたす輩は、偏に慈悲の心かけたるゆへなるべし、修因感果のことはりを、思ひさとらぬことこそあさましけれ、
書き下し
慈といふ文字は、拔苦といふ心也、悲といふ文字は、興樂といふ心也、佛の御心には、衆生の爲に苦を拔て樂を興へんと思召すが、慈悲の文字の心也、外典の書には、是を仁となづけ侍り、仁といふは、人を愛する心也、言葉こそかはり侍れ、心はたゞ慈悲の文字に相違なき也、すべて鳥獸も手馴てかふとなれば、不便に思はるゝもの也、況人たるものをば、をしなべて哀憐の心をたれさせ給はんが、仁君の行にて侍るべし、抑此十餘年、上下萬民所帶をはなれて、飢寒につめられたるもの、幾千萬といふ數をしらず、かくのどく無理非道に押領をいたす輩は、偏に慈悲の心かけたるゆへなるべし、修因感果のことはりを、思ひさとらぬことこそあさましけれ、
現代語訳
「慈」という文字は、苦を抜くという意味です。「悲」という文字は、楽を与えるという意味です。仏のお心は、衆生のために苦を抜いて楽を与えようと思し召すことであり、これが慈悲という文字の意味です。外典の書ではこれを仁と名づけています。仁というのは人を愛する心です。言葉は違いますが、心はただ慈悲の文字と変わりありません。すべて、鳥や獣でも手なずけて飼えばかわいく思われるものです。ましてや人であるものを、等しく哀れむ心をかけてくださることが、仁君の行いでしょう。そもそもこの十年余り、上下の万民が所領を離れ、飢えと寒さに追いつめられた者は、幾千万という数も分かりません。このように無理非道に押領を行う者たちは、ひとえに慈悲の心を欠いているからでしょう。因を修めて果を感ずるという道理を思い悟らないことこそ、あさましいことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「吾今にして後に人の親を殺すことの重きを知る。人の父を殺せば、人も亦た其の父を殺し、人の兄を殺せば、人も亦た其の兄を殺す。然らば則ち自ら之を殺すに非ざるも、一間のみ。」
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『了凡四訓』積善之方・軍兵を戒めて妄りに殺すこと無からしむ昔、正統の間、鄧茂七亂を福建に倡へ、士民の賊に從ふ者甚だ眾し。朝廷、鄞縣の張都憲楷を起して南征せしめ、計を以て賊を擒にす。後に布政司の謝都事に委ねて、東路の賊黨を搜殺せしむ。謝、賊中の黨附の冊籍を求め、凡そ賊に附かざる者には、密かに授くるに白布の小旗を以てし、兵至るの日を約して、旗を門首に插さしめ、軍兵を戒めて妄りに殺すこと無からしめ、萬人を全活す。後に謝の子遷、狀元に中り、宰輔と為る。孫の丕、復た探花に中る。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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『弁名』仁仁斎先生乃ち曰く、「慈愛の徳、遠近内外、充実通徹して、至らざる所無し」と。是れ又た孟子に泥みて、惻隠の心を拡充して以て仁を成さんと欲す。諸を先王に属せずして、諸を人人に属す。諸を安民に帰するを知らずして、徒に慈愛を以て之を言ふ。故に其の弊遂に釈迦を以て仁人と為すに至る。豈に謬らずや。
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『五常訓』巻之二・仁之上故に人にまじはりては、あはれみの心自ら止む事なし。されども其中につきて、まづ父母を愛し、次に兄弟一族を愛するが、仁愛の内にていと大なる理なり。故に親をしたしむを大なりとすといへり。親とは親類なり。先親類をしたしみて後、他人を愛す。是仁を行ふ次第なり。人なりと説き、人の心也と説ける字訓、尤親切にして、仁の理によくかなへるなるべし。周子は徳愛を仁と云ふといへり。愛はあはれむ也。仁は心の徳にて、人をあはれむを云ふ。愛を以て仁を説くは、是仁の大用を説けり。仁の用をなすは、あはれみを人に施すにあり。故に愛を仁と云ふ。夫仁は性なり。性は心に生れつきたる、理なり、体なり。愛は情なり。情とは、性の外物に感じて、動きあらはれたる心を云ふ。
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。

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