武教小学 / 行住座臥
行則不徑。(子遊曰。澹臺滅明行不由徑。朱子曰。徑者路之小而捷者也。動必以正。而無見小欲速之意。楊氏曰。後世有不由徑者。人必以爲迂。不孔子之徒。其孰能知而取之。)不礙傍人。不爲非禮。不出過言。自出門。如見敵。(道路者。貴賤往來之徑也。有辭讓之禮。則無喧嘩之事。若誤而下人礙他。乘馬汚人。則速遜我誤錯之事。卑言而敬之禮之。則他何爭論乎。怠則必忘禮。故自出門。如見敵。孔子曰。出門如見大賓。是表敬恭之切也。吳子曰。備者。自出門。如見敵。是無不備之謂也。)出外即可忘內。(巳上言行法也。)往則如前法。(出前章。)座則正威儀。佩用具。常不忘不虞之戒。(巳上言坐法也。)臥則不戶。(論語曰。寢不尸。朱子曰。尸謂偃臥似死人也。)傍不離利器。嚴夜戒。(出前章)皆先人而可爲其勞。(已上言臥法也)凡爲士之道。行住及座臥。暫放心。則必臨變而失常。一生之恪勤。於一事可闕滅。變之至也。不可知。則豈可怠哉。禮記曰。(出冠義篇)凡人之所以爲人者。禮義也。禮義之始。在於正容體齊顏色順辭令。容體正。顏色齊。辭令順。而後禮義備。
新字:行則不径。(子遊曰。澹台滅明行不由径。朱子曰。径者路之小而捷者也。動必以正。而無見小欲速之意。楊氏曰。後世有不由径者。人必以為迂。不孔子之徒。其孰能知而取之。)不礙傍人。不為非礼。不出過言。自出門。如見敵。(道路者。貴賤往来之径也。有辞譲之礼。則無喧嘩之事。若誤而下人礙他。乗馬汚人。則速遜我誤錯之事。卑言而敬之礼之。則他何争論乎。怠則必忘礼。故自出門。如見敵。孔子曰。出門如見大賓。是表敬恭之切也。呉子曰。備者。自出門。如見敵。是無不備之謂也。)出外即可忘内。(巳上言行法也。)往則如前法。(出前章。)座則正威儀。佩用具。常不忘不虞之戒。(巳上言坐法也。)臥則不戸。(論語曰。寝不尸。朱子曰。尸謂偃臥似死人也。)傍不離利器。厳夜戒。(出前章)皆先人而可為其労。(已上言臥法也)凡為士之道。行住及座臥。暫放心。則必臨変而失常。一生之恪勤。於一事可闕滅。変之至也。不可知。則豈可怠哉。礼記曰。(出冠義篇)凡人之所以為人者。礼義也。礼義之始。在於正容体斉顔色順辞令。容体正。顔色斉。辞令順。而後礼義備。
書き下し
行くには径に由らず、(子游曰く、澹台滅明は行くに径に由らず、と。朱子曰く、径とは路の小にして捷き者なり。動くこと必ず正を以てし、小を見て速やかならんと欲する意無し。楊氏曰く、後世径に由らざる者有れば、人必ず以て迂と為さん。孔子の徒に非ざれば、其れ孰か能く知りて之を取らん、と。)傍人を礙げず、非礼を為さず、過言を出ださず。門を出づるより、敵を見るが如くす。(道路は貴賤往来の径なり。辞譲の礼有れば、則ち喧嘩の事無し。若し誤りて下人の他を礙げ、馬に乗りて人を汚さば、速やかに我が誤錯の事を遜び、卑言して之を敬い之を礼すれば、則ち他何ぞ争論せん。怠れば則ち必ず礼を忘る。故に門を出づるより、敵を見るが如くす。孔子曰く、門を出でては大賓を見るが如し、と。是れ敬恭の切なるを表すなり。呉子曰く、備うる者は、門を出づるより、敵を見るが如し、と。是れ備えざる無きの謂いなり。)外に出でては即ち内を忘るべし。(已上は行法を言うなり。)往けば則ち前法の如し。(前章に出ず。)座しては則ち威儀を正し、用具を佩び、常に不虞の戒めを忘れず。(已上は座法を言うなり。)臥しては則ち尸せず、(論語に曰く、寝ぬるに尸せず、と。朱子曰く、尸とは偃臥して死人に似たるを謂う、と。)傍らに利器を離さず、夜戒を厳にす。(前章に出ず)皆人に先んじて其の労を為すべし。(已上は臥法を言うなり。)凡そ士為るの道は、行住及び座臥、暫くも心を放てば、則ち必ず変に臨みて常を失う。一生の恪勤、一事に於いて闕滅すべし。変の至るや、知るべからず。則ち豈に怠るべけんや。礼記に曰く、(冠義篇に出ず)凡そ人の人たる所以の者は、礼義なり。礼義の始めは、容体を正し、顔色を斉え、辞令を順にするに在り。容体正しく、顔色斉い、辞令順にして、後に礼義備わる、と。
現代語訳
道を行くときは近道を使わず、(注:子游が「澹台滅明は、歩くときに近道を通りません」と言いました。朱子は「径とは、小さくて早く行ける道のことである。行動は必ず正しさによって行い、小さな利益を見て急ぐ心がない」と言っています。楊氏は「後の世に近道を通らない者がいたら、人はきっと遠回りだと思うだろう。孔子の門人でなければ、誰がそれを分かって評価できようか」と言っています。)周りの人の邪魔をせず、礼にはずれたことをせず、言い過ぎた言葉を出しません。門を出るときから、敵を前にしているかのように振る舞います。(注:道路は身分の高い人も低い人も行き交う道です。譲り合う礼があれば争いごとは起こりません。もし誤って人に当たったり、馬に乗って人を汚したりしたら、すぐに自分の過ちを詫び、言葉を低くして相手を敬い礼を尽くせば、相手が争いを仕掛けることはないでしょう。怠れば必ず礼を忘れます。だから門を出るときから敵を見るように振る舞うのです。孔子は「門を出たら、大切な客に会うようにする」と言いました。これは敬いと慎みが切実であることを表しています。呉子は「備えるとは、門を出たら敵を見るようにすることだ」と言いました。これは備えのない所がないという意味です。)外へ出たら、家のことは忘れるべきです。(注:以上は歩き方について述べたものです。)出かけるときは前の法に従います。(注:前の章に出ています。)座るときは威儀を正し、用具を帯び、常に不測の事態への戒めを忘れません。(注:以上は座り方について述べたものです。)寝るときは、死人のように仰向けに寝転がらず、(注:『論語』に「寝るとき死人のようにならない」とあります。朱子は「尸とは、仰向けに寝て死人のようになることをいう」と言っています。)傍らに武器を離さず、夜の警戒を厳しくします。(注:前の章に出ています。)すべて人に先んじて、その労苦をなすべきです。(注:以上は寝方について述べたものです。)すべて士の道は、歩く、止まる、座る、寝るといった動作の一つでも、しばらく心を緩めれば、変事に臨んで平常を失います。一生の謹み励みも、一つのことで失われかねません。変事はいつ来るか分かりません。だから、どうして怠ってよいでしょうか。『礼記』に言います。(注:「冠義」篇に出ています。)人が人である理由は、礼義にあります。礼義の始めは、姿勢を正し、顔つきを整え、言葉を穏やかにすることにあります。姿勢が正しく、顔つきが整い、言葉が穏やかであって、はじめて礼義が備わります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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『家道訓』巻之一・総論上一凡、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。第一に、来年の秋までの糧米をそなへ、次に塩醬をたくはへ、脯醢をつくり、薪炭油をかねてよりあつむべし。右の貯なければ、家の計たたず。奴婢をあはれみ、其衣食居処を察して飢寒せしめず、其所を得せしむべし。男女内外の別を正しくし、武士は、鎗長刀弓矢鉄炮杖棒等を、常に便よき所におくべし。常に用ふる器をととのへ備へ、器のそこなへるをば修補し、屋宅蔵庫牆壁の破損せるをはやく修理し、材木竹茅土石を求め貯へ、馬をよく飼ひ、其外、家に飼ふべき畜類をやしなひ、菜蔬草木、時に順つてうゑやしなふべし。蔵のあけたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、つねにきびしくしておこたるべからず。火をふせぐ器なども平日備ふべし。凡家内のこと、つねに心を用ひておこたるべからず。
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