武教小学 / 言語應對
言語應對者。志之所適也。戲言出於思。是也。凡士之言語不正。則其行必猶也。柔弱之言。鄙劣之語。尤可愼。(人必有生產土地之音聲。然或好發懦弱之言。則行必類此。又爲鄙劣凡下之語。非上品之士。謂不學文之斃。)戰法軍旅武器馬具之用語。各有品。賓客葬祭之語。宗廟朝廷之言。各有則。言語輕出。應對不當節。則威儀不正。必招禍之媒也。(小學曰。無用之辯。不慮之察。棄而不治。)士之可恒語者。義不義之論。古戰塲之事。古今勇義之行。時代武義之盛衰。皆議論而可戒今日之非。或嘲他之非。或謗時之政。或語遊興之樂。或言男女之色。則心必流蕩。而行必陷溺。人心甚好之。故非禮勿言。
新字:言語応対者。志之所適也。戯言出於思。是也。凡士之言語不正。則其行必猶也。柔弱之言。鄙劣之語。尤可慎。(人必有生産土地之音声。然或好発懦弱之言。則行必類此。又為鄙劣凡下之語。非上品之士。謂不学文之斃。)戦法軍旅武器馬具之用語。各有品。賓客葬祭之語。宗廟朝廷之言。各有則。言語軽出。応対不当節。則威儀不正。必招禍之媒也。(小学曰。無用之弁。不慮之察。棄而不治。)士之可恒語者。義不義之論。古戦塲之事。古今勇義之行。時代武義之盛衰。皆議論而可戒今日之非。或嘲他之非。或謗時之政。或語遊興之楽。或言男女之色。則心必流蕩。而行必陥溺。人心甚好之。故非礼勿言。
書き下し
言語応対は、志の適く所なり。戯言も思より出づとは、是れなり。凡そ士の言語正しからざれば、則ち其の行い必ず猶(ごと)きなり。柔弱の言、鄙劣の語、尤も慎むべし。(人必ず生産土地の音声有り。然れども好んで懦弱の言を発すれば、則ち行い必ず此に類す。又鄙劣凡下の語を為すは、上品の士に非ず、文を学ばざるの斃と謂う。)戦法軍旅武器馬具の用語、各々品有り。賓客葬祭の語、宗廟朝廷の言、各々則有り。言語軽がるしく出で、応対節に当たらざれば、則ち威儀正しからず、必ず禍を招くの媒なり。(小学に曰く、無用の弁、不慮の察は、棄てて治めず、と。)士の恒に語るべき者は、義不義の論、古戦場の事、古今勇義の行い、時代武義の盛衰、皆議論して今日の非を戒むべし。或いは他の非を嘲り、或いは時の政を謗り、或いは遊興の楽を語り、或いは男女の色を言えば、則ち心必ず流蕩し、行い必ず陥溺す。人心甚だ之を好む。故に非礼は言う勿かれ。
現代語訳
言葉づかいや受け答えは、志の向かうところが表れたものです。「冗談も思いから出る」というのは、このことです。士の言葉が正しくなければ、その行いも同じようになります。弱々しい言葉や下品で卑しい言葉は、特に慎むべきです。(注:人にはそれぞれ生まれ育った土地の訛りがあります。しかし好んで気弱な言葉を発すれば、行いも必ずそれに似てきます。また、下品で卑しい言葉を使うのは上品の士ではなく、学問をしない弊害といえます。)戦法・軍隊・武器・馬具に関する用語には、それぞれ区別があります。客人や葬祭の言葉、宗廟や朝廷での言葉にも、それぞれ決まりがあります。言葉を軽々しく出し、受け答えが場にふさわしくなければ、威儀が正しくなくなり、必ず災いを招くきっかけになります。(注:『小学』には「役に立たない弁舌や、思慮にならない詮索は、捨てて取り合わない」とあります。)士がいつも語るべきことは、義と不義の論、昔の戦場の話、古今の勇気と義の行い、時代ごとの武の義の盛衰などで、これらを議論して今日の誤りを戒めるのがよいです。他人の過ちを嘲ったり、時の政治をそしったり、遊びの楽しみを語ったり、男女の色事を口にしたりすれば、心が必ず流されて乱れ、行いも必ず溺れます。人の心はそれをひどく好むものです。だから礼にかなわないことは言ってはいけません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一史を看て経を専らにせざれば、則ち其の蔽や、流蕩して返ることを忘る。詞章に耽嗜すれば、則ち心之が為に累はさる。物を玩びて志を喪ふと謂ふべし。夫れ詞章の学は、之を史を看るに比すれば、則ち心を用ふること過多にして、其の蔽為るや大なり。蓋し学者義理に専一ならざれば、則ち其の志荒れて、道に進むこと能はず。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はずと。故に学を為すの工夫は、精専を貴ぶ。
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
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論語・先進篇子路・曾皙・冉有・公西華侍坐す。子曰く、「吾が一日爾より長ずるを以て、吾を以てすること毋かれ。居れば則ち曰く、『吾を知らざるなり』と。如し或るひと爾を知らば、則ち何を以てせんや。」子路率爾として対えて曰く、「千乗の国、大国の間に摂まり、之に加うるに師旅を以てし、之に因るに饑饉を以てす。由や之を為さば、三年に比び及ぶに、勇有りて且つ方を知らしむ可し。」夫子之を哂う。「求、爾は何如。」対えて曰く、「方六七十、如しくは五六十、求や之を為さば、三年に比び及ぶに、民を足らしむ可し。其の礼楽の如きは、以て君子を俟たん。」「赤、爾は何如。」対えて曰く、「之を能くすと曰うに非ず、学ばんことを願う。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫して、小相たらんことを願う。」「点、爾は何如。」瑟を鼓すこと希なり。鏗爾として、瑟を舍きて作つ。対えて曰く、「三子者の撰に異なり。」子曰く、「何ぞ傷まんや。亦た各々其の志を言うなり。」曰く、「莫春には、春服既に成る。冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん。」夫子喟然として歎じて曰く、「吾は点に与せん。」三子者出づ。曾皙後る。曾皙曰く、「夫の三子者の言は何如。」子曰く、「亦た各々其の志を言えるのみ。」曰く、「夫子何ぞ由を哂えるか。」曰く、「国を為むるには礼を以てす。其の言譲らず、是の故に之を哂えり。」「唯だ求は則ち邦に非ざるか。」「安んぞ方六七十、如しくは五六十にして、邦に非ざる者を見んや。」「唯だ赤は則ち邦に非ざるか。」「宗廟会同は、諸侯に非ずして何ぞ。赤や之が小たらば、孰か能く之が大たらん。」
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