武教講録 / 惣目錄・等級に分けた学びと武教の大意
中等は先師の書を講窮するの科也、此等更に二科を分ち、畧長沼氏傳授の意に倣ひ、(余曾て長沼氏の兵要錄を藩士山田含章參翁に受くる)小學及び侍用武功撰功法令斥候を以て一騎前の學とし、全書一部を通じて研究するを主道將略の學とす、初中二等は乃ち所謂約なり、上等は諸家涉獵の科にして、乃ち所謂博なり、最上等は諸家の博を窮め全書の約に反る科にして、所謂左右原に逢ふの地位に至り、兵學の大成する所なり、(四等の詳說は余當時等級次第を著して是を辨ず、就て見るべし、)博約の說は孔孟以來已に揭て學則とす、孔子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、(雍也及び顏淵篇)顏淵曰、夫子循々然善誘人、博我以文、約我以禮、(子罕篇)孟子曰、博學而詳說之、將以反說約也、(離婁下篇)孔孟の說斯のくにして、孟子反說の意尤も味ふべし、是余が先師の學則を窺ふ所なり、又武敎の大綱目錄にて如略見るべしと云者は、凡そ先師の用意は專ら篇次にあり、故に目錄を以て篇次を玩て其大綱を知るべし、李衞公攻守を論じて云、大而言之爲君之道、小而言之爲將之法、又云く、攻其心者、所謂知彼者也、守吾氣者、所謂知己者也、(問對下に見ゆ、原文を拔て其精義を味ふべし、)故に武敎は修身、齊家、治國、平天下より初め、戰勝攻守の術に至まで包ざることなし、天子諸侯より一士一卒に至る迄學で不可なるあるなし、是其大意也、近世談兵家是を知らずして、異端曲說に陷るの弊は自序是を詳論す、其處にて尙も講ずべし、又武敎の外に更に儒道も經術もあることなし、儒道經術は皆武敎中の事也、此論は序段の首、題號の武敎を講ずる所にて云べし、上に云如く、修齊治平、戰勝攻取、君道、將法、士卒の事、
新字:中等は先師の書を講窮するの科也、此等更に二科を分ち、略長沼氏伝授の意に倣ひ、(余曽て長沼氏の兵要録を藩士山田含章参翁に受くる)小学及び侍用武功撰功法令斥候を以て一騎前の学とし、全書一部を通じて研究するを主道将略の学とす、初中二等は乃ち所謂約なり、上等は諸家渉猟の科にして、乃ち所謂博なり、最上等は諸家の博を窮め全書の約に反る科にして、所謂左右原に逢ふの地位に至り、兵学の大成する所なり、(四等の詳説は余当時等級次第を著して是を弁ず、就て見るべし、)博約の説は孔孟以来已に掲て学則とす、孔子曰、君子博学於文、約之以礼、亦可以弗畔矣夫、(雍也及び顔淵篇)顔淵曰、夫子循々然善誘人、博我以文、約我以礼、(子罕篇)孟子曰、博学而詳説之、将以反説約也、(離婁下篇)孔孟の説斯のくにして、孟子反説の意尤も味ふべし、是余が先師の学則を窺ふ所なり、又武教の大綱目録にて如略見るべしと云者は、凡そ先師の用意は専ら篇次にあり、故に目録を以て篇次を玩て其大綱を知るべし、李衛公攻守を論じて云、大而言之為君之道、小而言之為将之法、又云く、攻其心者、所謂知彼者也、守吾気者、所謂知己者也、(問対下に見ゆ、原文を抜て其精義を味ふべし、)故に武教は修身、斉家、治国、平天下より初め、戦勝攻守の術に至まで包ざることなし、天子諸侯より一士一卒に至る迄学で不可なるあるなし、是其大意也、近世談兵家是を知らずして、異端曲説に陥るの弊は自序是を詳論す、其処にて尚も講ずべし、又武教の外に更に儒道も経術もあることなし、儒道経術は皆武教中の事也、此論は序段の首、題号の武教を講ずる所にて云べし、上に云如く、修斉治平、戦勝攻取、君道、将法、士卒の事、
書き下し
中等は先師の書を講窮するの科也、此等更に二科を分ち、畧長沼氏傳授の意に倣ひ、(余曾て長沼氏の兵要錄を藩士山田含章參翁に受くる)小學及び侍用武功撰功法令斥候を以て一騎前の學とし、全書一部を通じて研究するを主道將略の學とす、初中二等は乃ち所謂約なり、上等は諸家涉獵の科にして、乃ち所謂博なり、最上等は諸家の博を窮め全書の約に反る科にして、所謂左右原に逢ふの地位に至り、兵學の大成する所なり、(四等の詳說は余當時等級次第を著して是を辨ず、就て見るべし、)博約の說は孔孟以來已に揭て學則とす、孔子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、(雍也及び顏淵篇)顏淵曰、夫子循々然善誘人、博我以文、約我以禮、(子罕篇)孟子曰、博學而詳說之、將以反說約也、(離婁下篇)孔孟の說斯のくにして、孟子反說の意尤も味ふべし、是余が先師の學則を窺ふ所なり、又武敎の大綱目錄にて如略見るべしと云者は、凡そ先師の用意は專ら篇次にあり、故に目錄を以て篇次を玩て其大綱を知るべし、李衞公攻守を論じて云、大而言之爲君之道、小而言之爲將之法、又云く、攻其心者、所謂知彼者也、守吾氣者、所謂知己者也、(問對下に見ゆ、原文を拔て其精義を味ふべし、)故に武敎は修身、齊家、治國、平天下より初め、戰勝攻守の術に至まで包ざることなし、天子諸侯より一士一卒に至る迄學で不可なるあるなし、是其大意也、近世談兵家是を知らずして、異端曲說に陷るの弊は自序是を詳論す、其處にて尙も講ずべし、又武敎の外に更に儒道も經術もあることなし、儒道經術は皆武敎中の事也、此論は序段の首、題號の武敎を講ずる所にて云べし、上に云如く、修齊治平、戰勝攻取、君道、將法、士卒の事、
現代語訳
中等は先師の書を講じ究める科です。この等はさらに二科に分け、おおよそ長沼氏の伝授の意にならい(私はかつて長沼氏の『兵要録』を藩士の山田含章参翁から受けた)、『小学』および侍用・武功・撰功・法令・斥候を一騎前の学とし、全書一部を通じて研究するのを主道・将略の学とします。初・中の二等は、すなわちいわゆる約です。上等は諸家を渉猟する科で、すなわちいわゆる博です。最上等は、諸家の博を窮めて全書の約に立ち返る科で、いわゆる左右原に逢う地位に至り、兵学の大成するところです。(四等の詳しい説明は、私が当時『等級次第』を著して弁じました。参照して見てください。)博約の説は、孔孟以来すでに掲げて学則としています。孔子は言いました。「君子は広く文を学び、これを礼で約すれば、また道に背かないでいられるであろう」(雍也および顔淵篇)。顔淵は言いました。「先生は順序立てて人を善く導かれる。私を文で博くし、礼で約してくださる」(子罕篇)。孟子は言いました。「広く学び、詳しく説くのは、ついに立ち返って約を説くためである」(離婁下篇)。孔孟の説はこのとおりで、孟子の反って説く意が最も味わうべきです。これが、私が先師の学則をうかがうところです。また、武教の大綱は目録でほぼ見るべしと言うのは、およそ先師の用意はもっぱら篇次にあり、ゆえに目録によって篇次を味わい、その大綱を知るべきだということです。李衛公は攻守を論じて言いました。「大きく言えば君の道となり、小さく言えば将の法となる」。また言いました。「その心を攻めるとは、いわゆる彼を知る者である。わが気を守るとは、いわゆる己を知る者である」(『問対』下に見える。原文を抜き出してその精義を味わいなさい)。ゆえに武教は、修身・斉家・治国・平天下から始め、戦いに勝ち攻め守る術に至るまで、包まないものはありません。天子・諸侯から一士一卒に至るまで、学んで不可なる者はありません。これがその大意です。近世の兵を談ずる者がこれを知らず、異端曲説に陥る弊は、自序に詳しく論じています。その箇所でさらに講じるべきです。また、武教のほかにさらに儒道も経術もあるのではありません。儒道・経術はみな武教の中の事です。この論は序段の首、題号の武教を講じる所で述べるべきです。上に言うように、修斉治平、戦勝攻取、君道、将法、士卒の事、
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』萬章下 首章然れども是れ吾が徒小人の知行偏廃の弊を言ふのみ。其の実は知にして行を廃するは真の知に非ず、行にして知を廃するは実の行に非ず。故に知行二つにして一つ、而して先後亦相待ちて済すことあるなり。抑々伯夷・伊尹・柳下恵の力ありて巧を闕くと云ふ者は、浅近の論に非ず。孔子の巧力倶に全きを以て是に比して、初めて其の少しき闕あるを見るのみ。孔門の諸子、顔淵・閔子・冉牛の「体を具へて微なる」如き、巧にして力足らずと言ふべし。子夏・子游・子張の「一体を具ふる」如き、力ありて巧足らずと言ふべし。後の道を学ぶ者、孔子を以て宗とすれば、巧力倶に至り、知行兼ね進むべきは勿論なれども、前輩を論じ及び人材を育する如きは、妄りに是を以て衆人を律することなかれ。人各々能あり不能あり。
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、
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