武教講録 / 惣目錄・博から約へ約から博へ至る学び方
此一篇は小學の終篇とすべし、別に一卷と思ふとなかれ、其證は自序に門人等所輯錄武敎小學、始著其敎戒、終次其序品と云にて知るべし、敎戒は即上の十篇也、(夙起夜寐より、子孫敎戒まで、)序品は即ち此篇なり、素水の刻本に子孫敎戒の末に武敎小學終とあるは非なり、吾家の藏本に此五字なきを善とす、若し强て此五字を置んと欲せば、惣目錄の末に移すべし、抑惣目錄を以て武敎の大綱、及び先師の學則を窺ふべし、窃かに按ずるに、先師の學は博より約に入る者にして、其學則に至ては約より博に達する如くしたる者なり、學者博約の際に於て得るとあれば、左右原に逢ふ何の疑かあらん、先づ先師の博を知らんとならば一部の語類を讀ても知るべし、而して、其約は乃ち聖敎要錄にあり、是經術の博約を云、其兵法に於るを見んとならば、末書結要本雌鑑雄鑑用法より漢土諸家の說を約し、雄備集となし、武敎要錄となし、更に約して武敎全書となす、然ども、學者尙其約を知らざらんとを恐れて、門下の諸子乃ち惣目錄を編する也、若し夫れ全書中編々自ら博あり約あり、而して、其最も約なるは、全部の歸宿は序段の謀畧、智畧、計策、戰法、の三戰にある是也、是を以て先師の學則を知るべし、學者荷も全部を精究し、然る後孫吳尉李の書に及び、又和漢古今の典籍を博覽し、本末を尋ね、源流を窮る時は、經史子集幾萬卷の書、皆全書八卷の註脚にして、即ち謀智計三戰の註脚となり、更に約して吾方寸の外に出るとなきを知らん、是を學の極功とす、余素より此見を持す、嘉永戊申歲明倫館再興の時諸學藝皆等級の次第を定め試業に便すべきの旨あり、就中、兵學は一騎前將略等を以て是を分つべしとのと也、余乃ち四等を定む、初等は幼童句讀の科なり、
新字:此一篇は小学の終篇とすべし、別に一巻と思ふとなかれ、其証は自序に門人等所輯録武教小学、始著其教戒、終次其序品と云にて知るべし、教戒は即上の十篇也、(夙起夜寐より、子孫教戒まで、)序品は即ち此篇なり、素水の刻本に子孫教戒の末に武教小学終とあるは非なり、吾家の蔵本に此五字なきを善とす、若し強て此五字を置んと欲せば、惣目録の末に移すべし、抑惣目録を以て武教の大綱、及び先師の学則を窺ふべし、窃かに按ずるに、先師の学は博より約に入る者にして、其学則に至ては約より博に達する如くしたる者なり、学者博約の際に於て得るとあれば、左右原に逢ふ何の疑かあらん、先づ先師の博を知らんとならば一部の語類を読ても知るべし、而して、其約は乃ち聖教要録にあり、是経術の博約を云、其兵法に於るを見んとならば、末書結要本雌鑑雄鑑用法より漢土諸家の説を約し、雄備集となし、武教要録となし、更に約して武教全書となす、然ども、学者尚其約を知らざらんとを恐れて、門下の諸子乃ち惣目録を編する也、若し夫れ全書中編々自ら博あり約あり、而して、其最も約なるは、全部の帰宿は序段の謀略、智略、計策、戦法、の三戦にある是也、是を以て先師の学則を知るべし、学者荷も全部を精究し、然る後孫呉尉李の書に及び、又和漢古今の典籍を博覧し、本末を尋ね、源流を窮る時は、経史子集幾万巻の書、皆全書八巻の註脚にして、即ち謀智計三戦の註脚となり、更に約して吾方寸の外に出るとなきを知らん、是を学の極功とす、余素より此見を持す、嘉永戊申歳明倫館再興の時諸学芸皆等級の次第を定め試業に便すべきの旨あり、就中、兵学は一騎前将略等を以て是を分つべしとのと也、余乃ち四等を定む、初等は幼童句読の科なり、
書き下し
此一篇は小學の終篇とすべし、別に一卷と思ふとなかれ、其證は自序に門人等所輯錄武敎小學、始著其敎戒、終次其序品と云にて知るべし、敎戒は即上の十篇也、(夙起夜寐より、子孫敎戒まで、)序品は即ち此篇なり、素水の刻本に子孫敎戒の末に武敎小學終とあるは非なり、吾家の藏本に此五字なきを善とす、若し强て此五字を置んと欲せば、惣目錄の末に移すべし、抑惣目錄を以て武敎の大綱、及び先師の學則を窺ふべし、窃かに按ずるに、先師の學は博より約に入る者にして、其學則に至ては約より博に達する如くしたる者なり、學者博約の際に於て得るとあれば、左右原に逢ふ何の疑かあらん、先づ先師の博を知らんとならば一部の語類を讀ても知るべし、而して、其約は乃ち聖敎要錄にあり、是經術の博約を云、其兵法に於るを見んとならば、末書結要本雌鑑雄鑑用法より漢土諸家の說を約し、雄備集となし、武敎要錄となし、更に約して武敎全書となす、然ども、學者尙其約を知らざらんとを恐れて、門下の諸子乃ち惣目錄を編する也、若し夫れ全書中編々自ら博あり約あり、而して、其最も約なるは、全部の歸宿は序段の謀畧、智畧、計策、戰法、の三戰にある是也、是を以て先師の學則を知るべし、學者荷も全部を精究し、然る後孫吳尉李の書に及び、又和漢古今の典籍を博覽し、本末を尋ね、源流を窮る時は、經史子集幾萬卷の書、皆全書八卷の註脚にして、即ち謀智計三戰の註脚となり、更に約して吾方寸の外に出るとなきを知らん、是を學の極功とす、余素より此見を持す、嘉永戊申歲明倫館再興の時諸學藝皆等級の次第を定め試業に便すべきの旨あり、就中、兵學は一騎前將略等を以て是を分つべしとのと也、余乃ち四等を定む、初等は幼童句讀の科なり、
現代語訳
この一篇は『小学』の終篇とすべきです。別に一巻と思ってはいけません。その証拠は、自序に「門人らが輯録した武教小学は、初めにその教戒を著し、終わりにその序品を次ぐ」とあることでわかります。教戒とは、すなわち上の十篇(夙起夜寐から子孫教戒まで)です。序品とは、すなわちこの篇です。素水の刻本に、子孫教戒の末に「武教小学終」とあるのは誤りです。わが家の蔵本にこの五字がないのを善しとします。もし無理にこの五字を置こうとするなら、惣目録の末に移すべきです。そもそも惣目録によって、武教の大綱、および先師の学則をうかがうことができます。ひそかに考えますに、先師の学は、博から約に入るものであり、その学則に至っては、約から博に達するようにしたものです。学ぶ者が博約の際に得るところがあれば、左右どちらに行っても源に出会うのに、何の疑いがありましょう。まず先師の博を知ろうとするなら、『語類』一部を読んでも知ることができます。そしてその約は、すなわち『聖教要録』にあります。これは経術の博約を言うのです。その兵法についてのものを見ようとするなら、末書の結要本、雌鑑・雄鑑・用法から、漢土の諸家の説を約して『雄備集』とし、『武教要録』とし、さらに約して『武教全書』としたものです。しかし、学ぶ者がなおその約を知らないことを恐れて、門下の諸子が惣目録を編んだのです。そもそも全書の中は、編ごとにおのずから博があり約があります。そしてその最も約なるものは、全部の帰着するところである、序段の謀略・智略・計策・戦法の三戦にあります。これによって先師の学則を知ることができます。学ぶ者が、いやしくも全部を精しく究め、その後に孫・呉・尉・李の書に及び、また和漢古今の典籍を広く見て、本末を尋ね、源流を窮める時は、経・史・子・集の幾万巻の書は、みな全書八巻の註脚となり、すなわち謀・智・計の三戦の註脚となり、さらに約すれば、私の方寸の外に出ることはないと知るでしょう。これを学の極功とします。私はもとよりこの見解を持っています。嘉永戊申の歳、明倫館再興の時、諸学芸はみな等級の次第を定め、試験に便利にするようにとの旨がありました。中でも兵学は、一騎前・将略などで分けるべきだとのことでした。そこで私は四等を定めました。初等は幼童の句読の科です。
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・惣目錄・等級に分けた学びと武教の大意中等は先師の書を講窮するの科也、此等更に二科を分ち、畧長沼氏傳授の意に倣ひ、(余曾て長沼氏の兵要錄を藩士山田含章參翁に受くる)小學及び侍用武功撰功法令斥候を以て一騎前の學とし、全書一部を通じて研究するを主道將略の學とす、初中二等は乃ち所謂約なり、上等は諸家涉獵の科にして、乃ち所謂博なり、最上等は諸家の博を窮め全書の約に反る科にして、所謂左右原に逢ふの地位に至り、兵學の大成する所なり、(四等の詳說は余當時等級次第を著して是を辨ず、就て見るべし、)博約の說は孔孟以來已に揭て學則とす、孔子曰、君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫、(雍也及び顏淵篇)顏淵曰、夫子循々然善誘人、博我以文、約我以禮、(子罕篇)孟子曰、博學而詳說之、將以反說約也、(離婁下篇)孔孟の說斯のくにして、孟子反說の意尤も味ふべし、是余が先師の學則を窺ふ所なり、又武敎の大綱目錄にて如略見るべしと云者は、凡そ先師の用意は專ら篇次にあり、故に目錄を以て篇次を玩て其大綱を知るべし、李衞公攻守を論じて云、大而言之爲君之道、小而言之爲將之法、又云く、攻其心者、所謂知彼者也、守吾氣者、所謂知己者也、(問對下に見ゆ、原文を拔て其精義を味ふべし、)故に武敎は修身、齊家、治國、平天下より初め、戰勝攻守の術に至まで包ざることなし、天子諸侯より一士一卒に至る迄學で不可なるあるなし、是其大意也、近世談兵家是を知らずして、異端曲說に陷るの弊は自序是を詳論す、其處にて尙も講ずべし、又武敎の外に更に儒道も經術もあることなし、儒道經術は皆武敎中の事也、此論は序段の首、題號の武敎を講ずる所にて云べし、上に云如く、修齊治平、戰勝攻取、君道、將法、士卒の事、
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『武教講録』・惣目錄・武教全書の篇次に見る組織づくりの順序皆此八冊に括て、一篇の目錄又八冊を括する也、篇次の大意を云はど、序段は謀略、智略、計策の三つにて、全部の歸宿する所を約說して篇首に置く者なり、孫子始計篇と全く相表裡して古今數ある大文字也、余を以て是を窺へば一篇の大學に比するに更に著實該備を覺ふ、主本是全書の首篇也、專ら治平の道を論ず、全書を讀ん者此篇を讀で、兵は人主の大道にして一士一卒の私言に非ることを悟り、慨然として國天下を以て自ら任すべし、是根本也、其次は撰將也、天下の大人主一人の能自ら治む所に非ず、故に必ず賢財を選て諸事を分治す、是撰將也、已に將あり、其次は平士を選用すへし、是用士也、(用士の義余別に說あり、本篇にて云べし、今姑く舊說に從ふ、)將あり士あり、是に於て其職制を詳論す、是武者分也、制法は是金鼓旌旗の制法を論ず、撰功は是戰士の功過を議す、並に皆平素に設くべきことなれば內習の前に置く、而して更に內習あり、其次は軍禮法令是れ平素に設くべきことなれば內習の後に置く也、以上九篇皆人事の最急なる者、而して主本は全部の骨子最も九篇の骨子なり、撰將用士武者分是に隸す、後五篇中內習を主とす、而內習又明かに主本に原づく、九篇已に人事を言ふ、其次乃ち天官地形を論じ、兵の助けを知らしめ、斥候侍用武功用間、其事は乃ち一士一卒の任にして、其用は乃ち主の方寸に存す、且主の士卒を敎育する其術多端と云ども、小學の外、此三篇及び上の撰功法令等を以てする固なり、故に余向に等級を作り、一騎前の學を揭示するに此數篇を以てす、是亦由らしむるの法にして知らしむるの道に非ず、(論語泰伯篇、民可使由之、不可使知之、)豪傑の士眞に善く此書を讀む時は、自ら全書篇次の旨と余等級の次序と並び行れて戻らざるを知らん、
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『武教講録』・惣目錄・平素と変事を貫く三つの備え練陣、行軍、營法、城築、四つの者は是を平素に設て是を臨變に施す者にて、動靜を包ね躰用を兼る也、用間以上は多は是平素の事也靜也躰也、客戰以下は多は是臨變の事也動也用也、此四篇正に其中間に置く其意知るべし、然靜中動あり、動中靜あり、躰中用あり、用中躰あり、平素臨變互に其功用を見る、故に已に其分別あるを知らば又其合一なるを悟るべし、客主以下十六戰、其先後の次序備さに妙思を藏す、今悉く述るに暇あらず、姑く其最重の者を云はど客主二篇にあり、而して主を後にして客を先ずる者、舊來其說を傳ふ極て道理あり、凡そ退守の法は進取の畧なくては萬々出來ぬとなり、當今の時に當り、砲臺を築き砲門を鑄て、海岸防禦異賊手當など罵る位の怯懦にては、迚も神州の保全は出來ぬなり、早く偸安の習を止め、四夷出征の策を定めずんばあるべからず、是客主先後の義にして、攻守の先後其他毎篇中往々其意を見る、是固より人主の任也、乃ち一士一卒と云ども、此書を讀み此旨を悟らば、人主に謁見して鄙見を獻納し、其萬一を裨補するとを思ふべし、戰法は是れ十六戰の精義乃全部の精義、序段と對照して躰用動靜並に其深意を悟らば、人主の道是に於て大に備れりと云べし、兵具の一篇器械醫療の雜事全部の漏闕を補ふて附錄とす、亦一騎前學の流裔なり、全書中凡て是等の枝葉の事に及ぶ者は、皆專門の材を養て其用に供するの端を發するなり、自序に論ずる所を考よ、抑序段の謀畧は知己也、智畧は知彼也、計策は應變也、是を全部にて論ぜば、城築以上は謀畧なり、客戰以下は計策なり、其間斥候用間等は專ら智畧を說なり、是其大概にて、其實は篇々此三つの者あり、心を付べし、丙辰臘月念二日具稿
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『武教講録』・燕居・閑居の時間に鍛える三つの務め小學の書、首篇を綱とす、以下八篇大氏其目なり、而して此篇特に首篇中より燕居の士を抜出して詳に是を論ず、八篇中に在ては又其要たり、凡そ武士一日の事、諸士に謁し賓客に對するの外、武藝を習ひ、武義を論じ、武器を閲するの三事に過さず、武士誠に此三事を以て日々の常職とせば、武士たらざらんと欲すと雖ども得べからず、其才不才智不智に至ては强て論ずるに足らず、抑余仰で今公の政敎を察するに、一號一令悉く此三事に非るはなし、就中、學政更張、武備修理の擧に至ては、其旨最も昭々にして、闔藩の士孰か是を知らざらん、然るに尙或は閑居の士ありて往々不善を爲し、政敎を害し、罪戾に陷る者あり、實に慙懼に堪ざる事共なり、是人々自ら省察悛改せずんば明君に負くも亦甚しからずや、三事中武藝を習ふは技藝を功にして名譽を求むるに非ず、手足を自由にし、骨節を便利にし、身輕く體馴て、只今にても戰塲に臨み、刺擊の接戰に差支るとなき如く、夜白に修鍊するとなり、今世の武藝は一種遊戲の花法となる者多し、身を戰塲に置て瞑目工夫するに非ずんば、何ぞ其遊戲たるを知らんや、武義を論ずるは固より書を拔て講讀すると也、然ども、讀書の弊最も多し、或は異俗を慕ひ、或は時勢に阿り、或は浮華に趨り、或は文柔に流るゝの類枚擧に堪へず、
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『武教講録』・武敎小學序・士道と国体を幼い頃から心がける此序の大主意を能々呑込給へ、是にて士道も國體も其梗槩を得べし、先づ士道と云は、無禮無法粗暴狂悖の偏武にても濟まず、記誦詞章浮華文柔の偏文にても濟まず、眞武眞文を學び、身を修心を正ふして、國を治め天下を平にすると、是士道也、國體と云は、神州は神州の體あり、異國は異國の體あり、異國の書を讀めば兎角異國の事のみを善と思ひ、我國をば却て賤みて異國を羨む樣に成行くと、學者の通患にて、是神州の體は異國の體と異なる譯を知らぬ故也、故に晦菴の小學にて、前に云士道は大氏知れたれども、是は唐人の作りたる書ゆへ、國體を辨ぜずして遽かに讀むときは、同じく異國を羨み我國體を失ふ樣に成行くとを免がれざるを、先師深く慮り給ふ、是武敎小學を作る所以也、是を以て國體を考ふべし、扨其士道國體は甚切要の事なれば、幼年の時より心掛させ工夫さすべきと、是小學の本意にて、詰り志人仁人と成る樣にとの敎誡なり、是此序の大意、即ち此書の大意也、士無農工商之業而爲三民之長と云所へ深く工夫を凝し給へ、此意味孟子にも論じてあり、盡心上篇に云く、公孫丑曰、詩曰、不素餐兮、君子之不耕而食何也、孟子曰、君子居是國也、其君用之安富尊榮、其子弟從之則孝弟忠信、不素餐兮孰大於是、又云く、王子塾問曰、士何事、孟子曰、尙志、曰、何謂尙志、曰、仁義而已矣、と余曾て講孟餘話中に於て畧是を辨ず、又士は主將士へ係るとなるが、平士を以て治國平天下を任ずると過僭の樣に聞ゆれども、論語にも友于兄弟施於有政是亦爲政と云とあれば、一家と國天下と原是一串の事也、
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『武教講録』・自序・不備を恐れず講義の要点を書き留める余、家學を襲し、幼より山鹿先師の書を讀み、今日に至る、然ども、材力薄劣、思慮膚淺、能く其精義を發明すると能はず、頃ろ、親戚子弟の請に應じ、武敎全書を把て畧講一過す、其間自ら戒しめ又子弟に綣綣する所以の者と、兵勢事務的切緊要の論とは、他日放失あらんことを慮り、皆存錄して考索に備へ、且後來發明の基となさんと欲するなり、其一を擧て百を廢する如きは、是固より全を要するの書に非れば、敢て他人の笑罵を辭せざる所也、

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