武教講録 / 子孫敎戒・教育は上から始め、誰も遊ばせない
(太平御覽、卷八百二十六、資產部に因て引く、原文は食貨志にあるかと覺ゆ、尙攷ふべし、)益もあるべし、又更に進で是を云はゞ、周南召南の化も關雎葛覃の風に原くとなれば、女敎の本は恐ながら君公の後宮より始むべし、後宮へ貞節にして學問あると、曹大家や宋若昭の如き婦女を得て女官となし、(宋若昭は唐書后妃傳に見ゆ、若莘は其姉なり、女論語を著すこと又同傳に見ゆ、〇聞く米澤の法、後宮の女中は悉く藩士の女子、醜面又は片輪者にて、婚嫁の成難き者を用ひらる、絕て氏素姓の詳ならざる都會賤人の女色を以て進む者なしと、是又合せ考ふべし、)古昔諸侯の夫人蠶繰して衣服を爲り、(孟子滕文公下)自ら宗廟の盛を舂く、(楚語觀射父の語)等の故事を考究し、儉勤貞靜を以て一國の女敎を率ゆべし、凡そ生を天地間に稟る者、貴となく賤となく男となく女となく、一人の逸居すべきなく、一人の無敎るべきなし、然る後、初て古道に合ふと云ふべし、今の有司何ぞ此議を建白して施行せざる、有志の士幸に其當否を正せ、
新字:(太平御覧、巻八百二十六、資産部に因て引く、原文は食貨志にあるかと覚ゆ、尚攷ふべし、)益もあるべし、又更に進で是を云はゞ、周南召南の化も関雎葛覃の風に原くとなれば、女教の本は恐ながら君公の後宮より始むべし、後宮へ貞節にして学問あると、曹大家や宋若昭の如き婦女を得て女官となし、(宋若昭は唐書后妃伝に見ゆ、若莘は其姉なり、女論語を著すこと又同伝に見ゆ、〇聞く米沢の法、後宮の女中は悉く藩士の女子、醜面又は片輪者にて、婚嫁の成難き者を用ひらる、絶て氏素姓の詳ならざる都会賤人の女色を以て進む者なしと、是又合せ考ふべし、)古昔諸侯の夫人蠶繰して衣服を為り、(孟子滕文公下)自ら宗廟の盛を舂く、(楚語観射父の語)等の故事を考究し、倹勤貞静を以て一国の女教を率ゆべし、凡そ生を天地間に稟る者、貴となく賤となく男となく女となく、一人の逸居すべきなく、一人の無教るべきなし、然る後、初て古道に合ふと云ふべし、今の有司何ぞ此議を建白して施行せざる、有志の士幸に其当否を正せ、
書き下し
(太平御覽、卷八百二十六、資產部に因て引く、原文は食貨志にあるかと覺ゆ、尙攷ふべし、)益もあるべし、又更に進で是を云はゞ、周南召南の化も關雎葛覃の風に原くとなれば、女敎の本は恐ながら君公の後宮より始むべし、後宮へ貞節にして學問あると、曹大家や宋若昭の如き婦女を得て女官となし、(宋若昭は唐書后妃傳に見ゆ、若莘は其姉なり、女論語を著すこと又同傳に見ゆ、〇聞く米澤の法、後宮の女中は悉く藩士の女子、醜面又は片輪者にて、婚嫁の成難き者を用ひらる、絕て氏素姓の詳ならざる都會賤人の女色を以て進む者なしと、是又合せ考ふべし、)古昔諸侯の夫人蠶繰して衣服を爲り、(孟子滕文公下)自ら宗廟の盛を舂く、(楚語觀射父の語)等の故事を考究し、儉勤貞靜を以て一國の女敎を率ゆべし、凡そ生を天地間に稟る者、貴となく賤となく男となく女となく、一人の逸居すべきなく、一人の無敎るべきなし、然る後、初て古道に合ふと云ふべし、今の有司何ぞ此議を建白して施行せざる、有志の士幸に其當否を正せ、
現代語訳
(『太平御覧』巻八百二十六、資産部に引くところによる。原文は『食貨志』にあるかと思う。なお考えるべきである。)益もあるでしょう。さらに進めて言えば、周南・召南の教化も、関雎・葛覃の風に基づくというのですから、女教の本は、恐れながら、君公の後宮から始めるべきでしょう。後宮に、貞節で学問のある、曹大家や宋若昭のような婦女を得て女官とし(宋若昭は『唐書』后妃伝に見える。若莘はその姉である。『女論語』を著したこともまた同伝にある。〇聞くところでは、米沢の法では、後宮の女中は、ことごとく藩士の女子で、醜い顔や身体の不自由な者のため婚嫁が成り難い者を用いるとのことで、絶えて氏素姓の詳しくない都会の賤しい人の女色をもって進む者はないという。これもあわせ考えるべきである)、古代の諸侯の夫人が蚕を飼い糸を繰って衣服を作り(『孟子』滕文公下)、自ら宗廟の供物の米を舂いた(『楚語』観射父の言)などの故事を考え究めて、倹約・勤勉・貞淑・静謐をもって一国の女教を率いるべきです。およそ生を天地の間に受けた者は、貴賤、男女を問わず、一人として怠けて暮らしてよい者はなく、一人として教えないままにしてよい者はありません。その後に初めて、古道に合うと言えます。今の役人は、どうしてこの議を建白して施行しないのでしょうか。志ある士には、どうかその当否を正してほしいと思います。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 干犨、死を請う城之を射て、殪(たふ)す。張匄殳を抽きて下る。之を射て、股を折る。扶伏して之を擊ち、軫を折る。又之を射て、死す。干犨一矢を請ふ。城曰く、「余汝を君に言はん」と。對へて曰く、「伍乘に死せざるは、軍の大刑なり。刑を干して子に從ふとも、君焉んぞ之を用ゐん。子速やかにせよ」と。乃ち之を射て、殪す。大いに華氏を敗り、諸を南里に圍む。華亥膺を搏ちて呼び、華貙に見えて曰く、「吾欒氏と為れり」と。貙曰く、「子我を迋(おど)す無かれ。不幸にして後に亡げん」と。華登をして楚に如きて師を乞はしむ。華貙車十五乘・徒七十人を以って、師を犯して出で、睢上に食し、哭して之を送り、乃ち復た入る。楚の薳越師を帥ゐて、將に華氏を逆へんとす。大宰犯諫めて曰く、「諸侯唯だ宋のみ其の君に事ふ。今又國を爭ふ。君を釋てて臣を是れ助くるは、乃ち不可なる無からんや」と。王曰く、「而(なんぢ)我に告ぐるや、後れたり。既に之を許せり」と。
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『呻吟語』内篇・修身・兩條の路のみ君子の持循する所は、只だ兩條の路有るのみ。先聖の成規に非ざれば、則ち時王の定制なり。此の外は悉く邪なり、俗なり。君子は由らず。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・喧嘩なら堂々とやれかくて彼等は多大の名誉と特権との寵遇を受くると共に、又た多大の責任あるを自覚し、乃ち各自の態度行為を律すべき規準法度を要とするに至れり。いわんや彼等の干戈を交へ、矢石の間に見ゆるを常とせしより、其要を感ずること、更に深甚なるものありしをや。たとへば医士が其徳義たる医戒を守りて、競争に制限を置き、状師もし同業の徳義を破らんか、自から名誉の法廷に被告たらざるべからざるが如く、武士にして、もし悖徳不義の行跡を敢てするものあらば、之に対して必ずや最後の制裁を下すべき権能を欠くべからざるものなりとしたり。喧嘩なら堂々とやれ。此の蛮野幼稚なる原始的観念の裡、大に壮剛なる道義の萌芽を含み、且つ凡て文徳武徳の根帯を成すものにあらざるなきか。
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『春秋左氏伝』文公十八年 莒僕を逐う莒の紀公、大子僕を生み、又季佗を生む。季佗を愛して僕を黜け、且つ多く無禮を國に行ふ。僕國人に因りて以って紀公を弒し、其の寶玉を以って來奔し、諸を宣公に納る。公命じて之に邑を與へしめて曰く、「今日必ず授けよ」と。季文子司寇をして諸を竟に出ださしめて曰く、「今日必ず達せよ」と。公其の故を問ふ。季文子大史克をして對へしめて曰く、「先大夫臧文仲、行父に君に事ふるの禮を教ふ。行父奉じて以って周旋し、敢へて失隊せず。曰く、『其の君に禮有る者を見ては之に事ふること、孝子の父母を養ふが如くせよ。其の君に禮無き者を見ては之を誅すること、鷹鸇(ようせん)の鳥雀を逐ふが如くせよ』と。先君周公周禮を制して曰く、『則は以って德を觀、德は以って事に處し、事は以って功を度り、功は以って民に食(し)ましむ』と。誓命を作りて曰く、『則を毀つを賊と為し、賊を掩ふを藏と為し、賄を竊むを盜と為し、器を盜むを姦と為す。藏の名を主とし、姦の用に賴るは、大凶德為り、常有りて赦す無く、九刑に在りて忘れず』と。行父還(めぐ)りて莒僕を觀るに、則とす可き莫きなり。孝敬忠信を吉德と為し、盜賊藏姦を凶德と為す。夫れ莒僕、則ち其の孝敬は、則ち君父を弒せり。則ち其の忠信は、則ち寶玉を竊めり。其の人は、則ち盜賊なり。其の器は、則ち姦兆なり。保ちて之を利とすれば、則ち藏を主とするなり。以って訓ふれば則ち昏く、民則とする無し。善に度らずして、皆凶德に在り、是を以って之を去る。
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『呻吟語』内篇・修身・微端の開く可からず禮義の大防は、眾人一念の苟に壞る。譬へば徑に由るの人の如し。只だ一時の倦みの為に行くこと幾步、便ち平地に一條の蹊徑を踏み破る。後來の人舊跡を跟尋し、踵ぎて塞ぐ可からざるの大道と成る。是を以て君子は眾人の驚く所の事に當たりても略ぼ動容せず、才かに禮義上に些須を干礙すれば、便ち愕然として色を變ずること、大刑憲に觸るるが若くす。大防の潰す可からずして、微端の開く可からざるを懼るればなり。
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『呻吟語』内篇・談道・禮の世に於けるや大なる哉禮教大いに明らかなれば、中に禮を犯す者一人有らば、則ち眾以て肆なりと為して容るる所無し。禮教明らかならざれば、中に禮を守る者一人有らば、則ち眾以て怪なりと為して容るる所無し。禮の世に於けるや大なる哉。

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