武教講録 / 子孫敎戒・良書を探し欠点があっても採る
余上に論ずる所を以て叔父玉先生に質す、先生擊節して云く、女敎の說極て是なり、余固より玆に志あり、因て往年、伊勢人津坂孝綽の武家女鑑三卷を買得て家に藏す、此書甚だ佳なり、婦女の爲に是を讀むに感激せざるはなしと、因て乞て一讀するに、其文其撰全く余が意を獲たり、孝綽の序に因て知る、姫鑑の書は乃ち中村惕齊先生の著す所にて、異邦古代の人を擧げ、本邦の事に至ては僅々附見するのみと見へたり、然れば、婦人女子を敎諭するには稍迂濶なるべし、然ども、惕齊は一時の純儒なれば定て裨益多きの書なるべし、未だ見ざるを惜む、又瀨能氏(吾同邑藏書に寓む人)所藏の本朝列女傳十卷を借讀す、寬文明曆の際、黑澤弘忠と云人の著、后妃夫人に始り、奇女神女に終る、通計二百一十七人を載す、亦備れりと云べし、但し其文漢樣に模して甚だ工ならず、載する所正道に詭ふ者多し、又異端に陷る者あり、怪妄に屬する者あり、然ども採擇は其人に存す、又何ぞ其文の拙を嫌んや、且其間評論に至て補益ある者多し、何ぞ遽かに輕視するとを得んや、此種の書尙廣く需むべし、
新字:余上に論ずる所を以て叔父玉先生に質す、先生撃節して云く、女教の説極て是なり、余固より玆に志あり、因て往年、伊勢人津坂孝綽の武家女鑑三巻を買得て家に蔵す、此書甚だ佳なり、婦女の為に是を読むに感激せざるはなしと、因て乞て一読するに、其文其撰全く余が意を獲たり、孝綽の序に因て知る、姫鑑の書は乃ち中村惕斉先生の著す所にて、異邦古代の人を挙げ、本邦の事に至ては僅々附見するのみと見へたり、然れば、婦人女子を教諭するには稍迂濶なるべし、然ども、惕斉は一時の純儒なれば定て裨益多きの書なるべし、未だ見ざるを惜む、又瀨能氏(吾同邑蔵書に寓む人)所蔵の本朝列女伝十巻を借読す、寛文明暦の際、黒沢弘忠と云人の著、后妃夫人に始り、奇女神女に終る、通計二百一十七人を載す、亦備れりと云べし、但し其文漢様に模して甚だ工ならず、載する所正道に詭ふ者多し、又異端に陥る者あり、怪妄に属する者あり、然ども採択は其人に存す、又何ぞ其文の拙を嫌んや、且其間評論に至て補益ある者多し、何ぞ遽かに軽視するとを得んや、此種の書尚広く需むべし、
書き下し
余上に論ずる所を以て叔父玉先生に質す、先生擊節して云く、女敎の說極て是なり、余固より玆に志あり、因て往年、伊勢人津坂孝綽の武家女鑑三卷を買得て家に藏す、此書甚だ佳なり、婦女の爲に是を讀むに感激せざるはなしと、因て乞て一讀するに、其文其撰全く余が意を獲たり、孝綽の序に因て知る、姫鑑の書は乃ち中村惕齊先生の著す所にて、異邦古代の人を擧げ、本邦の事に至ては僅々附見するのみと見へたり、然れば、婦人女子を敎諭するには稍迂濶なるべし、然ども、惕齊は一時の純儒なれば定て裨益多きの書なるべし、未だ見ざるを惜む、又瀨能氏(吾同邑藏書に寓む人)所藏の本朝列女傳十卷を借讀す、寬文明曆の際、黑澤弘忠と云人の著、后妃夫人に始り、奇女神女に終る、通計二百一十七人を載す、亦備れりと云べし、但し其文漢樣に模して甚だ工ならず、載する所正道に詭ふ者多し、又異端に陷る者あり、怪妄に屬する者あり、然ども採擇は其人に存す、又何ぞ其文の拙を嫌んや、且其間評論に至て補益ある者多し、何ぞ遽かに輕視するとを得んや、此種の書尙廣く需むべし、
現代語訳
私は上に論じたところを、叔父の玉先生に質しました。先生は膝を打って言いました。「女教の説は、きわめて正しい。私はもともとこれに志がある。それで先年、伊勢の人、津坂孝綽の『武家女鑑』三巻を買い求めて家に蔵している。この書はたいへんよい。婦女のためにこれを読めば、感激しない者はない」と。そこで乞うて一読しましたところ、その文もその選び方も、まったく私の意を得たものでした。孝綽の序によって知ったことには、『姫鑑』の書は中村惕斎先生の著したもので、異国の古代の人を挙げ、本邦のことはわずかに付記されているだけのようです。そうであれば、婦人・女子に教え諭すには、やや遠回りでしょう。しかし、惕斎は当時の純粋な儒者ですから、きっと益の多い書でしょう。まだ見ていないのが惜しいです。また、瀬能氏(私の同じ町に寄寓して蔵書を持つ人)所蔵の『本朝列女伝』十巻を借りて読みました。寛文・明暦のころ、黒沢弘忠という人の著で、后妃・夫人に始まり、奇女・神女に終わり、通計二百十七人を載せています。これもまた備わっていると言うべきです。ただ、その文は漢文風に似せてあまり巧みではありません。載せるところに正道に外れるものが多く、また異端に陥るもの、怪しげで荒唐無稽なものもあります。しかし採り選ぶことはその人にかかっています。どうしてその文の拙さを嫌うことがありましょう。しかもその間の評論には、補益になるものが多く、どうして軽々しく見ることができましょう。この種の書は、さらに広く求めるべきです。
解説
この章句が説くこと
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『武教小学』子孫敎戒(二)是れ古の法なり。)然れども或いは記誦に陥り、或いは詞章を玩べば、則ち倭俗を忘れて漢様を欲す。(婚冠喪祭衣服言語、必ず漢俗に模せんと欲するは、是れ泥着の致す所なり。)明道曰く、凡百の玩好は皆志を奪う。書札に至るまで、好に向かいて着すれば、亦自ら志を喪う、云云、と。人に気稟の異有り。故に其の軽重清濁を考え、習い馴れしむ。言語已に通ずれば、則ち師を選び友を考え、人品の下に到らしむること勿れ。(康節邵先生、子孫を戒めて曰く、上品の人は、教えずして善し。中品の人は、教えて後に善し。下品の人は、教えても亦善からず。教えずして善きは、聖に非ずして何ぞ。教えて後に善きは、賢に非ずして何ぞ。教えても亦善からざるは、愚に非ずして何ぞ、と。)師弟の相接するは、尤も敬恭す可し。兵書武冊は、汚席に置く可からず。盥漱して之を披く。師を貴ぶこと父兄の如くす。(父兄は、天然の序なり。師は我を導き、道義に到らしめ、五倫の明らかなるを知らしむ。其の恩情至って厚し。豈に忽にするが如くならん平。我士と為りて、武書武事を軽んずる者は、志士に非ざるなり。)凡そ女子の教戒は、甚だ以て慎む可し。其の法多く儒弱を以て教えと為す。大いに誤りなり。士の妻室たる者は、士常に朝に在りて、内を知らず。故に夫に代わりて家業を戒む。豈に儒弱を以てせん平。夫れ男は内を知らず、女は外を言わず。宮室の為に内外を弁ず。(内則に曰く、礼は夫婦に始まる。宮室の為に内外を弁ず、云云。)男女の為に椸枷を同じくせず、敢えて夫の楎椸に懸けず。舅姑の道を能くす。(皆内則の言也。

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