武教講録 / 子孫敎戒・子孫に大丈夫の志を伝える教戒
此書已に夙起夜寐を以て大綱とし、下八篇を以て其細目とす、武士の道是に至りて畧備れり、結末一篇、乃ち子孫敎戒を論ず、而して其義は大底前九篇に云へり、但前九篇の己れに行ふ者を以て是を子子孫孫永世に傳ふべしと云、是此篇の主意なり、其言に云く、我身旣沒而嗣子放僻則家絕身滅とは、何等の憂思深遠ぞや、余曾て七生說を作て云く、余不肖、存聖賢之心、立忠孝之志、以張國威、滅海賊爲己任、必也使後之人亦觀乎、余而興起至于七生而後爲可耳矣、とは實に先師の遺敎を奉ずる也、凡大丈夫と生れては、是程の志建なくては人と生れたる詮はなきとなり、今や皇道衰微し國威廢弛して、醜夷陸梁すと雖ども、安ぞ堂々たる神國の斯の如にて終る者あらんや、然れば、吾儕蟲螭の微と雖ども、武道を講窮して其時を待んには、天地神明などか其心を照覽し給はざらめや、子孫の敎戒は云迄もなきと也、推て宗族鄕里の子弟に至るまで、吾丹心精血を瀝て其肺腑に徹し、其天性の良智を感發せしめ、彌次に繼ぎ繼ぎて千萬世絕ゆるとなくせざるべけんや、扨其敎戒の大本武道の眼目は、大丈夫となると也、大丈夫の事は、孟子にて善知れてあり、何分富貴にて淫し、貧賤にて移り、威武にて屈する人にては事に臨て何の恃み共ならぬ也、何ぞ國威を張り海賊を滅するの任に堪へんや、而して、此事易きに似て甚だ難し、余が安藝の浮屠師、默霖史狂子に心服するは實に此事のみ、凡そ淫と移と屈とには人人に因て淺深輕重あり、其淺者輕者に至ては、已に共に語るべく共に道に進むべきの人也、又自然に出るあり、勉强に出るあり、自然に出る者は輙く得べからず、其次は勉强に出る者前路賴母しき人なり、余和漢古今を歷觀するに、忠臣孝子何ぞ甚多きや、然ども、大丈夫の三字を以て是を括するに足る、然れば、士者以大丈夫爲勇と云と、日夜朝暮に姑くも忘るべきとに非ず、豈敎戒の大本武道の眼目に非ずや、
新字:此書已に夙起夜寐を以て大綱とし、下八篇を以て其細目とす、武士の道是に至りて略備れり、結末一篇、乃ち子孫教戒を論ず、而して其義は大底前九篇に云へり、但前九篇の己れに行ふ者を以て是を子子孫孫永世に伝ふべしと云、是此篇の主意なり、其言に云く、我身既没而嗣子放僻則家絶身滅とは、何等の憂思深遠ぞや、余曽て七生説を作て云く、余不肖、存聖賢之心、立忠孝之志、以張国威、滅海賊為己任、必也使後之人亦観乎、余而興起至于七生而後為可耳矣、とは実に先師の遺教を奉ずる也、凡大丈夫と生れては、是程の志建なくては人と生れたる詮はなきとなり、今や皇道衰微し国威廃弛して、醜夷陸梁すと雖ども、安ぞ堂々たる神国の斯の如にて終る者あらんや、然れば、吾儕虫螭の微と雖ども、武道を講窮して其時を待んには、天地神明などか其心を照覧し給はざらめや、子孫の教戒は云迄もなきと也、推て宗族郷里の子弟に至るまで、吾丹心精血を瀝て其肺腑に徹し、其天性の良智を感発せしめ、弥次に継ぎ継ぎて千万世絶ゆるとなくせざるべけんや、扨其教戒の大本武道の眼目は、大丈夫となると也、大丈夫の事は、孟子にて善知れてあり、何分富貴にて淫し、貧賤にて移り、威武にて屈する人にては事に臨て何の恃み共ならぬ也、何ぞ国威を張り海賊を滅するの任に堪へんや、而して、此事易きに似て甚だ難し、余が安芸の浮屠師、黙霖史狂子に心服するは実に此事のみ、凡そ淫と移と屈とには人人に因て浅深軽重あり、其浅者軽者に至ては、已に共に語るべく共に道に進むべきの人也、又自然に出るあり、勉強に出るあり、自然に出る者は輙く得べからず、其次は勉強に出る者前路頼母しき人なり、余和漢古今を歴観するに、忠臣孝子何ぞ甚多きや、然ども、大丈夫の三字を以て是を括するに足る、然れば、士者以大丈夫為勇と云と、日夜朝暮に姑くも忘るべきとに非ず、豈教戒の大本武道の眼目に非ずや、
書き下し
此書已に夙起夜寐を以て大綱とし、下八篇を以て其細目とす、武士の道是に至りて畧備れり、結末一篇、乃ち子孫敎戒を論ず、而して其義は大底前九篇に云へり、但前九篇の己れに行ふ者を以て是を子子孫孫永世に傳ふべしと云、是此篇の主意なり、其言に云く、我身旣沒而嗣子放僻則家絕身滅とは、何等の憂思深遠ぞや、余曾て七生說を作て云く、余不肖、存聖賢之心、立忠孝之志、以張國威、滅海賊爲己任、必也使後之人亦觀乎、余而興起至于七生而後爲可耳矣、とは實に先師の遺敎を奉ずる也、凡大丈夫と生れては、是程の志建なくては人と生れたる詮はなきとなり、今や皇道衰微し國威廢弛して、醜夷陸梁すと雖ども、安ぞ堂々たる神國の斯の如にて終る者あらんや、然れば、吾儕蟲螭の微と雖ども、武道を講窮して其時を待んには、天地神明などか其心を照覽し給はざらめや、子孫の敎戒は云迄もなきと也、推て宗族鄕里の子弟に至るまで、吾丹心精血を瀝て其肺腑に徹し、其天性の良智を感發せしめ、彌次に繼ぎ繼ぎて千萬世絕ゆるとなくせざるべけんや、扨其敎戒の大本武道の眼目は、大丈夫となると也、大丈夫の事は、孟子にて善知れてあり、何分富貴にて淫し、貧賤にて移り、威武にて屈する人にては事に臨て何の恃み共ならぬ也、何ぞ國威を張り海賊を滅するの任に堪へんや、而して、此事易きに似て甚だ難し、余が安藝の浮屠師、默霖史狂子に心服するは實に此事のみ、凡そ淫と移と屈とには人人に因て淺深輕重あり、其淺者輕者に至ては、已に共に語るべく共に道に進むべきの人也、又自然に出るあり、勉强に出るあり、自然に出る者は輙く得べからず、其次は勉强に出る者前路賴母しき人なり、余和漢古今を歷觀するに、忠臣孝子何ぞ甚多きや、然ども、大丈夫の三字を以て是を括するに足る、然れば、士者以大丈夫爲勇と云と、日夜朝暮に姑くも忘るべきとに非ず、豈敎戒の大本武道の眼目に非ずや、
現代語訳
この書(武教小学)は、すでに早く起き遅く寝ることを大綱とし、下の八篇をその細目としています。武士の道は、ここに至っておおよそ備わりました。結末の一篇が、すなわち子孫教戒を論じています。その意味は、おおむね前の九篇で言っていますが、ただ、前の九篇の、己に行うことを、子々孫々、永世に伝えるべきだというのが、この篇の主旨です。その言葉に言うには、「我が身がすでに没して、嗣子が放埒で偏っていれば、家は絶え身は滅ぶ」とは、何と憂いの深く遠いことでしょう。私はかつて七生説を作って言いました。「私は不肖ながら、聖賢の心を存し、忠孝の志を立て、国威を張り、海賊(外国船)を滅ぼすことを己の任とする。必ずや後の人にも、これを見て私のように奮い起こさせ、七たび生まれ変わるまで続けて、はじめて可とするのみ」と。これは実に先師(山鹿素行)の遺教を奉ずるものです。およそ大丈夫として生まれたからには、これほどの志がなければ、人と生まれた甲斐はないということです。今、皇道は衰え、国威は緩み、醜い夷(外国)がのさばっているといっても、どうして堂々たる神国がこのまま終わることがあるでしょうか。そうであれば、私たち虫けらのような微小な者でも、武道を講じ究めてその時を待つなら、天地神明がどうしてその心をご覧にならないことがあるでしょう。子孫の教戒は言うまでもないことです。推し広めて、一族や郷里の子弟に至るまで、私の真心と精血を注いでその肺腑に徹し、その天性の良い知恵を感じ奮い起こさせ、次々に受け継いで千万世まで絶えないようにしなければならないでしょう。さてその教戒の大本、武道の眼目は、大丈夫になることです。大丈夫のことは、孟子によくわかっています。ともかく、富貴によって堕落し、貧賤によって志を変え、威武によって屈するような人では、事に臨んで何の頼りにもなりません。どうして国威を張り海賊を滅ぼす任に堪えるでしょうか。そしてこのことは、易しいようで甚だ難しいのです。私が安芸の僧、黙霖史狂子に心服するのは、実にこの一事のみです。およそ淫・移・屈には、人によって浅深軽重があります。その浅い者、軽い者は、すでに共に語り、共に道に進むべき人です。また自然に出る者と、努力して出る者があります。自然に出る者は容易には得られません。その次の努力して出る者は、前途の頼もしい人です。私は和漢古今を通覧して、忠臣孝子が何と多いことかと思いますが、「大丈夫」の三字でこれをくくるに足ります。そうであれば、「士は大丈夫をもって勇とする」ということは、日夜朝暮、しばらくも忘れてはならないことです。どうして教戒の大本、武道の眼目でないことがありましょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武家家訓集』黒田如水教諭「子の傅をよく撰べ」一子の傅とする士の人物をよく撰ぶべし、其子細は幼少のときより、彼傅日夜付添ひ諸事を育教る故に其子平生の行跡大形傅に似するものなり、外貌のみに非ず、後には心さま迄も傅に似するものなれば大事の儀なり、此故に傅とすべきとおもふ士をば幾重にも吟味してとくと心底を見定、第一思慮有て心正直に僞なく放逸ならずして一筋に忠有ものを付置べし、但其子の生れ付に依て傅に付る者のかたきは差別有べきなり、其外付置士ともゝ此心得有べし、扨又かの傅にする者をば主人ねんごろにあひしらひ位の付樣にしてよく仕ひ樣輕くして位付ざる時は、其子心安くあひしらひ、侮る心あるによりて後には傅をないがしろにして諫言しても聞入ず、行跡不改ものなれば大事の儀なり、凡大名の子は生れ出るより平生安樂に育、難儀を見ざるゆへ下々の辛苦を不知、此故に人の仕樣あらく下の困みを知らずして人を不憐上一人の故に多くの人民をなやます事多し、初め小身にして次第に立身し後に大身に成てさへ無道なれば其時々の勢にまかせて小身なる時の難儀不自由を忘て末のいたみをも忘るもの成に、まして大名の子に生れては其心かしこけれども下々の苦しみ難儀をかつて不知ものなれば、能々此心得なくては諸士又は民百姓に至までつかれ困しみ難儀に及ぶものなり深く思慮すべき事なり、
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史記 伯夷列伝夫れ学ぶ者には載籍(書籍)極めて博きも、猶ほ信を六芸に考ふべし。詩・書は缺くると雖も、然れども虞・夏の文は知る可きなり。尭の将に位を遜らんとするや、虞舜に譲り、舜・禹の間は、岳牧咸な薦めて、乃ち之を位に試み、職を典ること数十年、功用既に興り、然る後に政を授く。天下は重器たる、王者の大統たる、天下を伝ふるの斯くの如く之れ難きを示せるなり。而るに説く者は曰く、尭、天下を許由に譲るも、許由は受けず、之を恥ぢて逃げ隠る。夏の時に及びて、卞随・務光なる者有り。此れ何を以てか称す。太史公曰く、余、箕山に登りしに、其の上に蓋し許由の冢有り、と云ふ。孔子、古の仁聖賢人を序列して、呉の太伯・伯夷の倫の如きは詳らかにす。余以へらく、聞く所の由・光の義は至高なるに、其の文辞の少しくも概見せざるは、何ぞや。
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『新書』匈奴此をして其の居処楽虞し、囷京の畜、畜は皆な其の故王に過ぎ、慮るに其の単于に出づる或いは、時時此を賜いて家と為すのみ。匈奴の一国心を傾けて冀い、人人忣忣として其の後れて来至するを惟れ恐る、将に此を以て其の腹を壊らんとす、一餌なり。来降する者に於いては、上必ず時時にして召幸する所有り、拊循して後に官に入るを得。夫れ胡の大人は親しみ難し、若し上、胡の嬰児に於いて貴人の子の好く愛す可き者を召さば、上必ず召幸すること大数十人、此が為に繍衣好閼し、且つ出ずれば則ち従い、居れば則ち更ごも侍す。上即ち胡人を饗する、大觳抵する、胡使を客する、力士、武士固より近く旁に侍し、胡の嬰児は側に近侍するを得、故に貴人更ごも進みて酒を佐くるを前に得、上乃ち幸いに自ら此の薄を御し、酒銭を付せしめ、時の人之に偶す。間を為せば則ち繍衣を出だし、帯服賓餘を具え、時に以て之に賜う。上即ち幸いに胡の嬰児を拊し、擣遒し、之を戯弄し、乃ち炙を授けて幸いに自ら之を啗らい、好衣を出だし、閑にして且つ自ら之を贛う。上起つや、胡の嬰児或いは前し或いは後し、胡の貴人既に酒を奉ずるを得て、出ずれば則ち衣を服し綬を佩び、貴人にして前に立つ、数人をして此を得て居らしむるのみ。
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『弘道館記述義』・士民・君主と世継ぎから始める教育の順序又其の本を論ずれば、則ち必ず人君を薫陶し世子を輔導するに始まる。歴く西土歴代の制を観るに、夏殷の礼は、孔子既に文献足らず徴するに足らずと歎ず、則ち後世の得て詳らかにすべき所に非ず。秦漢以降の郡県の政も亦封建の治に用ふべからず。独り周家の制は頗る今日に合ひ、又幸ひに遺経の徴すべき有り。則ち西土の道に資る者、之を舎きて何をか述べん。周の教へを設くる、其の制甚だ備はる。司徒の属は民に徳行道芸を教へ、其の賢者能者を興す。而して師保の職は門闈の学を掌り、咫尺君の告箴諫悪す。又徳行道芸を以て国子を教養す。虞書に曰く、夔に命じて楽を典り冑子を教へしむと。冑子は即ち国子なり。此に由りて之を観れば、国子を教ふるを急にするは、独り周家のみ然るに非ず。我が公の館を設くる、其の意に倣ふ。乃ち正庁の奥に就きて一室を営み、扁して至善と曰ひ、以て読書燕息の所と為す。教授提挙の府を其の傍に設け、凡そ国の貴遊の子弟其の間に周旋す。又黌舎に就きて別に一寮を設け、凡そ巨室の適子及び左右近臣の少壮者を寄宿せしめ、艱苦を諳んじ道芸を講じ、以て才徳を陶冶せしむ。又居学及び講習の寮を設け、闔国の子弟各序を以て業に就き、敢へて怠惰せず。嗚呼後嗣の君は公の志を継ぎ、克く俊徳を明らかにし以て至善の地に止まれ。其の政を任ずる者は能く周家の法を酌み、冑子の教へを忽にせざれ。而して其の学ぶ者は則ち小と無く大と無く、志を立て学を講じ、徳行道芸、或いは賢に或いは能にして、其の泯然たる者を変じ、以て文質彬彬たる君子と為さば、則ち庶はくは心を労し人を治むるの職を曠しくせざらん。
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『智囊』遠猶・商高宗商の高宗、太子たりし時、其の父小乙、嘗て久しく民間に居らしめ、小民と出入して事を同じくし、以て其の情を知らしむ。〔馮述評〕太祖は太子を教諭するに、必ず命じて備に農家を歴せしめ、その居処・服食・器用を観て、農の労苦を知らしむ。洪武の末、秀才を選び、春坊の官に随いて班を分けて入直し、前に近づきて民間の利害等の事を説かしむ。成祖は北京を巡行するに、二皇長孫をして村落を周行せしめ、農桑の事を歴観せしむ。教諭する者は宜しく以て法と為すべし。
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『智囊』辯才・觸龍左師曰く、「今より三世以前、趙王の子孫の侯と為る者に至るまで、其の継ぎて在る者有るか」。曰く、「有ること無し」。曰く、「此れ近き者は禍身に及び、遠き者は其の子孫に及ぶ。豈に人主の子、侯なれば則ち不善ならんや。位尊くして功無く、奉厚くして労無く、而して重器を挟むこと多ければなり。今、媼は長安の位を尊くし、封ずるに膏腴の地を以てし、多く之に重器を与えて、今功を趙に有らしむるに及ばず。一旦山陵崩ぜば、長安君は何を以て自ら趙に托せんや」。太后曰く、「諾。君の使する所に恣にせよ」。是に於いて長安君の為に車百乗を約し、斉に質たらしむ。斉の師乃ち出で、秦の師退く。

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