武教講録 / 與受・現場の声に質して自説を改める
初唯臆を以て云々せしなり、後范淳夫の唐鑑を讀て、千古同情なるを知り欣躍に堪へず、益々私說の理あるを信ず、淳夫の論も亦善し就て見るべし、扨宣公の奏の大意を約して云へば、總計合稅之錢、折爲布帛之數と云、是其法なり、穀帛人之所爲也、錢貨官之所爲也、と云、是其說なり、所徵非所業、所業非所徵と云ひ、一增一減耗損已多と云は、從前の弊なり、細に是を味へば、余が云ふ處宣公已に先づ是を云へり、又從前余謂らく、穀賤ければ農を傷ると云と空論なり、何となれば、穀賤ければ飢渴の患なし、且棉の値も穀に準ずる者なれば寒凍の恐れもなし、其餘の物は皆榮耀の玩物にて民生に關係するとなければ、穀賤して民間錢貨乏しと云ふとも、飢寒さへせざれば外に憂ふべきとなしと、因て此說を以て老農森田忠助に質す、忠助大に然らずと云ふ、其說に云く、當今民間御馳走の重きと甚し、往々六七にも及べり、然ども民尙勝々に太平を樂むとを得る者は、幸に米穀の値甚賤しからざるを以てのみ、若し不幸にして穀値大に下落せば、何以て金方の上納を濟すべきや、往時乙酉丙申の饑饉民變等も、御馳走の重きは今と大庭徑あるに非ず、但穀價是より前に甚下落せしを以てのみ、嗚呼危ひかなと、余是に於て豁然として穀値下落の害を悟れり、然ども上に云々する如く金方の上納を禁絕する時は最早穀値の下落を憂ひざる也、若乃ち金錢を出さしめて百姓の苗字帶刀等を免すに至ては其秕弊更に大なり、此事休まざれば貴穀賤金の風は決して興らざるなり、
新字:初唯臆を以て云々せしなり、後范淳夫の唐鑑を読て、千古同情なるを知り欣躍に堪へず、益々私説の理あるを信ず、淳夫の論も亦善し就て見るべし、扨宣公の奏の大意を約して云へば、総計合税之銭、折為布帛之数と云、是其法なり、穀帛人之所為也、銭貨官之所為也、と云、是其説なり、所徴非所業、所業非所徴と云ひ、一增一減耗損已多と云は、従前の弊なり、細に是を味へば、余が云ふ処宣公已に先づ是を云へり、又従前余謂らく、穀賤ければ農を傷ると云と空論なり、何となれば、穀賤ければ飢渇の患なし、且棉の値も穀に準ずる者なれば寒凍の恐れもなし、其余の物は皆栄耀の玩物にて民生に関係するとなければ、穀賤して民間銭貨乏しと云ふとも、飢寒さへせざれば外に憂ふべきとなしと、因て此説を以て老農森田忠助に質す、忠助大に然らずと云ふ、其説に云く、当今民間御馳走の重きと甚し、往々六七にも及べり、然ども民尚勝々に太平を楽むとを得る者は、幸に米穀の値甚賤しからざるを以てのみ、若し不幸にして穀値大に下落せば、何以て金方の上納を済すべきや、往時乙酉丙申の饑饉民変等も、御馳走の重きは今と大庭径あるに非ず、但穀価是より前に甚下落せしを以てのみ、嗚呼危ひかなと、余是に於て豁然として穀値下落の害を悟れり、然ども上に云々する如く金方の上納を禁絶する時は最早穀値の下落を憂ひざる也、若乃ち金銭を出さしめて百姓の苗字帯刀等を免すに至ては其秕弊更に大なり、此事休まざれば貴穀賤金の風は決して興らざるなり、
書き下し
初唯臆を以て云々せしなり、後范淳夫の唐鑑を讀て、千古同情なるを知り欣躍に堪へず、益々私說の理あるを信ず、淳夫の論も亦善し就て見るべし、扨宣公の奏の大意を約して云へば、總計合稅之錢、折爲布帛之數と云、是其法なり、穀帛人之所爲也、錢貨官之所爲也、と云、是其說なり、所徵非所業、所業非所徵と云ひ、一增一減耗損已多と云は、從前の弊なり、細に是を味へば、余が云ふ處宣公已に先づ是を云へり、又從前余謂らく、穀賤ければ農を傷ると云と空論なり、何となれば、穀賤ければ飢渴の患なし、且棉の値も穀に準ずる者なれば寒凍の恐れもなし、其餘の物は皆榮耀の玩物にて民生に關係するとなければ、穀賤して民間錢貨乏しと云ふとも、飢寒さへせざれば外に憂ふべきとなしと、因て此說を以て老農森田忠助に質す、忠助大に然らずと云ふ、其說に云く、當今民間御馳走の重きと甚し、往々六七にも及べり、然ども民尙勝々に太平を樂むとを得る者は、幸に米穀の値甚賤しからざるを以てのみ、若し不幸にして穀値大に下落せば、何以て金方の上納を濟すべきや、往時乙酉丙申の饑饉民變等も、御馳走の重きは今と大庭徑あるに非ず、但穀價是より前に甚下落せしを以てのみ、嗚呼危ひかなと、余是に於て豁然として穀値下落の害を悟れり、然ども上に云々する如く金方の上納を禁絕する時は最早穀値の下落を憂ひざる也、若乃ち金錢を出さしめて百姓の苗字帶刀等を免すに至ては其秕弊更に大なり、此事休まざれば貴穀賤金の風は決して興らざるなり、
現代語訳
最初はただ自分の考えで述べたものです。後に范淳夫の『唐鑑』を読んで、千古の昔から同じ思いだったと知り、小躍りするほど喜び、ますます私説の理を信じました。淳夫の論もまたよいものです。参照して見てください。さて、宣公の奏の大意を要約すれば、「納めるべき税の銭の総計を、布帛の数に換算する」というのが、その法です。「穀物と布帛は人が作るもの、銭貨は官が作るもの」というのが、その説です。「徴収する物は生業の物でなく、生業の物は徴収する物でない」といい、「一増一減で損耗はすでに多い」というのは、従来の弊害です。詳しく味わえば、私が述べたところは、宣公がすでに先に言っています。また、従来私は、「穀物が安ければ農民を傷つけるというのは空論である。なぜなら、穀物が安ければ飢え渇く憂いはなく、かつ綿の値も穀物に準ずるものなので、寒さに凍える恐れもない。そのほかの物は皆、贅沢な玩物で民の生活に関係がなく、穀物が安くて民間に銭貨が乏しいと言っても、飢え寒さえしなければ、ほかに憂えるべきことはない」と思っていました。そこで、この説を老農の森田忠助に質しました。忠助は、大いに違うと言いました。その説に言うには、「現在、民間の御馳走(民が負担する上納)の重いことはなはだしく、往々六、七割にも及んでいます。それでも民がなお勝々と太平を楽しめるのは、幸いに米穀の値がひどく安くないからこそです。もし不幸にして穀物の値が大いに下落したら、何をもって金方の上納を済ませるでしょうか。往時の乙酉・丙申の飢饉や民の騒動なども、御馳走の重さは今と大きく違いません。ただ、穀価がその前にひどく下落していたからです。ああ、危ういことです」と。私はここで豁然として、穀価下落の害を悟りました。しかし、上に述べたように、金方の上納を禁絶する時は、もはや穀価の下落を憂えません。もし金銭を出させて百姓の苗字帯刀などを許すに至っては、その弊害はさらに大きいのです。この事をやめなければ、穀物を貴び金を賤しむ風は決して興りません。
解説
この章句が説くこと
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