武教講録 / 與受・施しと受け取りに見る倹約と貪り
此篇、與に儉吝の辨あり、受に貪廉の別あることを云ふ、而して、儉吝の辨は余已に前の財寳器物の篇に於て畧是を論ず、貪廉の別に至ては義の當否を考て辭受を決す、敢て物の輕重を計らず、本文已に明辨せり、唯其仕官之士、俸祿之外、欲受施與者、當今の士皆然らざるとなし、其敖金となし、盈堂をなす、實に懸笑すべきのみ、然ども、盈堂と云ふ者は馬援の所謂守錢虜の類なり、敖金と云者は孟子の所謂識る所の窮乏の者吾に得るの類也、一は吝、一は驕、其趣を異にすと雖ども、其當然の理を失ふは共に均しきのみ、然ども、余私に謂ふ、吝なる者善く其貨財を堂に盈て子孫に遺し、子孫に至り賢者あらば、或は義擧の資となるも未だ知るべからず、驕なる者其貨財を揮霍して驕敖を縱にすれば、窮乏の者因て以て生活するとを得、並に未だ深く非とすべからず、但今世仕官の士の施與を貪るは、殆んど然らず、美酒佳肴、竊かに狎友を會し歡娯を盡せ共、餘瀝曾て隣里に及ばず、珍玩奇貨、獨其心目を悅ばすれども、麤布曾て奴隸に及ばず、進て窮乏の者の吾に得るなし、退て子孫の業を貽すと能はず、又驕吝の次□り、余退て近來權勢の家を歷觀するに、凶荒飢饉に當て未だ曾て一二の貧村寒邑を賑恤するを聞かず、艱難危急、未だ曾て家を毀り藏を發し、公家に奉給するを聞かず、其平素に在て、亦未だ曾て賢者を招き名士を聚め敬禮を盡すを聞かず、高堂華屋、侍妾數百、廐馬數十は、國正法あれば官を罷られんとを畏れて敢てなさず、而して、其官を去るに及んで、或は貧困窘迫、爲る所を知らざるあり、是其最も怪しむべき者也、然らば則ち、其平日財を費すの由推して知るべきのみ、
新字:此篇、与に倹吝の弁あり、受に貪廉の別あることを云ふ、而して、倹吝の弁は余已に前の財宝器物の篇に於て略是を論ず、貪廉の別に至ては義の当否を考て辞受を決す、敢て物の軽重を計らず、本文已に明弁せり、唯其仕官之士、俸禄之外、欲受施与者、当今の士皆然らざるとなし、其敖金となし、盈堂をなす、実に懸笑すべきのみ、然ども、盈堂と云ふ者は馬援の所謂守銭虜の類なり、敖金と云者は孟子の所謂識る所の窮乏の者吾に得るの類也、一は吝、一は驕、其趣を異にすと雖ども、其当然の理を失ふは共に均しきのみ、然ども、余私に謂ふ、吝なる者善く其貨財を堂に盈て子孫に遺し、子孫に至り賢者あらば、或は義挙の資となるも未だ知るべからず、驕なる者其貨財を揮霍して驕敖を縦にすれば、窮乏の者因て以て生活するとを得、並に未だ深く非とすべからず、但今世仕官の士の施与を貪るは、殆んど然らず、美酒佳肴、窃かに狎友を会し歓娯を尽せ共、余瀝曽て隣里に及ばず、珍玩奇貨、独其心目を悦ばすれども、麤布曽て奴隸に及ばず、進て窮乏の者の吾に得るなし、退て子孫の業を貽すと能はず、又驕吝の次□り、余退て近来権勢の家を歴観するに、凶荒飢饉に当て未だ曽て一二の貧村寒邑を賑恤するを聞かず、艱難危急、未だ曽て家を毀り蔵を発し、公家に奉給するを聞かず、其平素に在て、亦未だ曽て賢者を招き名士を聚め敬礼を尽すを聞かず、高堂華屋、侍妾数百、厩馬数十は、国正法あれば官を罷られんとを畏れて敢てなさず、而して、其官を去るに及んで、或は貧困窘迫、為る所を知らざるあり、是其最も怪しむべき者也、然らば則ち、其平日財を費すの由推して知るべきのみ、
書き下し
此篇、與に儉吝の辨あり、受に貪廉の別あることを云ふ、而して、儉吝の辨は余已に前の財寳器物の篇に於て畧是を論ず、貪廉の別に至ては義の當否を考て辭受を決す、敢て物の輕重を計らず、本文已に明辨せり、唯其仕官之士、俸祿之外、欲受施與者、當今の士皆然らざるとなし、其敖金となし、盈堂をなす、實に懸笑すべきのみ、然ども、盈堂と云ふ者は馬援の所謂守錢虜の類なり、敖金と云者は孟子の所謂識る所の窮乏の者吾に得るの類也、一は吝、一は驕、其趣を異にすと雖ども、其當然の理を失ふは共に均しきのみ、然ども、余私に謂ふ、吝なる者善く其貨財を堂に盈て子孫に遺し、子孫に至り賢者あらば、或は義擧の資となるも未だ知るべからず、驕なる者其貨財を揮霍して驕敖を縱にすれば、窮乏の者因て以て生活するとを得、並に未だ深く非とすべからず、但今世仕官の士の施與を貪るは、殆んど然らず、美酒佳肴、竊かに狎友を會し歡娯を盡せ共、餘瀝曾て隣里に及ばず、珍玩奇貨、獨其心目を悅ばすれども、麤布曾て奴隸に及ばず、進て窮乏の者の吾に得るなし、退て子孫の業を貽すと能はず、又驕吝の次□り、余退て近來權勢の家を歷觀するに、凶荒飢饉に當て未だ曾て一二の貧村寒邑を賑恤するを聞かず、艱難危急、未だ曾て家を毀り藏を發し、公家に奉給するを聞かず、其平素に在て、亦未だ曾て賢者を招き名士を聚め敬禮を盡すを聞かず、高堂華屋、侍妾數百、廐馬數十は、國正法あれば官を罷られんとを畏れて敢てなさず、而して、其官を去るに及んで、或は貧困窘迫、爲る所を知らざるあり、是其最も怪しむべき者也、然らば則ち、其平日財を費すの由推して知るべきのみ、
現代語訳
この篇は、与えることについては倹約とけちの区別を、受けることについては貪りと廉潔の別を述べています。そして倹約とけちの区別は、私がすでに前の財宝器物の篇で簡単に論じました。貪りと廉潔の別については、義にかなうかどうかを考えて受けるか辞するかを決め、物の軽重は決して問いません。本文がすでに明らかに弁じています。ただ、仕官の士が俸禄のほかに贈り物を受けたがることは、今の士はみなそうでないものはありません。それを敖金(驕って使う金)とし、盈堂(堂に満たす)をなすのは、実に笑うべきことです。しかし盈堂というのは、馬援のいわゆる守銭奴の類であり、敖金というのは、孟子のいわゆる「知っている窮乏の者が私から得る」類です。一方はけち、一方は驕りで、その趣は異なりますが、当然の理を失っている点では同じです。しかし私はひそかに思います。けちな者が財貨を堂に満たして子孫に残せば、子孫に賢者が出た時、ひょっとして義挙の資金になるかもしれません。驕る者がその財貨を使い散らして驕りをほしいままにすれば、窮乏の者がそれによって生活することができ、どちらもまだ深く非難すべきではありません。ただ、今の世の仕官の士が贈り物を貪る場合は、ほとんどそうではありません。美酒や佳肴で、こっそり親しい友と集まって歓楽を尽くしても、そのおこぼれは隣近所に及んだことがなく、珍しい玩物や奇貨をひとり自分の目と心で楽しんでも、粗末な布さえ召使いに及んだことがありません。進んでは窮乏の者に私から得させることもなく、退いては子孫に家業を残すこともできません。また驕りとけちの次(底本で判読できない字)り、私は退いて近ごろの権勢ある家をひと通り見ましたが、凶作や飢饉に当たって、一つ二つの貧しい村や寒村を救済したという話を聞いたことがありません。困難危急の際に、家を壊し蔵を開いて公家に差し出したという話を聞いたことがありません。平素に、賢者を招き名士を集めて敬礼を尽くしたという話も聞いたことがありません。高い堂や立派な家屋、数百の侍妾、数十頭の廄の馬は、国に正しい法があれば、官を罷免されることを恐れて決してしません。それでいて、その官を去るに及んで、貧困に窮して為すすべを知らない者さえあります。これこそ最も怪しむべきことです。そうであれば、その平日の財の費やし方の由来は推して知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武教講録』・財寳器物・倹約と吝嗇は義と利で見分ける財寳器物は衣食居と事相渉るを以て、上篇に於て已に略其要義を述ぶ、今又、兩篇及び下の與受の篇に通じて一論あり、三篇に於て宜しく儉吝の辨を知るべし、俗人は儉約の一段強さを吝嗇と心得る者多し、殊に知らず、儉約と吝嗇とは判然として兩事なり、儉は義を主とす公也、身に奉ずるの衣食財器を儉約し、儲畜となし、君上の用に供し、朋輩の難を救ひ、下賤の貧を恤むとなり、吝は利を主とす私也、人に與ふる衣食財器を吝嗇し、人より取るには邪欲深く邪智を用ひ、終に己が奢侈飲食の資とするか、守錢虜となりて死するかなり、二つの者の辨は古人已に論じ盡したれども、余尚餘暇あらば儉吝辨と云一書を作り、古今の事實を列擧し、兩條の似て非なる者を辨ぜんと欲す、前漢の文帝、後漢の光武は儉と云べし、後漢の靈帝、唐の德宗は吝と云べし、又織田信長角力を賞するには煨栗三を以てし、將士の功に報ゆるには國郡の封を惜まず、黑田孝高は魚肉をば味噌漬にして貯たれども、日根野備中が返金をば辭して受けず、其他、
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『武教小学』與受凡そ施受の道は、君臣上下の義、朋友相接するの礼にして、士の慎み守る可き所なり。法に曰く、軍に財無ければ、士来たらず。軍に賞無ければ士行かず。香餌の下には、懸魚有り。重賞の下には、必ず死夫有り。又曰く、魚は其の餌を食らい、乃ち緡に牽かる。人は其の禄を食らい、乃ち其の君に服す。禄を以て人を取るは、皆是れ古の制なり。財禄有りと雖も、与え施さざれば、則ち士卒の来たり服する無く、唯だ匹夫の独身なり。与え施すこと分を超ゆれば、財竭き禄乏しくして、武備又何ぞ整わん平。故に出納を計り、度量を考えて、或いは施し或いは与う。是れ士たるの法なり。(凡そ納を計りて出を制し、度を考えて量を知れば、則ち過不及の謬り無し。論語に曰く、出納の吝かなる、之を有司と謂う、云々、と。出納の際に於いて、其の当を知らず。故に及ばざるを吝と曰い、過ぐるを奢と曰うなり。)与え施すこと道義に於いてせざれば、則ち義士来たらず。伝に曰く、義士を使うには、財を以てす可からず。爾来の食、乞食の者は、之を受けず。豈に慎まざる可けん平。受くるの道は、義有れば、則ち物の軽重に依らず、之を受く可し。(天下は重器也。堯之を舜に授け、舜之を禹に授けて、辞譲せず。爾汝の言至って少なり。人能く之を受けず。孟子曰く、人能く無受爾汝の実を充たせば、往く所として義為らざる無し。朱子曰く、爾汝は人の軽賤する所の称なり。)一義一道を闕けば、則ち千鍾の禄天下の重と雖も、受く可からず。凡そ仕官の士、俸禄の外に、施与を受けんと欲し、分を超え量を過ぐるの輩は、敖金と為さんと欲する平。(施子曰く、小民の家、故無くして百金を得るは、大福有るに非ざれば、必ず大咎有り。何となれば則ち彼の獲る所は、数金に過ぎず。其の得る所の者微にして、用いる所の者狭し。故無くして百金を得れば、則ち其の志を驕らせて、其の守る所を喪う。之を得ると雖も必ず失う、云々。敖金とは、家用の財に非ずして、敖の為の金なり。)然らずんば、客嗇財を積むの俗、堂と為さんと欲する平。両つながら当然の理を失う也。施与と受くるとは、士の専ら慎む可き也。或ひと曰く、士は客嗇して財を積むと与ならば、寧ろ之を施して余り有れ。
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『武家小学』・道義ある受け取り一物を受るに道と義と有時は。物の輕重によらず受て能なり。昔天下の重を以て堯帝より舜に授く。舜是を受て帝位に昇り。其後禹王に授く何れも是を受たり。然共一つの義を欠。一つも道を去ときは。大祿高官を以て招れ。富貴目前に有といへ共是を受べからず。論語に不義にして富貴なるは浮雲のどしといへり。一凡君に仕る士は賜る處の祿より外は物を受る事抔は一切思ふべからず。是を願は道に背べし。我が定の知行より外に物を受ん事を願は。身の分限を越て奢をなさん事を欲るの徒成べし。凡小民の家にゆゑなく不圖大金を得る事は是大なる福にあらず必大なる咎なるべし。其故は彼が常に勤て得る所の金は微なり。家事に用る處も又狹し。然に圖らず百金を得る時は。俄に大福者と成が故に平日と違ひ其志驕て常の守る所を失ひ。怠生ずる事速にて必皆奢の金と成て終に失のみにあらず果には禍をも引出す事あり。又奢の金とせざる輩は。只吝嗇にして財寶を家庫に積貯る事をのみ欲るの俗なるべし。皆是當然の理を失也。故に與と受とは士の專つゝしむべき處なり。或人の云。士は吝嗇にして財をつむよりは。せめて施し過る方勝るべしといへり。
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『武家小学』・施しの度量一物を人に施し。又人より物を受るの道は。是君臣上下の義をなし。朋友相交るの禮をなす所也。人情の厚薄と實不實の相顯るゝ所なれば。愼て行ふべし。軍旅にも祿を以て賞せざれば士卒來らず。功臣も勵まず。六韜に香餌の下には必懸魚あり。重賞の下には必死夫有。又曰魚は其餌を食て緡に牽れ。人は其祿を食て其君に服し從ふといへり。祿を以て人を取は皆是古よりの制也。財寶食祿有といへども人に施し與へざれば諸人來り從ふ事なく唯匹夫獨身也。然ども我が分限を越て多施し與へ過れば。是又財寶竭祿乏し。祿乏しくしては武備を整る事かなふべからず。故に每年知行物成の納る所を考て。出す處の多少を計り。能度量を考て。或は施し或は與て。過不及の謬なきやうにすべし。及ざる時は吝嗇也。過時は奢也。
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『家道訓』巻之五・用財中一倹約にして財をつひやさざるは尤良法なり。然れども、倹約を行ふに事よせて、財ををしみて礼義を欠き、仁愛をほどこさざるは鄙狭と云ふべし。倹約にあらず、是吝嗇なり、不徳なり。礼義をつとめて財を用ふべく、あたふべき時ならば、財ををしまずしていさぎよかるべし。又貧窮をすくふにおいては、財ををしむべからず。我が身には倹約にして、人に施すには財ををしまざるは、是善なり。我が身にはおごりつひやして礼義を欠き、人にほどこしめぐまざるは不徳なり。財ををしみては善を行ひがたしと、古人いへり、むべなるかな。又無益のことに財をつひやしてをしまざる人あり。愚なりと云ふべし。無益のことに財を用ふるは、淵に捨つるに同じ。是善を行ひ人を救ふ道をしらず、其の志なき故なり。
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『家道訓』巻之六・用財下一倹約は人の美徳なり。いにしへより、いみじき聖賢明王、皆倹約を行ひ給へり。よき人の倹約ならざるはなし。俗人は、皆倹約をきらひて鄙吝なりとす。倹約は、我が身に俸養する事をうすくして、おごらざるを云ふ。是善徳なり。吝嗇とは、をしむともやぶさかとも読む。財ををしみてあたふべき人にあたへず、用ふべき事にも用ひざるを云ふ。是は悪事なり。此わかちを知るべし。愚人と下部は、倹約を吝嗇と思へり。一君子はみだりに財を費さざる故、余財ありて人を救ひめぐみ、財を用ふべき事には惜まず、小人はおごりて、濫に財を費せども、人をすくひ恵むことには、財ををしみて施さず。故に奢りてみだりに財をつひやす者は、必ず財ををしみて人をすくひ恵まず。

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