武教講録 / 財寳器物・倹約と吝嗇は義と利で見分ける
財寳器物は衣食居と事相渉るを以て、上篇に於て已に略其要義を述ぶ、今又、兩篇及び下の與受の篇に通じて一論あり、三篇に於て宜しく儉吝の辨を知るべし、俗人は儉約の一段強さを吝嗇と心得る者多し、殊に知らず、儉約と吝嗇とは判然として兩事なり、儉は義を主とす公也、身に奉ずるの衣食財器を儉約し、儲畜となし、君上の用に供し、朋輩の難を救ひ、下賤の貧を恤むとなり、吝は利を主とす私也、人に與ふる衣食財器を吝嗇し、人より取るには邪欲深く邪智を用ひ、終に己が奢侈飲食の資とするか、守錢虜となりて死するかなり、二つの者の辨は古人已に論じ盡したれども、余尚餘暇あらば儉吝辨と云一書を作り、古今の事實を列擧し、兩條の似て非なる者を辨ぜんと欲す、前漢の文帝、後漢の光武は儉と云べし、後漢の靈帝、唐の德宗は吝と云べし、又織田信長角力を賞するには煨栗三を以てし、將士の功に報ゆるには國郡の封を惜まず、黑田孝高は魚肉をば味噌漬にして貯たれども、日根野備中が返金をば辭して受けず、其他、
新字:財宝器物は衣食居と事相渉るを以て、上篇に於て已に略其要義を述ぶ、今又、両篇及び下の与受の篇に通じて一論あり、三篇に於て宜しく倹吝の弁を知るべし、俗人は倹約の一段強さを吝嗇と心得る者多し、殊に知らず、倹約と吝嗇とは判然として両事なり、倹は義を主とす公也、身に奉ずるの衣食財器を倹約し、儲畜となし、君上の用に供し、朋輩の難を救ひ、下賤の貧を恤むとなり、吝は利を主とす私也、人に与ふる衣食財器を吝嗇し、人より取るには邪欲深く邪智を用ひ、終に己が奢侈飲食の資とするか、守銭虜となりて死するかなり、二つの者の弁は古人已に論じ尽したれども、余尚余暇あらば倹吝弁と云一書を作り、古今の事実を列挙し、両条の似て非なる者を弁ぜんと欲す、前漢の文帝、後漢の光武は倹と云べし、後漢の霊帝、唐の徳宗は吝と云べし、又織田信長角力を賞するには煨栗三を以てし、将士の功に報ゆるには国郡の封を惜まず、黒田孝高は魚肉をば味噌漬にして貯たれども、日根野備中が返金をば辞して受けず、其他、
書き下し
財寳器物は衣食居と事相渉るを以て、上篇に於て已に略其要義を述ぶ、今又、兩篇及び下の與受の篇に通じて一論あり、三篇に於て宜しく儉吝の辨を知るべし、俗人は儉約の一段強さを吝嗇と心得る者多し、殊に知らず、儉約と吝嗇とは判然として兩事なり、儉は義を主とす公也、身に奉ずるの衣食財器を儉約し、儲畜となし、君上の用に供し、朋輩の難を救ひ、下賤の貧を恤むとなり、吝は利を主とす私也、人に與ふる衣食財器を吝嗇し、人より取るには邪欲深く邪智を用ひ、終に己が奢侈飲食の資とするか、守錢虜となりて死するかなり、二つの者の辨は古人已に論じ盡したれども、余尚餘暇あらば儉吝辨と云一書を作り、古今の事實を列擧し、兩條の似て非なる者を辨ぜんと欲す、前漢の文帝、後漢の光武は儉と云べし、後漢の靈帝、唐の德宗は吝と云べし、又織田信長角力を賞するには煨栗三を以てし、將士の功に報ゆるには國郡の封を惜まず、黑田孝高は魚肉をば味噌漬にして貯たれども、日根野備中が返金をば辭して受けず、其他、
現代語訳
財宝器物は衣食居と事柄が互いに関わるので、上篇ですでに大略その要義を述べました。今また、この篇と上の篇、および下の与受の篇に通じて一つの論があります。三篇において、倹と吝の弁を知るべきです。俗人は、倹約を強く徹底することを吝嗇と心得る者が多いです。ことに、倹約と吝嗇とは、はっきりと別の事であることを知りません。倹は義を主とし、公です。自分の身に奉ずる衣食や財器を倹約して蓄えを作り、君上の用に供し、朋輩の難を救い、下賤の貧しさを恤れむことです。吝は利を主とし、私です。人に与える衣食や財器を惜しみ、人から取るには邪な欲を深くし邪な知恵を用い、ついに己の奢侈飲食の資とするか、金をため込むだけの者となって死ぬかです。二つの弁は古人がすでに論じ尽くしましたが、私はなお余暇があれば、『倹吝弁』という一書を作り、古今の事実を列挙して、両条の似て非なるものを弁じたいと思います。前漢の文帝、後漢の光武帝は倹と言うべきです。後漢の霊帝、唐の徳宗は吝と言うべきです。また織田信長は、相撲を賞するのに焼き栗三つをもってし、将士の功に報いるには国郡の封を惜しみませんでした。黒田孝高は、魚肉を味噌漬けにして貯えましたが、日根野備中の返金は辞して受けませんでした。そのほか、
解説
この章句が説くこと
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