武教講録 / 與受・収入を量り家来を養う小禄の策
計齒納考度量の六字、武士家を治め財を理むるの要道也、凡そ一士の家、一歲納る所の邑入廩給穀物何程、錢弊何程、布帛何端、其出る所食米何石、布帛何端、其他の雜費幾許と會計して、是に於て度量始て定まる、一家父母妻子衣食居所の餘贏を以て士卒何名を養ひ、武具馬具の修理幾許を當つと定むべし、若し度量を考へずして、徒に財貨を富殖するとを務め、士卒を畜養せずんば、大祿の士と云とも戰塲に臨むに至ては、一士一卒の隨從するなし、所謂匹夫獨身也、是期に臨て傭錢を何程與て召募する共、死生の地に至て何ぞ憑むに足らんや、然れば小祿の士の家子多き者に劣ると必せり、又度量を考へずして、妄に士卒を畜養する時は、人徒ありと雖ども、平日衣食せしむるとさへ出來ず、況や能く其輩をして武藝を習はしめ、武器を備へしめ、武前の覺悟せしむるとを得んや、然れば、世俗宗門家來の類にて緩急何の用に當んや、是を以て度量を考ると甚要也、諸侯養士の制玆に論ずるに及ばず、今且小祿の士を論ぜん、武士は兎角城市に住居しては何事も心の儘ならぬ故、田舍に退處するに若かず、因て田畑數頃を買得し、力を其間に盡し、上父母に事へ、下妻子を畜ひ、僅に衣食居所するとを得ば已に足れり、是に於て、其家の弟若くは二三男あるを決して他家へ養子とせず、古代の所謂家子郎黨の如く、又周代の所謂貳宗隸子弟分親の如く、
新字:計歯納考度量の六字、武士家を治め財を理むるの要道也、凡そ一士の家、一歳納る所の邑入廩給穀物何程、銭弊何程、布帛何端、其出る所食米何石、布帛何端、其他の雑費幾許と会計して、是に於て度量始て定まる、一家父母妻子衣食居所の余贏を以て士卒何名を養ひ、武具馬具の修理幾許を当つと定むべし、若し度量を考へずして、徒に財貨を富殖するとを務め、士卒を畜養せずんば、大禄の士と云とも戦塲に臨むに至ては、一士一卒の随従するなし、所謂匹夫独身也、是期に臨て傭銭を何程与て召募する共、死生の地に至て何ぞ憑むに足らんや、然れば小禄の士の家子多き者に劣ると必せり、又度量を考へずして、妄に士卒を畜養する時は、人徒ありと雖ども、平日衣食せしむるとさへ出来ず、況や能く其輩をして武芸を習はしめ、武器を備へしめ、武前の覚悟せしむるとを得んや、然れば、世俗宗門家来の類にて緩急何の用に当んや、是を以て度量を考ると甚要也、諸侯養士の制玆に論ずるに及ばず、今且小禄の士を論ぜん、武士は兎角城市に住居しては何事も心の儘ならぬ故、田舎に退処するに若かず、因て田畑数頃を買得し、力を其間に尽し、上父母に事へ、下妻子を畜ひ、僅に衣食居所するとを得ば已に足れり、是に於て、其家の弟若くは二三男あるを決して他家へ養子とせず、古代の所謂家子郎党の如く、又周代の所謂貳宗隸子弟分親の如く、
書き下し
計齒納考度量の六字、武士家を治め財を理むるの要道也、凡そ一士の家、一歲納る所の邑入廩給穀物何程、錢弊何程、布帛何端、其出る所食米何石、布帛何端、其他の雜費幾許と會計して、是に於て度量始て定まる、一家父母妻子衣食居所の餘贏を以て士卒何名を養ひ、武具馬具の修理幾許を當つと定むべし、若し度量を考へずして、徒に財貨を富殖するとを務め、士卒を畜養せずんば、大祿の士と云とも戰塲に臨むに至ては、一士一卒の隨從するなし、所謂匹夫獨身也、是期に臨て傭錢を何程與て召募する共、死生の地に至て何ぞ憑むに足らんや、然れば小祿の士の家子多き者に劣ると必せり、又度量を考へずして、妄に士卒を畜養する時は、人徒ありと雖ども、平日衣食せしむるとさへ出來ず、況や能く其輩をして武藝を習はしめ、武器を備へしめ、武前の覺悟せしむるとを得んや、然れば、世俗宗門家來の類にて緩急何の用に當んや、是を以て度量を考ると甚要也、諸侯養士の制玆に論ずるに及ばず、今且小祿の士を論ぜん、武士は兎角城市に住居しては何事も心の儘ならぬ故、田舍に退處するに若かず、因て田畑數頃を買得し、力を其間に盡し、上父母に事へ、下妻子を畜ひ、僅に衣食居所するとを得ば已に足れり、是に於て、其家の弟若くは二三男あるを決して他家へ養子とせず、古代の所謂家子郎黨の如く、又周代の所謂貳宗隸子弟分親の如く、
現代語訳
「計・歯・納・考・度・量」の六字は、武士が家を治め財を管理するための大切な道です。およそ一人の士の家では、一年に収まる所、つまり領地の収入や蔵米・穀物がどれほど、銭や貨幣がどれほど、布や絹が何反か、そこから出す所の食米が何石、布や絹が何反、その他の雑費がいくらと会計して、そこで初めて分限が定まります。一家の父母・妻子の衣食と住まいのほかの余剰で、士卒を何名養い、武具や馬具の修理にいくらを充てると決めるべきです。もし分限を考えずに、ただ財貨を殖やすことだけに努めて、士卒を養わないなら、大禄の士といっても、戦場に臨む段になると、一人の士も一人の卒も付き従う者がなく、いわゆる匹夫が独りでいるのと同じです。その時になって、雇い賃をいくら与えて人を集めても、生死の地に至って、どうして頼りにするに足りるでしょうか。そうであれば、小禄の士で家の子が多い者に劣ることは必定です。また、分限を考えずにむやみに士卒を養う時は、人数はいても、平日の衣食を与えることさえできず、まして彼らに武芸を習わせ、武器を備えさせ、戦いに臨む覚悟をさせることなどできるでしょうか。そうなれば、世間でいう宗門の家来の類が、いざという時に何の役に立つでしょう。ですから、分限を考えることは大切です。諸侯の士の養い方の制度はここで論じるに及びません。今は、ひとまず小禄の士について論じます。武士はとかく城下の市中に住んでは何事も思うままにならないので、田舎に退いて住むのが一番です。そこで田畑数頃を買い、力をその間に尽くし、上は父母に仕え、下は妻子を養い、わずかに衣食住が足りれば、それで十分です。そうして、その家に弟か二男・三男があっても、他家へ養子に出さず、古代のいわゆる家子郎党のように、また周代のいわゆる貳宗・隷子弟・分親のように、
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・與受・家子に文武と生業を兼ねさせる自ら其身を食ふと成らぬ程の虛氣者、他人の家を嗣て君祿を食したりとて、何を以て三民の長となり國家を裨益するとを得んや、若し中人ならしめば他家へ分出せざるは、却て其家を富强するの一計とも云べし、世素より二十以外にして未だ他家に分出せざる者多し、而して悠々泛々として徒に父兄を喰靡し以て歲月を玩愒する者あり、是早く之が計をなさゞるに由る也、家子を處するの計、文武は士の家業なれば是を習練するは論を俟たず、又其餘暇を以て躬耕する可なり、工作するも可也、梁鴻が如く賃春するも可也、班超が如く雇書するも可也、阮孚が如く屐を蠟するも可也、嵇康が如く鐵を鍛するも可也、兵械戰具の制作、繕修書畫、金石の謄寫彫刻等を始め、農工凡百の事爲して可ならざるとなし、出ては士となり、文武の業を習ひ、君家の用に供し、入ては則ち農工の事を治め、私家の計を營す、是最も古武士の風と云べし、是を本として郎黨等も才能の浪士を網羅し、文武の學生として吾家に寄寓せしめ、是を家子に均ふせば小祿の士と雖ども、何ぞ家子郎黨なきを憂へん、是を闔國に行ふ時は足食足兵の大計也、然ども、是紙上口頭の號令にて行るゝとに非ず、君臣上下、首を朝堂に聚め、相共に憂國の赤心を吐露して是を謀るに非ずんば、亦何ぞ成功を見るに至らん、是を以て敢て妄議せず、而して是を有志の士に責ざることを得ざるなり、
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『武教講録』・與受・弟や二三男を家に残す家子の制(左傳、桓公二年、師服曰、天子建國、諸侯立家、卿置側室、大夫有貳宗、士有隸子弟、庶人工商各有分親、杜預云、適子爲小宗、次者爲貳宗、以相輔貳、士卑自以其子弟爲僕隸、庶人無復尊卑、以親疏爲分別也、)其一家に隸し、且學且耕し、又是が婚娶をなし、永く宗家を輔貳せしむべし、然る時は子孫自ら繁昌して血統を絕つの患なし、此法を推して養子を禁ずるの一官命もあり度となれども、玆には姑く置て議せず、(水戸の豊田彦次郎、亦曾て此說をなす)唯有志の士相共に商議し、私に此法を行て世人をして其便なるとを曉らせ度となり、世人往々榮利を慕て親義を顧みず、弟若くは二三男あれば視て奇貨となし、以て他家許多の祿を博取せんと欲す、弟の班兄より崇く、子の祿父より厚き、習ひ以て常とし、曾に怪まざるのみならず、自誇て計を得たりとす、是其目前の小利に惑ひ、遠慮なく大謀なきと論を待たず、若し官命を以て是を行ふに至ては別に自ら好計あり、亦玆に議せず、世人又常に云ふ、小祿にて多くの子弟を育くむと難澁なり、早く他家へ分出せねば立行ぬなりと、此事已むとなきに似て、其實は大に然らず、今極て小祿にて家內十數人を育む者あり、是にても餓死もせず、又大祿にて僅々三四人を育み貧窮を憂る者あり、盖し士の貧富徒に祿の大小人の多寡のみに由るに非ず、其由る所頗る多端也、要するに、制を立つるの得失に由るのみ、大氏男子二十以外六七十以內にして、
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『武家小学』・施しの度量一物を人に施し。又人より物を受るの道は。是君臣上下の義をなし。朋友相交るの禮をなす所也。人情の厚薄と實不實の相顯るゝ所なれば。愼て行ふべし。軍旅にも祿を以て賞せざれば士卒來らず。功臣も勵まず。六韜に香餌の下には必懸魚あり。重賞の下には必死夫有。又曰魚は其餌を食て緡に牽れ。人は其祿を食て其君に服し從ふといへり。祿を以て人を取は皆是古よりの制也。財寶食祿有といへども人に施し與へざれば諸人來り從ふ事なく唯匹夫獨身也。然ども我が分限を越て多施し與へ過れば。是又財寶竭祿乏し。祿乏しくしては武備を整る事かなふべからず。故に每年知行物成の納る所を考て。出す處の多少を計り。能度量を考て。或は施し或は與て。過不及の謬なきやうにすべし。及ざる時は吝嗇也。過時は奢也。
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『武治提要』齊家・第6段不得止して貧は士の不幸なり。其所以無して貧は士の本意にあらず。これ平日武の淸素を心とせざる病なり。武將天下の富貴をたもつといへども、必ず自ら出納の大綱を知、其職役に淸廉の士を置て、武備の貨財をゆたかにすべし。
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『武教小学』與受凡そ施受の道は、君臣上下の義、朋友相接するの礼にして、士の慎み守る可き所なり。法に曰く、軍に財無ければ、士来たらず。軍に賞無ければ士行かず。香餌の下には、懸魚有り。重賞の下には、必ず死夫有り。又曰く、魚は其の餌を食らい、乃ち緡に牽かる。人は其の禄を食らい、乃ち其の君に服す。禄を以て人を取るは、皆是れ古の制なり。財禄有りと雖も、与え施さざれば、則ち士卒の来たり服する無く、唯だ匹夫の独身なり。与え施すこと分を超ゆれば、財竭き禄乏しくして、武備又何ぞ整わん平。故に出納を計り、度量を考えて、或いは施し或いは与う。是れ士たるの法なり。(凡そ納を計りて出を制し、度を考えて量を知れば、則ち過不及の謬り無し。論語に曰く、出納の吝かなる、之を有司と謂う、云々、と。出納の際に於いて、其の当を知らず。故に及ばざるを吝と曰い、過ぐるを奢と曰うなり。)与え施すこと道義に於いてせざれば、則ち義士来たらず。伝に曰く、義士を使うには、財を以てす可からず。爾来の食、乞食の者は、之を受けず。豈に慎まざる可けん平。受くるの道は、義有れば、則ち物の軽重に依らず、之を受く可し。(天下は重器也。堯之を舜に授け、舜之を禹に授けて、辞譲せず。爾汝の言至って少なり。人能く之を受けず。孟子曰く、人能く無受爾汝の実を充たせば、往く所として義為らざる無し。朱子曰く、爾汝は人の軽賤する所の称なり。)一義一道を闕けば、則ち千鍾の禄天下の重と雖も、受く可からず。凡そ仕官の士、俸禄の外に、施与を受けんと欲し、分を超え量を過ぐるの輩は、敖金と為さんと欲する平。(施子曰く、小民の家、故無くして百金を得るは、大福有るに非ざれば、必ず大咎有り。何となれば則ち彼の獲る所は、数金に過ぎず。其の得る所の者微にして、用いる所の者狭し。故無くして百金を得れば、則ち其の志を驕らせて、其の守る所を喪う。之を得ると雖も必ず失う、云々。敖金とは、家用の財に非ずして、敖の為の金なり。)然らずんば、客嗇財を積むの俗、堂と為さんと欲する平。両つながら当然の理を失う也。施与と受くるとは、士の専ら慎む可き也。或ひと曰く、士は客嗇して財を積むと与ならば、寧ろ之を施して余り有れ。
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『告志篇』・入るを量って出ずるを制し質素を守る大臣小臣ともに、入を積りて出す事を加減いたし不申候ては、勝手の取直しも不相成、萬一の手當も行屆申間敷候間、常ゝの事は如何にも省器いたし、家の大小も分限相應を考へ、造作等手輕にこし候儀は無之事と存候、まして江戸の小屋は勿論に候、其外衣服飮食等成だけ質素を守り可申候、申迄は無之候へども、朝夕食する所の米穀は、粒々民の辛苦にして、人々祖先の勤勞等を以、先君より賜りたる所なれば、食する每に此所を不忘、一拜して箸を取ても可然程の事なり、然るに其本を打忘れ、佳肴なければ食はれぬ抔いふ樣のあさましき事に成により、豐年は勝手にならぬといふに至るは何とも聞えぬ事なり、若凶年にて民間より米穀も生ぜず、倉廩より扶持も不渡候はゞ、如何いたし可申や、金銀珠玉は飢て食ふべからず、又飽煖は淫欲を生じ、飢寒は善心を發といへり、凡家中の者、多分勝手をすり切、武備をも失ひたること、皆其本を忘れて奢侈に長じ、武士一統上品になりたるゆゑと存候、今其一事をいはんに、むかしは二百石三百石取者も心懸宜しく馬を持候處、今は馬を持といへば口取中間にのみまかせ、自身は牽さへ不致、鞍鐙も華美に無之てはならぬ樣に心得るは、皆其本を忘れて上品になりたる故なり、昔の如く自ら馬をもかりふせ起しをするより、何事も自身又は子弟にて世話いたし候はんには、持れぬ事はあるまじく、却て扱にもなれ宜敷事と存候、昔に比すれば、今は諸色も格別に高くなりたれば、猶更自身にて世話不致しては不叶事なり、譬へば三百石にて家內大勢の者を察し候はゞ、同祿にて人別少き者は馬も持るゝ筈なるに、馬も不持勝手もよからざるは如何なる故ぞや、心すべし、

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