家道訓 / 巻之六・用財下
一儉約は人の美德なり。いにしへより、いみじき聖賢明王、皆儉約を行ひ給へり。よき人の儉約ならざるはなし。俗人は、皆儉約をきらひて鄙吝なりとす。儉約は、我が身に俸養する事をうすくして、おごらざるを云ふ。是善德なり。吝嗇とは、をしむともやぶさかとも讀む。財ををしみてあたふべき人にあたへず、用ふべき事にも用ひざるを云ふ。是は惡事なり。此わかちを知るべし。愚人と下部は、儉約を吝嗇と思へり。一君子はみだりに財を費さゞる故、餘財ありて人を救ひめぐみ、財を用ふべき事には惜まず、小人はおごりて、濫に財を費せども、人をすくひ惠むことには、財ををしみて施さず。故に奢りてみだりに財をつひやす者は、必ず財ををしみて人をすくひ惠まず。
新字:一倹約は人の美徳なり。いにしへより、いみじき聖賢明王、皆倹約を行ひ給へり。よき人の倹約ならざるはなし。俗人は、皆倹約をきらひて鄙吝なりとす。倹約は、我が身に俸養する事をうすくして、おごらざるを云ふ。是善徳なり。吝嗇とは、をしむともやぶさかとも読む。財ををしみてあたふべき人にあたへず、用ふべき事にも用ひざるを云ふ。是は悪事なり。此わかちを知るべし。愚人と下部は、倹約を吝嗇と思へり。一君子はみだりに財を費さゞる故、余財ありて人を救ひめぐみ、財を用ふべき事には惜まず、小人はおごりて、濫に財を費せども、人をすくひ恵むことには、財ををしみて施さず。故に奢りてみだりに財をつひやす者は、必ず財ををしみて人をすくひ恵まず。
書き下し
一倹約は人の美徳なり。いにしへより、いみじき聖賢明王、皆倹約を行ひ給へり。よき人の倹約ならざるはなし。俗人は、皆倹約をきらひて鄙吝なりとす。倹約は、我が身に俸養する事をうすくして、おごらざるを云ふ。是善徳なり。吝嗇とは、をしむともやぶさかとも読む。財ををしみてあたふべき人にあたへず、用ふべき事にも用ひざるを云ふ。是は悪事なり。此わかちを知るべし。愚人と下部は、倹約を吝嗇と思へり。一君子はみだりに財を費さざる故、余財ありて人を救ひめぐみ、財を用ふべき事には惜まず、小人はおごりて、濫に財を費せども、人をすくひ恵むことには、財ををしみて施さず。故に奢りてみだりに財をつひやす者は、必ず財ををしみて人をすくひ恵まず。
現代語訳
倹約は人の美徳です。昔から、すぐれた聖人・賢人や名君は、みな倹約を行われました。立派な人で倹約でない者はいません。俗人は、みな倹約を嫌って卑しいけちだとします。倹約とは、自分の身の養いを薄くして贅沢をしないことをいいます。これは善い徳です。吝嗇とは、「をしむ」とも「やぶさか」とも読みます。財を惜しんで、与えるべき人に与えず、用いるべき事にも用いないことをいいます。これは悪事です。この区別を知りなさい。愚かな人や下々の者は、倹約を吝嗇と思っています。君子はむやみに財を費やさないので、余財があって人を救い恵み、財を用いるべき事には惜しみません。小人は贅沢をしてむやみに財を費やしますが、人を救い恵むことには財を惜しんで施しません。ですから、贅沢をしてむやみに財を費やす者は、必ず財を惜しんで人を救い恵みません。
解説
この章句が説くこと
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