武教講録 / 放鷹狩獵・狩猟の六益二害と海防への備え
放鷹狩獵に六益二害あり、一益は田園を荒すの猪鹿雉兎を殺生し民害を除くなり、二益は土地の遠近險易山川の形勢を知て、平時に農政の利害を考へ、事ある時は戰守の策畧を籌す、三益は身をやつし民村を徘徊し、風俗街歌巷說に心を留め政治の善惡を反省す、遠くは周代の采詩の意芻蕘に詢るの言も玆にあり、近くは最明寺時頼の行脚して諸國の寃枉を察せしも玆にあり、政に預かる人尤も心得べし、四益は山川を跋涉して四支を輕健にし骨節を便習し、日比藝塲にて學ぶ所の弓銃劔槍の術を活物へ對して試むるなり、五益は從者陪卒の强弱勇怯、又武藝の巧拙機轉の敏鈍を試むるなり、六益は草鞋股引の製より、風雨霜露の凌方、弓銃の携帶、船馬の便不便等を實地にて試むるなり、此六益は士の最も勤むべきとなり、二害は荒と暴となり、荒とは從獸無厭謂之荒とて、狩獵に耽り獲物を貪り、武士の家業を忘却するとなり、暴とは民力を費し、田園を荒して顧みざるとなり、暴する者は必ず荒す、荒する者は必ず暴す、二害異なりと云へども其歸は則ち同じ、以上の義、本文已に明備なれども、又玆に鋪衍す、頃ろ聞く、君公の美旨を奉じ、行相は屬吏を率ひ、三見に兎獵し、國相も亦屬吏を率ひ、大炮を西濱に演ぜられしと、盖し亦六益二害に見ありての事ならん、最も嘉尚すべきとなり、先日族中の一老輩來りて、余に謂ふ、近時海岸防禦の令追々下り、臺塲の築造あり、銃礟の鍛鑄あり、隊伍の操習もあり、然ども、皆陸戰の事也、今の士を以て海上に押出し、能く異賊と狂瀾怒濤の上に頡頏せんか知るべからず、小畑浦にては君澤形の軍艦も打造せらるゝ由なれども、
新字:放鷹狩猟に六益二害あり、一益は田園を荒すの猪鹿雉兎を殺生し民害を除くなり、二益は土地の遠近険易山川の形勢を知て、平時に農政の利害を考へ、事ある時は戦守の策略を籌す、三益は身をやつし民村を徘徊し、風俗街歌巷説に心を留め政治の善悪を反省す、遠くは周代の采詩の意芻蕘に詢るの言も玆にあり、近くは最明寺時頼の行脚して諸国の冤枉を察せしも玆にあり、政に預かる人尤も心得べし、四益は山川を跋渉して四支を軽健にし骨節を便習し、日比芸塲にて学ぶ所の弓銃剣槍の術を活物へ対して試むるなり、五益は従者陪卒の強弱勇怯、又武芸の巧拙機転の敏鈍を試むるなり、六益は草鞋股引の製より、風雨霜露の凌方、弓銃の携帯、船馬の便不便等を実地にて試むるなり、此六益は士の最も勤むべきとなり、二害は荒と暴となり、荒とは従獣無厭謂之荒とて、狩猟に耽り獲物を貪り、武士の家業を忘却するとなり、暴とは民力を費し、田園を荒して顧みざるとなり、暴する者は必ず荒す、荒する者は必ず暴す、二害異なりと云へども其帰は則ち同じ、以上の義、本文已に明備なれども、又玆に鋪衍す、頃ろ聞く、君公の美旨を奉じ、行相は属吏を率ひ、三見に兎猟し、国相も亦属吏を率ひ、大炮を西浜に演ぜられしと、盖し亦六益二害に見ありての事ならん、最も嘉尚すべきとなり、先日族中の一老輩来りて、余に謂ふ、近時海岸防禦の令追々下り、台塲の築造あり、銃礟の鍛鋳あり、隊伍の操習もあり、然ども、皆陸戦の事也、今の士を以て海上に押出し、能く異賊と狂瀾怒濤の上に頡頏せんか知るべからず、小畑浦にては君沢形の軍艦も打造せらるゝ由なれども、
書き下し
放鷹狩獵に六益二害あり、一益は田園を荒すの猪鹿雉兎を殺生し民害を除くなり、二益は土地の遠近險易山川の形勢を知て、平時に農政の利害を考へ、事ある時は戰守の策畧を籌す、三益は身をやつし民村を徘徊し、風俗街歌巷說に心を留め政治の善惡を反省す、遠くは周代の采詩の意芻蕘に詢るの言も玆にあり、近くは最明寺時頼の行脚して諸國の寃枉を察せしも玆にあり、政に預かる人尤も心得べし、四益は山川を跋涉して四支を輕健にし骨節を便習し、日比藝塲にて學ぶ所の弓銃劔槍の術を活物へ對して試むるなり、五益は從者陪卒の强弱勇怯、又武藝の巧拙機轉の敏鈍を試むるなり、六益は草鞋股引の製より、風雨霜露の凌方、弓銃の携帶、船馬の便不便等を實地にて試むるなり、此六益は士の最も勤むべきとなり、二害は荒と暴となり、荒とは從獸無厭謂之荒とて、狩獵に耽り獲物を貪り、武士の家業を忘却するとなり、暴とは民力を費し、田園を荒して顧みざるとなり、暴する者は必ず荒す、荒する者は必ず暴す、二害異なりと云へども其歸は則ち同じ、以上の義、本文已に明備なれども、又玆に鋪衍す、頃ろ聞く、君公の美旨を奉じ、行相は屬吏を率ひ、三見に兎獵し、國相も亦屬吏を率ひ、大炮を西濱に演ぜられしと、盖し亦六益二害に見ありての事ならん、最も嘉尚すべきとなり、先日族中の一老輩來りて、余に謂ふ、近時海岸防禦の令追々下り、臺塲の築造あり、銃礟の鍛鑄あり、隊伍の操習もあり、然ども、皆陸戰の事也、今の士を以て海上に押出し、能く異賊と狂瀾怒濤の上に頡頏せんか知るべからず、小畑浦にては君澤形の軍艦も打造せらるゝ由なれども、
現代語訳
放鷹・狩猟には六つの益と二つの害があります。第一の益は、田畑を荒らす猪・鹿・雉・兎を殺して、民の害を除くことです。第二の益は、土地の遠近や険しさ・平らかさ、山川の地形を知って、平時には農政の利害を考え、事がある時には攻めと守りの策略をはかることです。第三の益は、身をやつして民の村を歩き回り、風俗や街の歌、巷の噂に心を留め、政治の善し悪しを反省することです。遠くは周代の采詩(民の歌を採集する制度)や、草刈り・きこりにも意見を尋ねるという言葉の意味もここにあり、近くは最明寺(北条時頼)が行脚して諸国の冤罪を視察したのもここにあります。政治にあずかる人は最も心得るべきことです。第四の益は、山川を踏み歩いて手足を軽く健やかにし、関節を慣らし、日頃稽古場で学んでいる弓・銃・剣・槍の術を、生きた獲物に対して試すことです。第五の益は、従者や兵卒の強弱・勇気と臆病、また武芸の巧拙、機転の鋭さ鈍さを試すことです。第六の益は、草鞋・股引の仕立てから、風雨霜露のしのぎ方、弓や銃の携帯、船や馬の便不便などを実地で試すことです。この六益は士が最も努めるべきことです。二つの害は荒と暴です。荒とは、「獣に従って飽くことがないのを荒という」とあるように、狩猟にふけって獲物を貪り、武士の家業を忘れることです。暴とは、民の力を費やし、田畑を荒らして顧みないことです。暴する者は必ず荒し、荒する者は必ず暴します。二つの害は異なるといっても、行き着くところは同じです。以上の意味は、本文にすでに明らかに備わっていますが、ここでまた敷衍します。近ごろ聞くところでは、君公の結構な仰せを受けて、行相(家老職)は配下の役人を率いて三見で兎狩りをし、国相もまた配下の役人を率いて大砲を西の浜で演習されたとのことです。思うに、これもまた六益二害に見識があってのことでしょう。最もほめるべきことです。先日、一族の一人の老人が来て、私に言いました。「近ごろ海岸防禦の命令が次々と下り、砲台の築造があり、銃砲の鋳造があり、部隊の訓練もある。しかしいずれも陸戦のことである。今の士を海上に押し出して、異国の賊と荒れ狂う波の上で渡り合えるかどうかはわからない。小畑浦では君沢形の軍艦も造られているそうだが、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武家小学』・鷹狩の意味と節一鷹野鹿狩は昔よりの制也。鳥獸田畠を荒し民の害をなすゆへ是を厭て鳥獸を殺生するなり。尤士の道は田園を荒す鳥獸を治るばかりにはあらず。險岨遠近山河の地形の案內を知り。又民間の風俗或は童子等が時の流行歌。路巷の風說を計知べし。是等は時の政務の善惡署發るゝ處なり。偖其身は山林險阻の所を。弓鐵炮或は鎗太刀を持て驅走り。手足を輕し。骨節を習し。又は士卒の走廻を考て。軍旅の內習となす事也。然れども是を用るに時有。民の專ら農業に隙なき時は用ひざる事也。亦是をなすにも節あり。唯一身の樂遊興になす時は。田畑を荒し民の力を費す事は鳥獸の禍よりも甚しかるべし。士の爲事は假の戲遊と言とも皆據あり。其本末を計り知べし。
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『武教小学』放鷹狩獵放鷹狩猟は、古の制なり。鳥獣の田園を荒らすは、尤も之を殺生す可し。士たるの道は、険阨遠近山川の形を知り、風俗街歌巷説の品を計る。(街歌とは、路街の童稚の歌謡する所なり。巷説とは、路巷に於いて風説する所なり。皆時代の政務、略ぼ発見する所なり。)自ら水沢山林に入り、矢玉剣戟を用い、四支を軽くし、骨節を習わし、士卒の材を考え、兵士の用を閲す。必ず士の勤む可き所なり。然れども用に時有り。(農作の時を知り、寒暑の苦を知る。)致すに節有り。苟くも時を失い節を忘るれば、則ち田園を荒らし民力を費やす。豈に鳥獣の禍の如くならん平。士の為す所、戯遊と雖も皆据有り。而して其の本末を計らざれば、則ち常に荒暴なるのみ。
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『武治提要』講武・第5段放鷹狩獵これ講武の主用たり。故に古今の良將皆これを必とす。或は自ら郊野に出て、馳逐の業をこゝろみ、或は自ら山林に入、谷をこえ、水を渡て、手足の勞佚を知、或は自ら弓を射、砲を放て、其利不利をこゝろみ、或は自ら麾て聚散分合の成否をこゝろむること、武將の用なり。
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『武教講録』・放鷹狩獵・扶持人を鯨組にする人材づくり海に習はざる士は用には立まじ、聞く兩大津の鯨組は異常に風浪に慣習する由、若し此輩へ小々の扶持を擬ひ、軍法を敍置かば、究竟の海備ならん、子に於ては何如思へるやと、余云く君の論至極せり、但し鯨組を扶持人とするよりは扶持人を鯨組とするの政更に妙ならん、今の士人の漁獵を好む者をば敢て是を禁ずるとなく、大臣重職の人々も時々漁舟を海洋に泛べて諸士の先とならば、不日にして其功を奏するに至らん、余壬子の歲會津に遊ぶ、會津の士余に語て云く、弊邑は如斯の山國にて、國侍共は船とては城東五里許、猪苗代の湖水にて見るの外見たる事さへなき程なり、因て先年房總の海禦を命ぜられ大に當惑せしが、命を承て以來、在戍の士、日夜海事に心を碎き身を勞せしに因て、今は最早習熟して操舟游泳等、彼土の漁父にも敢て讓らざるに至れりと、又肥前平戸に遊び、彼藩風を觀るに、流石に海中の孤島なるを以て、士人大氏漁舟一隻を持ざる者なし、又沖漁をせざる者なし、葉山佐內と云人などは彼藩にても祿も重く班も崇く、且年齡も亦六十有餘の人なれども、官府に登る時は必ず騎馬なり、又毎々沖漁をなせり、常に余に謂ふ馬と舟とは久しく廢すると物前の用を闕くとある者也と、是を以て其藩風を知るべし、因て扶持人を鯨組とするの說も亦難きに非るを知るべしと答ふ、老輩唯々して去る、又余が從弟穀甫、漁獵を好み命となし、風雨寒暑憚る所なし、或は獲物なくして徒に還る共敢て悔ひず、余曾て戲れて云く、淸人の詩に、爲貪臨水去不羨得魚歸とは足下の謂なりと、穀甫悅ばず、因て又六益二害の說を擧て獲物の論ずるに足らざるを曉す、穀甫乃ち大に悅ぶ、
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『明訓一班抄抄録』・治に亂を忘るべからざる事・太平に奢る風潮を戒めた吉宗の鷹狩り有德公には、近代彌太平の御世、御仁慮に安心して、諸家武備に怠り、無益の送り物に金銀を費し、衣食居宅に美を盡し、武器を等閑にして、先祖の功を忘れ、奢に費す事、禽獸にひとしと歎き玉ひ、士を勸め、武を勵まし、放鷹遊獵に出御有之、麾下の伴士を勵まし給ふ、是諸家上を學びて其風に移り、太平に武を忘れざらしめんとの思し召なり、同上意に、治世に亂を忘れざるは鷹野猪狩なり、如何となれは人數を遣ひ覺るは多少の人數に寄べからず、又諸士に弓鐵砲を打せ射させ、有功を記し、金銀衣服をとらする事は、第一旗本の士をなつけ、武功を我前にてあらはす事賞美し、外樣に居候者其外も我を見知る者なり、殊に兩番の者共は歷々にて、我手足も同じ事なれども、近習へは遠し紋付の衣服など貰らふ事尤少し、箇樣の時とらさすれば其者骨髓に徹し有がたく可存なり、然れば手足にもなるべき義なり、第一近年武備衰へて、大小名諸家中に到る迄、遊山翫などに長じ、酒色に溺れ、身に綾羅錦繡をまとひて、樂しみを專らとし、遊藝をのみ第一として、武士の習しは少しもなく、公家町人の如くに氣弱になり來り候事、上に武備なき故なり、旗本の風義も、少しは見能成事いかめしき事なれども、我武勇を好み、儉約を用ひ、無用に費なく、及ばずながら善政廉直を施さんと欲する故也、云々、齊昭謹で案ずるに、東照宮を初奉り、世に賢明の大將軍と聞えまします御方には、治世に亂を忘れぬ樣にしば〱御示し被爲置候、東照宮御明智、太平とは申ながら漸く天下治まりたる砌り、太平久敷續なば奢長じ武備を失はん事を歎かせ給ひ、治世に亂を忘れざる樣にとの御示諭しば〱なり、
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『武教講録』・燕居・備えの点検と学びの年月を考える只武義の二字を眞切に心に留めば萬弊自ら除き、大裨益を得るに至らん、武器を閲するは武士の一要務なり、甲冑ありても纖絲は切れ、鐵砲ありても玉藥は虛く、槍刀は多く具れども溢鏽して用をなさず、券狀は多く積たれども軍用の正金は貯ぬ類、皆是平日武器を閲せざるの過なり、此三事皆楮墨の空談に非ず、宜しく逐一に點檢工夫を加ふべし、武士たる者明君に報ずる所以、斯の如くにして足れりと云には非ず、然ども、燕居の士是を捨てば、明君に報ずる所以、別に一事あるとなし、至四十爲强仕之年と云と、禮記內則の制に據れば、二十而冠す、是より前六年九年十三年と各敎學するの品節あり、已に冠するに至ては專ら博學を勸め、未だ敢て人に敎へず、三十に至り始て室ありて家事を治む、然ども猶又博學を勸め、朋友互に切磋し志を擧て相示す、然る後、四十に至り始て仕ふるなり、然れば、大凡十歲前後より四十歲比迄三十餘年中學問を勸む、而して其最も自ら勵むとは中十年にあるなり、(二十より三十迄の間なり)而して又仕て優なれば學ぶの訓あり、說苑に載す、甯越の友人の曰く、學三十年則可以達矣と、蓋し內則の意也、又班固が志に、古者八歲入小學、十五入大學、又た三年而通一藝、三十而五經立と云も相照して考ふべし、

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