武教講録 / 言語應對・一言一語の応対を三つに分けて磨く
此篇誠に切實なり、熟讀して心に藏し、一言、一語、一應、一對、暫らくも是を忘るゝとなくんば志士と云べし、大要三件なり、吉凶軍賓等の禮に通じ各々其詞の品則を考る事第一件なり、常に語るべきの事第二件なり、斷て語るまじきの事第三件なり、首に言語不正と云ひ、柔弱と云、鄙劣と云をも皆此三件へ係けて見るべし、第一件の事は全書中に在て、軍禮斥侯侍用武功等に載する所の軍詞をも考ふべし、又本藩の事は、布施氏の訓子帖の如き、淺近と云ども初學の觀に簡便なり、此外類を推して禮法古實等をも究むべし、畢竟多聞多識に若くはなし、然ども、是皆大關係あるとに非ず、若し乃ち他邦の使者に應對し、又は他邦に使し、或は海外夷狄に使する如きは、亦所謂賓客中の一事にして是獨り甚重の事なり、何となれば、一言の下に國の榮辱輕重に關り、或は兩國の和乖好戎をも起す者なれば、深く思慮せざるべからず、余曾て漢士の事蹟を撫して奉使抄を作る、亦是應對の一益に備へんと欲するなり、此類固より臨機應變あるとにて、膠柱刻舟の及ぶ所に非ずと云ども、余頗る論述する所あらんと欲す、今玆に贅せず、又第三件の事は斷て語るまじき事なれば論ずるに及ばず、第二件の事は書を讀み武義を論ずる內の事なり、其事件千百限なし、今漫りに一二事を引て是を云はんに、義不義之論は、上世至治の時は天下皆王命を奉じて王事を行ふとなれば、義不義の論迄もなきと也、其中にも守屋の拂法を排し、鎌足の入鹿を誅、清麻呂の神託を承る如きの類、義名の赫々たるは皆一時の變なり、而是等の事至治の世には多くあるとなし、只後鳥羽、
新字:此篇誠に切実なり、熟読して心に蔵し、一言、一語、一応、一対、暫らくも是を忘るゝとなくんば志士と云べし、大要三件なり、吉凶軍賓等の礼に通じ各々其詞の品則を考る事第一件なり、常に語るべきの事第二件なり、断て語るまじきの事第三件なり、首に言語不正と云ひ、柔弱と云、鄙劣と云をも皆此三件へ係けて見るべし、第一件の事は全書中に在て、軍礼斥侯侍用武功等に載する所の軍詞をも考ふべし、又本藩の事は、布施氏の訓子帖の如き、浅近と云ども初学の観に簡便なり、此外類を推して礼法古実等をも究むべし、畢竟多聞多識に若くはなし、然ども、是皆大関係あるとに非ず、若し乃ち他邦の使者に応対し、又は他邦に使し、或は海外夷狄に使する如きは、亦所謂賓客中の一事にして是独り甚重の事なり、何となれば、一言の下に国の栄辱軽重に関り、或は両国の和乖好戎をも起す者なれば、深く思慮せざるべからず、余曽て漢士の事跡を撫して奉使抄を作る、亦是応対の一益に備へんと欲するなり、此類固より臨機応変あるとにて、膠柱刻舟の及ぶ所に非ずと云ども、余頗る論述する所あらんと欲す、今玆に贅せず、又第三件の事は断て語るまじき事なれば論ずるに及ばず、第二件の事は書を読み武義を論ずる内の事なり、其事件千百限なし、今漫りに一二事を引て是を云はんに、義不義之論は、上世至治の時は天下皆王命を奉じて王事を行ふとなれば、義不義の論迄もなきと也、其中にも守屋の払法を排し、鎌足の入鹿を誅、清麻呂の神託を承る如きの類、義名の赫々たるは皆一時の変なり、而是等の事至治の世には多くあるとなし、只後鳥羽、
書き下し
此篇誠に切實なり、熟讀して心に藏し、一言、一語、一應、一對、暫らくも是を忘るゝとなくんば志士と云べし、大要三件なり、吉凶軍賓等の禮に通じ各々其詞の品則を考る事第一件なり、常に語るべきの事第二件なり、斷て語るまじきの事第三件なり、首に言語不正と云ひ、柔弱と云、鄙劣と云をも皆此三件へ係けて見るべし、第一件の事は全書中に在て、軍禮斥侯侍用武功等に載する所の軍詞をも考ふべし、又本藩の事は、布施氏の訓子帖の如き、淺近と云ども初學の觀に簡便なり、此外類を推して禮法古實等をも究むべし、畢竟多聞多識に若くはなし、然ども、是皆大關係あるとに非ず、若し乃ち他邦の使者に應對し、又は他邦に使し、或は海外夷狄に使する如きは、亦所謂賓客中の一事にして是獨り甚重の事なり、何となれば、一言の下に國の榮辱輕重に關り、或は兩國の和乖好戎をも起す者なれば、深く思慮せざるべからず、余曾て漢士の事蹟を撫して奉使抄を作る、亦是應對の一益に備へんと欲するなり、此類固より臨機應變あるとにて、膠柱刻舟の及ぶ所に非ずと云ども、余頗る論述する所あらんと欲す、今玆に贅せず、又第三件の事は斷て語るまじき事なれば論ずるに及ばず、第二件の事は書を讀み武義を論ずる內の事なり、其事件千百限なし、今漫りに一二事を引て是を云はんに、義不義之論は、上世至治の時は天下皆王命を奉じて王事を行ふとなれば、義不義の論迄もなきと也、其中にも守屋の拂法を排し、鎌足の入鹿を誅、清麻呂の神託を承る如きの類、義名の赫々たるは皆一時の變なり、而是等の事至治の世には多くあるとなし、只後鳥羽、
現代語訳
この篇はまことに切実です。熟読して心に蔵し、一言、一語、一応、一対、しばらくもこれを忘れなければ、志士と言うべきです。大要は三件です。吉凶軍賓などの礼に通じ、それぞれの言葉の品格や規則を考えることが第一件です。常に語るべき事が第二件です。断じて語ってはならない事が第三件です。冒頭に言う「言語不正」「柔弱」「鄙劣」も、みなこの三件に関係づけて見ます。第一件のことは、全書の中で、軍礼、斥候、侍用、武功などに載せる軍詞も考えるべきです。また本藩のことでは、布施氏の『訓子帖』のように、浅近ではあっても初学者が見るのに簡便なものがあります。このほか類推して、礼法や古実なども究めるべきです。結局、多聞多識に及ぶものはありません。しかしこれらはみな大きな関わりのあることではありません。もし他邦の使者に応対し、または他邦に使いし、あるいは海外の異民族に使いする場合は、これも賓客の中の一事でありながら、ひとり非常に重大です。なぜなら、一言のもとに国の栄辱や軽重に関わり、あるいは両国の和が乖き、友好が戎に変わることも起こるので、深く思慮しなければなりません。私はかつて中国の事蹟を撫して『奉使抄』を作りました。これもまた応対の一助に備えようと思ったからです。この類はもとより臨機応変にすることで、琴柱に膠して舟に刻むような固執の及ぶところではありませんが、私はかなり論述したいところがあります。ここでは贅言しません。また第三件の事は、断じて語ってはならない事なので、論ずるに及びません。第二件の事は、書を読み武義を論ずる中の事です。その事柄は千百と限りがありません。今みだりに一、二の事を引いて言えば、義不義の論は、上世の至治の時は、天下みな王命を奉じて王事を行ったので、義不義の論に及ぶことさえなかったというのです。その中でも、守屋が仏法を排したこと、鎌足が入鹿を誅したこと、清麻呂が神託を承ったことのような類の、義名の赫々たるものは、みな一時の変事です。そしてこれらは、至治の世には多くありません。ただ後鳥羽、
解説
この章句が説くこと
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『武教小学』言語應對言語応対は、志の適く所なり。戯言も思より出づとは、是れなり。凡そ士の言語正しからざれば、則ち其の行い必ず猶(ごと)きなり。柔弱の言、鄙劣の語、尤も慎むべし。(人必ず生産土地の音声有り。然れども好んで懦弱の言を発すれば、則ち行い必ず此に類す。又鄙劣凡下の語を為すは、上品の士に非ず、文を学ばざるの斃と謂う。)戦法軍旅武器馬具の用語、各々品有り。賓客葬祭の語、宗廟朝廷の言、各々則有り。言語軽がるしく出で、応対節に当たらざれば、則ち威儀正しからず、必ず禍を招くの媒なり。(小学に曰く、無用の弁、不慮の察は、棄てて治めず、と。)士の恒に語るべき者は、義不義の論、古戦場の事、古今勇義の行い、時代武義の盛衰、皆議論して今日の非を戒むべし。或いは他の非を嘲り、或いは時の政を謗り、或いは遊興の楽を語り、或いは男女の色を言えば、則ち心必ず流蕩し、行い必ず陥溺す。人心甚だ之を好む。故に非礼は言う勿かれ。
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『武家小学』・言葉遣いと品格一言語應對は志の適所とて。內に思ふ事ならでは外へ出ざる物なり。又思ひ內に有ば假初の戲言にも其情外へ顯るゝもの也。凡士の言語正しからざれば。其行も必猥なるものなり。故に士は懦弱の詞鄙劣なる詞をつかふ人は無下に賤敷見ゆる物なり。且詞に連て行も賤し。總じて詞は其人の器量程ならては出ざる物なり。故に鄙劣の言語を爲は上品の士にあらず。文を學ざるの費なりと言り。然ば士は各其詞を遣ふべし。先第一は戰法軍旅に何も武者詞あり武器馬具等にも各品々の名所あり。古來より用ひきたる所の詞を遣ふべし。其外貴人え對しての詞。役所にて公邊向の詞。葬祭。婚禮の時の詞等各法あり。詞を輕ゝ敷いたして節當らざれば應對に威儀も正しからず。却て無禮と成て必禍を招べし。况無用の詞多遣ふべからず。
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『武教講録』・惣目錄・平素と変事を貫く三つの備え練陣、行軍、營法、城築、四つの者は是を平素に設て是を臨變に施す者にて、動靜を包ね躰用を兼る也、用間以上は多は是平素の事也靜也躰也、客戰以下は多は是臨變の事也動也用也、此四篇正に其中間に置く其意知るべし、然靜中動あり、動中靜あり、躰中用あり、用中躰あり、平素臨變互に其功用を見る、故に已に其分別あるを知らば又其合一なるを悟るべし、客主以下十六戰、其先後の次序備さに妙思を藏す、今悉く述るに暇あらず、姑く其最重の者を云はど客主二篇にあり、而して主を後にして客を先ずる者、舊來其說を傳ふ極て道理あり、凡そ退守の法は進取の畧なくては萬々出來ぬとなり、當今の時に當り、砲臺を築き砲門を鑄て、海岸防禦異賊手當など罵る位の怯懦にては、迚も神州の保全は出來ぬなり、早く偸安の習を止め、四夷出征の策を定めずんばあるべからず、是客主先後の義にして、攻守の先後其他毎篇中往々其意を見る、是固より人主の任也、乃ち一士一卒と云ども、此書を讀み此旨を悟らば、人主に謁見して鄙見を獻納し、其萬一を裨補するとを思ふべし、戰法は是れ十六戰の精義乃全部の精義、序段と對照して躰用動靜並に其深意を悟らば、人主の道是に於て大に備れりと云べし、兵具の一篇器械醫療の雜事全部の漏闕を補ふて附錄とす、亦一騎前學の流裔なり、全書中凡て是等の枝葉の事に及ぶ者は、皆專門の材を養て其用に供するの端を發するなり、自序に論ずる所を考よ、抑序段の謀畧は知己也、智畧は知彼也、計策は應變也、是を全部にて論ぜば、城築以上は謀畧なり、客戰以下は計策なり、其間斥候用間等は專ら智畧を說なり、是其大概にて、其實は篇々此三つの者あり、心を付べし、丙辰臘月念二日具稿
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『武教講録』・行住坐臥・小事で争わず内を忘れる大勇を持つ但し死は一生の終にして、人の死せんとする其言ふや善きの例しにて、子孫も遺誡と號して是を守る事なれば、其結要とすべき所を遺命するも一の敎道たるべきのみと、是等の論實に前人未發の說にして、平生に覺悟ある人に非ずんば安ぞ善く此に及んや、又行の一事に就て說あり、不礙傍人、不爲非禮、不出過言、の三語、血氣の勇者は遽かに聽ては服せざる事也、血氣の勇者は兎角道中にて行人に礙り、非禮過言をなし、終には大不覺を取り面目を失ふ事多き者なり、此風幕士の下卒などに多し、然ども、是固より半季居の雇奴原がゆすりの爲にするとなれば、論ずるに足らず、但堂々たる藩士として、却て彼輩と曲直を爭ふの癖ある者あり、是前の三語を深味せざるなり、凡そ藩士は隨分謹厚にして、非禮過言を愼みむ戒ることこそ誠に長者の風にして、却て大國の武威も顯るゝなれば、是即ち大勇の所なり、其大勇の根元は、外に出るより內を忘れ、門を出るより敵を見る如きにあり、夫已に內を忘れ敵を見るの心膽定むる時は、傍人皆我轂內にあるとなれば、前の三語を守りて復た小節小事を校ふるに足らず、若し事に臨み、萬々理勢の止むべからざる者ある時は、直に我が大勇を奮發して萬人立所に辟易せざるとなし、豈徒に下卒輩を敵とせんや、必ず藩士の武風を天下に振耀して已まんのみ、是程の事なれば容易に小節小事の爲めに振ふべきに非ず、此事本論ずるに足るとなしと雖ども、少壯血氣の士動すれば事を誤るとある者なれば、玆に論ず、佩用具、不離利器、嚴夜戒、不忘不虞之戒、
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『武教講録』・燕居・備えの点検と学びの年月を考える只武義の二字を眞切に心に留めば萬弊自ら除き、大裨益を得るに至らん、武器を閲するは武士の一要務なり、甲冑ありても纖絲は切れ、鐵砲ありても玉藥は虛く、槍刀は多く具れども溢鏽して用をなさず、券狀は多く積たれども軍用の正金は貯ぬ類、皆是平日武器を閲せざるの過なり、此三事皆楮墨の空談に非ず、宜しく逐一に點檢工夫を加ふべし、武士たる者明君に報ずる所以、斯の如くにして足れりと云には非ず、然ども、燕居の士是を捨てば、明君に報ずる所以、別に一事あるとなし、至四十爲强仕之年と云と、禮記內則の制に據れば、二十而冠す、是より前六年九年十三年と各敎學するの品節あり、已に冠するに至ては專ら博學を勸め、未だ敢て人に敎へず、三十に至り始て室ありて家事を治む、然ども猶又博學を勸め、朋友互に切磋し志を擧て相示す、然る後、四十に至り始て仕ふるなり、然れば、大凡十歲前後より四十歲比迄三十餘年中學問を勸む、而して其最も自ら勵むとは中十年にあるなり、(二十より三十迄の間なり)而して又仕て優なれば學ぶの訓あり、說苑に載す、甯越の友人の曰く、學三十年則可以達矣と、蓋し內則の意也、又班固が志に、古者八歲入小學、十五入大學、又た三年而通一藝、三十而五經立と云も相照して考ふべし、

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