武教講録 / 夙起夜寐・信と正義で粗暴にも怠惰にも陥らない
是を濟ふは義に如くとなし、武士は甚仁柔を惡む、柔は惡德と云には非どれども、柔の弊は毎に懦緩事に及ばず怠惰に陷溺する者なり、是を振ふは義に如くとなし、此義は事の宜きに合ふて、而も果斷裁制を以て用をなすとなれば、暴戾怠惰の致すべきに非るなり、抑能信而不偽、常思士之正義而不可懈、是全交之道也、と云者深く其意を尋ぬへし、戰國の習として武勇の弊動すれば粗暴兇戾に陷り、瑣細の無禮答詞咎などより喧嘩鬪爭を生じ、人を討果し疵付すると多し、其風先師の時迄は專ら世に流行せり、是昇平、委靡、柔惰、無廉、無恥の風よりは遙かに勝りたれども、大丈夫國に許す所の堂々たる六尺の身を以て、區々私恐の爲に碎折するは誠に不忠なると也、忠義の士、是等の際に處するは信と正義を以てするの外はなし、己の信を以て人の僞を正し、己の正義を以て人の不義を正し、夜白片時も懈怠なくんば、粗暴兇戾の夫と云ども、心折意服するの暇あらざらんとす、全交の道何ぞ是に加る者あらんや、然ども、今余が目中復た戰國粗暴兇戾の夫を見るとなし、世反て信と正義を持する者を畏忌みて目して粗暴兇戾とするに至らんとす、世道の變、實に嘆息に勝ざると也、此篇の主意は、士たる者夙起より夜寐に至る迄、片時も空間無事にして居らぬ樣にとの敎也、諸君年少、吾此篇に就て、一繩墨を下して相共に玆に從事せん、閑則顧今日之行事の一語を見よ、顧ると云は、過たる事を回視するとなり、過たる事を回視するは冊記に如くはなし、願くは今日より更始し、各人一簿を作り日々の行事を詳錄し、會期に當て必ず攜て席に上り、各相切劘するの一端となさんと欲す、簿成らば表紙に身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也、立身行道、揚名於後世、
新字:是を済ふは義に如くとなし、武士は甚仁柔を悪む、柔は悪徳と云には非どれども、柔の弊は毎に懦緩事に及ばず怠惰に陥溺する者なり、是を振ふは義に如くとなし、此義は事の宜きに合ふて、而も果断裁制を以て用をなすとなれば、暴戻怠惰の致すべきに非るなり、抑能信而不偽、常思士之正義而不可懈、是全交之道也、と云者深く其意を尋ぬへし、戦国の習として武勇の弊動すれば粗暴兇戻に陥り、瑣細の無礼答詞咎などより喧嘩闘争を生じ、人を討果し疵付すると多し、其風先師の時迄は専ら世に流行せり、是昇平、委靡、柔惰、無廉、無恥の風よりは遥かに勝りたれども、大丈夫国に許す所の堂々たる六尺の身を以て、区々私恐の為に砕折するは誠に不忠なると也、忠義の士、是等の際に処するは信と正義を以てするの外はなし、己の信を以て人の偽を正し、己の正義を以て人の不義を正し、夜白片時も懈怠なくんば、粗暴兇戻の夫と云ども、心折意服するの暇あらざらんとす、全交の道何ぞ是に加る者あらんや、然ども、今余が目中復た戦国粗暴兇戻の夫を見るとなし、世反て信と正義を持する者を畏忌みて目して粗暴兇戻とするに至らんとす、世道の変、実に嘆息に勝ざると也、此篇の主意は、士たる者夙起より夜寐に至る迄、片時も空間無事にして居らぬ様にとの教也、諸君年少、吾此篇に就て、一縄墨を下して相共に玆に従事せん、閑則顧今日之行事の一語を見よ、顧ると云は、過たる事を回視するとなり、過たる事を回視するは冊記に如くはなし、願くは今日より更始し、各人一簿を作り日々の行事を詳録し、会期に当て必ず攜て席に上り、各相切劘するの一端となさんと欲す、簿成らば表紙に身体髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也、立身行道、揚名於後世、
書き下し
是を濟ふは義に如くとなし、武士は甚仁柔を惡む、柔は惡德と云には非どれども、柔の弊は毎に懦緩事に及ばず怠惰に陷溺する者なり、是を振ふは義に如くとなし、此義は事の宜きに合ふて、而も果斷裁制を以て用をなすとなれば、暴戾怠惰の致すべきに非るなり、抑能信而不偽、常思士之正義而不可懈、是全交之道也、と云者深く其意を尋ぬへし、戰國の習として武勇の弊動すれば粗暴兇戾に陷り、瑣細の無禮答詞咎などより喧嘩鬪爭を生じ、人を討果し疵付すると多し、其風先師の時迄は專ら世に流行せり、是昇平、委靡、柔惰、無廉、無恥の風よりは遙かに勝りたれども、大丈夫國に許す所の堂々たる六尺の身を以て、區々私恐の爲に碎折するは誠に不忠なると也、忠義の士、是等の際に處するは信と正義を以てするの外はなし、己の信を以て人の僞を正し、己の正義を以て人の不義を正し、夜白片時も懈怠なくんば、粗暴兇戾の夫と云ども、心折意服するの暇あらざらんとす、全交の道何ぞ是に加る者あらんや、然ども、今余が目中復た戰國粗暴兇戾の夫を見るとなし、世反て信と正義を持する者を畏忌みて目して粗暴兇戾とするに至らんとす、世道の變、實に嘆息に勝ざると也、此篇の主意は、士たる者夙起より夜寐に至る迄、片時も空間無事にして居らぬ樣にとの敎也、諸君年少、吾此篇に就て、一繩墨を下して相共に玆に從事せん、閑則顧今日之行事の一語を見よ、顧ると云は、過たる事を回視するとなり、過たる事を回視するは冊記に如くはなし、願くは今日より更始し、各人一簿を作り日々の行事を詳錄し、會期に當て必ず攜て席に上り、各相切劘するの一端となさんと欲す、簿成らば表紙に身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也、立身行道、揚名於後世、
現代語訳
これを救うのは、義に及ぶものはありません。武士は柔弱な仁を大いに嫌います。柔が悪徳というのではありませんが、柔の弊害は、いつも弱く緩んで事に間に合わず、怠惰に溺れることです。これを奮い立たせるのは、義に及ぶものはありません。この義は、事の宜しきに合い、しかも果断をもって裁くことで働きをなすものですから、乱暴や怠惰が入り込む余地はありません。「よく信を守って偽らず、常に士の正義を思って怠らない。これが交わりを全うする道である」という言葉を、深くその意味を尋ねるべきです。戦国の習いとして、武勇の弊害はともすれば粗暴で凶暴になり、ささいな無礼や言葉の咎めなどから喧嘩争いを生み、人を討ち果たし傷つけることが多くありました。その風は先師の時代まで世に盛んでした。これは太平に慣れてしなびて柔弱になり、廉恥のない風潮よりははるかに勝っていますが、大丈夫が国に許された堂々たる六尺の身をもって、取るに足らない私的な怒りのために砕け折れるのは、まことに不忠であるというのです。忠義の士がこのような場に処するには、信と正義をもってする以外にありません。自分の信をもって人の偽りを正し、自分の正義をもって人の不義を正し、夜も昼もわずかの間も怠らなければ、粗暴凶暴の者でも、心から折れて服さないわけにはいかないでしょう。交わりを全うする道として、これに勝るものがありましょうか。しかし今、私の目には、戦国の粗暴凶暴な者はもう見当たらず、世の中はかえって信と正義を持つ者を恐れ忌み、粗暴凶暴な者と見なすようになろうとしています。世の道の変わりようは、まことに嘆息に堪えないと言われています。この篇の主旨は、士たる者は早起きから夜寝るまで、片時も空しく無事に過ごさないようにという教えです。諸君は年若いので、私はこの篇について一つの規準を設け、ともにここに取り組みましょう。「閑のときは今日の行事を顧みる」という一語を見てください。顧みるとは、過ぎたことを振り返ることです。過ぎたことを振り返るには、記録をつけるのが一番です。願わくは今日から改め始め、各人が一冊の帳面を作り、日々の行いを詳しく記録し、会の期日にはかならず携えて席に上り、互いに切磋琢磨する手立てとしたいと思います。帳面ができたら、表紙に「身体髪膚は父母から受けたもので、あえて傷つけないのが孝の始めである。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
荀子・大略篇人の文学に於(お)けるや、猶(なほ)玉の琢磨(たくま)に於けるがごときなり。詩に曰く、「切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し」と。学問を謂(い)ふなり。和(か)の璧(へき)は、井里(せいり)の厥(いしころ)なり。玉人(ぎょくじん)之を琢きて、天子の宝と為る。子贛(しこう)・季路(きろ)は故(もと)鄙人(ひじん)なり。文学を被(かうむ)り、礼義を服して、天下の列士と為る。
-
大学《詩》に云く、「彼の淇(き)の澳(くま)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐(ひ)たる君子有り、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。斐たる君子有り、終に諠(わす)るべからず」と。「切するが如く磋するが如し」とは、学を道(い)うなり。「琢するが如く磨するが如し」とは、自ら修むるなり。「瑟たり僩たり」とは、恂慄(じゅんりつ)なり。「赫たり喧たり」とは、威儀なり。「斐たる君子有り、終に諠るべからず」とは、盛徳至善、民の忘るること能わざるを道うなり。《詩》に云く、「於戲(ああ)、前王忘れず」と。君子はその賢を賢として其の親を親とし、小人は其の楽を楽しみて其の利を利とす。此を以て世を没(お)うるまで忘れざるなり。
-
詩経・国風・衛風・淇奥淇奥(きいく)は、武公の徳を美むるなり。文章有り、又能く其の規諫を聴き、礼を以て自ら防ぐ。故に能く入りて周に相たり。美めて是の詩を作るなり。 彼の淇奥(きいく)を瞻(み)れば、緑竹猗猗(いい)たり。匪(ひ)たる有るの君子は、切するが如く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨するが如し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり、赫(かく)たり咺(けん)たり。匪たる有るの君子は、終に諼(わす)るべからず。 彼の淇奥を瞻れば、緑竹青青(せいせい)たり。匪たる有るの君子は、充耳(じゅうじ)琇瑩(しゅうえい)、会弁(かいべん)星の如し。瑟たり僩たり、赫たり咺たり。匪たる有るの君子は、終に諼るべからず。 彼の淇奥を瞻れば、緑竹簀(さく)の如し。匪たる有るの君子は、金の如く錫の如く、圭(けい)の如く璧(へき)の如し。寛たり綽(しゃく)たり、重較(ちょうこう)に猗(よ)る。善く戯謔(ぎぎゃく)すれども、虐を為さず。
-
『童子問』卷中問ふ、夫の世の学者を観るに、己と議論合はざる者を見れば、必ず学術異なりと謂ひて、復た与に交通せず。如何。曰く、己と議論同じきを悦びて、己と意見異なる者を楽しまざるは、学者の通患なり。学問は切磋琢磨を貴ぶ。己と意見異なる者に従ひて、己を舎て心を平らかにし、切劘講磨するに若くは莫し。所謂人に取るを楽しむ、是れなり。己に益有らざれば、必ず彼に益有り。之を両益と謂ふ。尚ほ己と議論同じき者と楽しみ、毎に自ら講習すれば、則ち終身其の旧見を改むること無くして、新益を得ること無し。独学と何ぞ異ならん。己に益無く、亦彼に益無し。之を両損と謂ふ。昔者明道先生、呉師礼をして王介甫に達せしめて曰く、如し説有らば願はくは往復せん。此れ天下の公理なり、彼我無し。果たして能く明辨せば、介甫に益有らずんば、則ち必ず我に益有らんと。柳子厚も亦曰く、子得る有らずんば、則ち我得んと。古人の心を設くること此の如し。故に能く其の大を成すなり。今の学者は則ち然らず。己を守ること甚だ堅く、善に服すること甚だ浅し。其の学稍々人に優れば、則ち師道を以て自ら居り、復た肯へて人に問はず。其の卒や、必ず自ら己を喪ふに至る。蓋し其の器識浅狭にして、善を好むことを知らざるが故なり。戒めざるべけんや。
-
言志四録・言志後録 第十一条 人我に負く時は自ら反る「寧ろ人我に負くとも、我人に負くこと毋かれ」とは、固より確言たり。余も亦謂ふ、人我に負く時は、我当に吾の負くを致す所以を思ひて以て自ら反り、且つ以て切磋砥礪の地と為すべし。我に於て多少の益有り。烏んぞ之を仇視するを容れんや。
-
『長短経』臣行故に礼に曰く『欲は縦にす可からず、志は満たす可からず』と。古語に云う「廉士は財を愛せざるに非ず。之を取るに道を以てす」と。詩に云う「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」と。皆な矯偽の謂いなり。若し其の愚態を肆にし、其の鄙情に随い、名づけて任真と曰いて之を賢とせば、此れ先王の罪人なり。故に吾れ以為えらく、矯偽なる者は礼義の端なり。任真なる者は貪鄙の主なり。夫れ強いて仁する者、庸ぞ誣う可けんや。〕

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る