武教講録 / 夙起夜寐・難事は先に煩事は後にという精勤
以顯父母、孝之終也、の二語を題し、(此語、即ち上文忠孝武三事の歸注する所也、)其下、己の姓名を書し、華押に沾するに鮮血を以てし、以て信記とし、日々是に對せば是亦可觀の敎にも叶ふべし、鄕無善俗世乏誠敎は先師の憂とする所也、今余が不德不才、何ぞ遽かに敎の誠否を云ふに足らんや、然ども、先師の誠敎具に存して此書にあり、諸君と磨勵して是に從事せば、闔族より及ぼして一鄕の俗を善くするに足らざらんや、若し果して松下邑の善俗を成すと能はずんば、先師の英靈寧ぞ吾輩を咎怒らざらんや、諸君以て何如とする、凡仕宦之途、朝出先人、夕退後人、此一語甚だ淺近に似たれども極て意義あり、仕宦の人能是を服膺せば亦守職の吏と云べし、出入先後の事は姑らく一隅を擧たるのみなり、凡人の情、大氏因循苟且、難を厭ひ煩を嫌ふ者なり、今一難事あり必ず人に先て是を任じ、一煩事あり必ず人に後れて是を了す、此心を持て諸事に當らば、職を奉じ君に事る敢て人に後れんや、戰に臨ては必ず人に先て魁となり、戰敗れては必ず人に後て殿となる、又何ぞ古武士に愧るとあらんや、家兄云、己酉の歲、明倫館再興、余初て徵官を得て館中の吏たり、因て故の中谷翁を見る、翁時に益田玄蕃に屬し再興の事務を理す、翁云く、俗吏多く言ふ、當番欠くとも非番詰るなど、此語の心は兎角事を處すれば過誤も出來る者なれば、大氏は人に讓りて己は事を爲さゞる如くし、功名を求めず過誤を免るべしとの意なり、然ども、吾意獨り以て然らずとす、當番の欠くべからざる固よりなり、乃ち非番と云ども亦敢て自ら暇逸せざるこそ精勤とも奉公とも云べし、事を爲さずして過誤を免るゝは、何ぞ事に鍊れて過誤なきに若かんと、家兄深く以て然りとす、
新字:以顕父母、孝之終也、の二語を題し、(此語、即ち上文忠孝武三事の帰注する所也、)其下、己の姓名を書し、華押に沾するに鮮血を以てし、以て信記とし、日々是に対せば是亦可観の教にも叶ふべし、郷無善俗世乏誠教は先師の憂とする所也、今余が不徳不才、何ぞ遽かに教の誠否を云ふに足らんや、然ども、先師の誠教具に存して此書にあり、諸君と磨励して是に従事せば、闔族より及ぼして一郷の俗を善くするに足らざらんや、若し果して松下邑の善俗を成すと能はずんば、先師の英霊寧ぞ吾輩を咎怒らざらんや、諸君以て何如とする、凡仕宦之途、朝出先人、夕退後人、此一語甚だ浅近に似たれども極て意義あり、仕宦の人能是を服膺せば亦守職の吏と云べし、出入先後の事は姑らく一隅を挙たるのみなり、凡人の情、大氏因循苟且、難を厭ひ煩を嫌ふ者なり、今一難事あり必ず人に先て是を任じ、一煩事あり必ず人に後れて是を了す、此心を持て諸事に当らば、職を奉じ君に事る敢て人に後れんや、戦に臨ては必ず人に先て魁となり、戦敗れては必ず人に後て殿となる、又何ぞ古武士に愧るとあらんや、家兄云、己酉の歳、明倫館再興、余初て徴官を得て館中の吏たり、因て故の中谷翁を見る、翁時に益田玄蕃に属し再興の事務を理す、翁云く、俗吏多く言ふ、当番欠くとも非番詰るなど、此語の心は兎角事を処すれば過誤も出来る者なれば、大氏は人に譲りて己は事を為さゞる如くし、功名を求めず過誤を免るべしとの意なり、然ども、吾意独り以て然らずとす、当番の欠くべからざる固よりなり、乃ち非番と云ども亦敢て自ら暇逸せざるこそ精勤とも奉公とも云べし、事を為さずして過誤を免るゝは、何ぞ事に錬れて過誤なきに若かんと、家兄深く以て然りとす、
書き下し
以顯父母、孝之終也、の二語を題し、(此語、即ち上文忠孝武三事の歸注する所也、)其下、己の姓名を書し、華押に沾するに鮮血を以てし、以て信記とし、日々是に對せば是亦可觀の敎にも叶ふべし、鄕無善俗世乏誠敎は先師の憂とする所也、今余が不德不才、何ぞ遽かに敎の誠否を云ふに足らんや、然ども、先師の誠敎具に存して此書にあり、諸君と磨勵して是に從事せば、闔族より及ぼして一鄕の俗を善くするに足らざらんや、若し果して松下邑の善俗を成すと能はずんば、先師の英靈寧ぞ吾輩を咎怒らざらんや、諸君以て何如とする、凡仕宦之途、朝出先人、夕退後人、此一語甚だ淺近に似たれども極て意義あり、仕宦の人能是を服膺せば亦守職の吏と云べし、出入先後の事は姑らく一隅を擧たるのみなり、凡人の情、大氏因循苟且、難を厭ひ煩を嫌ふ者なり、今一難事あり必ず人に先て是を任じ、一煩事あり必ず人に後れて是を了す、此心を持て諸事に當らば、職を奉じ君に事る敢て人に後れんや、戰に臨ては必ず人に先て魁となり、戰敗れては必ず人に後て殿となる、又何ぞ古武士に愧るとあらんや、家兄云、己酉の歲、明倫館再興、余初て徵官を得て館中の吏たり、因て故の中谷翁を見る、翁時に益田玄蕃に屬し再興の事務を理す、翁云く、俗吏多く言ふ、當番欠くとも非番詰るなど、此語の心は兎角事を處すれば過誤も出來る者なれば、大氏は人に讓りて己は事を爲さゞる如くし、功名を求めず過誤を免るべしとの意なり、然ども、吾意獨り以て然らずとす、當番の欠くべからざる固よりなり、乃ち非番と云ども亦敢て自ら暇逸せざるこそ精勤とも奉公とも云べし、事を爲さずして過誤を免るゝは、何ぞ事に鍊れて過誤なきに若かんと、家兄深く以て然りとす、
現代語訳
それによって父母を顕すのが孝の終わりである」という二語を題し(この語は、上文の忠孝武の三事が帰着するところです)、その下に自分の姓名を書き、花押に鮮血を染めて信記とし、日々これに向かえば、これもまた見るべき教えにかなうでしょう。「郷に善俗なく、世に誠の教えが乏しい」ことは、先師が憂えられたところです。今、私は不徳不才で、どうして教えの誠か否かを言うに足りましょう。しかし、先師の誠の教えは詳しく残ってこの書にあります。諸君と切磋琢磨してこれに取り組めば、一族から及ぼして一郷の風俗を善くすることができないはずがありません。もし松下村の善い風俗をつくることができなければ、先師の英霊はどうして私たちを咎め怒らないでしょうか。諸君はどう思いますか。およそ仕官の道では、「朝は人より先に出て、夕は人より後に退く」という一語は、きわめて浅く平凡なようですが、非常に意味があります。仕官の人がよくこれを心に刻めば、職を守る役人と言えます。出入りの先後は、ひとまず一端を挙げたに過ぎません。およそ人の情は、おおむね因循で一時しのぎ、難を嫌い煩を嫌うものです。今、一つの難事があれば必ず人に先んじてこれを引き受け、一つの煩事があれば必ず人に後れてこれを終える。この心で諸事に当たれば、職を奉じ君に仕えて、どうして人に後れましょうか。戦に臨んでは必ず人に先んじて先陣となり、戦に敗れては必ず人に後れて殿となる。これもまた古の武士に恥じることがありましょうか。兄が言うには、己酉の年、明倫館が再興されたとき、私は初めて徴官を得て館の役人となった。そこで故中谷翁に会った。翁はそのとき益田玄蕃に属し、再興の事務を取り仕切っていた。翁は言った。俗吏はよく「当番は欠けても、非番は詰める」などと言う。この言葉の心は、とかく事を処理すれば過誤も起こるものなので、おおかたは人に譲って自分は事をしないようにし、功名を求めず過誤を免れようという意味である。しかし私の考えはひとりそうではない。当番が欠けてはならないのはもちろんで、非番であっても自ら暇を得て安逸に過ごさないこそ、精勤とも奉公とも言うべきである。事をせずに過誤を免れるのは、事に鍛えられて過誤のないのに及ぶものか、と。兄は深くもっともだと思い、
解説
この章句が説くこと
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