武教講録 / 武敎小學序・形に囚われず物事の理を悟る
就て見るべし、又上文に究理と云も此事也、漢士にて外國を抑て、其國を尊て自ら中國と尊ぶを見ては、內を尊て外を賤むの理を悟り、我邦の中朝と尊むべきを知り、漢士にて先王を尊み、宗廟社稷を重ずるを見ては、本に報ひ祖を敬するの理を悟り、我天七地五より、代々の聖帝を尊ぶべきを知る類、是究理の學也、若し乃ち漢籍を讀て、漢士を羨みて我國を遺れ、漢士の先王を尊て、我國の神聖を疎かに心得る類、是皆不究理の弊なり、何事に依らず、形跡に拘泥せずして神理を會得すると要にて、禮義作法に於て、尤も其理を思ふべし、禮義作法は、總て君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信に落着するとなるに、其所へは反て心付かずして、威儀容止の節、宮室衣服の制等の瑣事に拘ると、是大に誤なり、且西蕃船砲の術の如き、原皆是を以て國益を開き寇害を防ぐ器械なれば、其理玆にあり、其理を知らずして是を學ぶ者は、夷狄の陋俗を羨て、吾國體を忘るゝに至る、其理を知らずして是を惡む者は、是を以て妖敎邪術に比するに至る、是皆一偏の見にして並に非なり、神州の大體を存し、萬國の器械を采用すると、漢土聖賢の書を講究して、我國忠孝の行を資ると、事の大小は異なれども、畢竟同樣究理の學なり、又爲祭禮用異樣の一事の如き、寬文丙午、先師居父喪追戒子弟中に云ふ、汝曹可戒、不可信浮屠、浮屠輕易而專粧嚴、悉乖聖人之禮云々、然世俗皆從之、不然乃有嫌公門故、大底多從浮屠之說可也、とあり、是等を以て先師の掛酌精密なるを知るべし、是究理の一端と爲すべし、
新字:就て見るべし、又上文に究理と云も此事也、漢士にて外国を抑て、其国を尊て自ら中国と尊ぶを見ては、内を尊て外を賤むの理を悟り、我邦の中朝と尊むべきを知り、漢士にて先王を尊み、宗廟社稷を重ずるを見ては、本に報ひ祖を敬するの理を悟り、我天七地五より、代々の聖帝を尊ぶべきを知る類、是究理の学也、若し乃ち漢籍を読て、漢士を羨みて我国を遺れ、漢士の先王を尊て、我国の神聖を疎かに心得る類、是皆不究理の弊なり、何事に依らず、形跡に拘泥せずして神理を会得すると要にて、礼義作法に於て、尤も其理を思ふべし、礼義作法は、総て君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信に落着するとなるに、其所へは反て心付かずして、威儀容止の節、宮室衣服の制等の瑣事に拘ると、是大に誤なり、且西蕃船砲の術の如き、原皆是を以て国益を開き寇害を防ぐ器械なれば、其理玆にあり、其理を知らずして是を学ぶ者は、夷狄の陋俗を羨て、吾国体を忘るゝに至る、其理を知らずして是を悪む者は、是を以て妖教邪術に比するに至る、是皆一偏の見にして並に非なり、神州の大体を存し、万国の器械を采用すると、漢土聖賢の書を講究して、我国忠孝の行を資ると、事の大小は異なれども、畢竟同様究理の学なり、又為祭礼用異様の一事の如き、寛文丙午、先師居父喪追戒子弟中に云ふ、汝曹可戒、不可信浮屠、浮屠軽易而専粧厳、悉乖聖人之礼云々、然世俗皆従之、不然乃有嫌公門故、大底多従浮屠之説可也、とあり、是等を以て先師の掛酌精密なるを知るべし、是究理の一端と為すべし、
書き下し
就て見るべし、又上文に究理と云も此事也、漢士にて外國を抑て、其國を尊て自ら中國と尊ぶを見ては、內を尊て外を賤むの理を悟り、我邦の中朝と尊むべきを知り、漢士にて先王を尊み、宗廟社稷を重ずるを見ては、本に報ひ祖を敬するの理を悟り、我天七地五より、代々の聖帝を尊ぶべきを知る類、是究理の學也、若し乃ち漢籍を讀て、漢士を羨みて我國を遺れ、漢士の先王を尊て、我國の神聖を疎かに心得る類、是皆不究理の弊なり、何事に依らず、形跡に拘泥せずして神理を會得すると要にて、禮義作法に於て、尤も其理を思ふべし、禮義作法は、總て君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信に落着するとなるに、其所へは反て心付かずして、威儀容止の節、宮室衣服の制等の瑣事に拘ると、是大に誤なり、且西蕃船砲の術の如き、原皆是を以て國益を開き寇害を防ぐ器械なれば、其理玆にあり、其理を知らずして是を學ぶ者は、夷狄の陋俗を羨て、吾國體を忘るゝに至る、其理を知らずして是を惡む者は、是を以て妖敎邪術に比するに至る、是皆一偏の見にして並に非なり、神州の大體を存し、萬國の器械を采用すると、漢土聖賢の書を講究して、我國忠孝の行を資ると、事の大小は異なれども、畢竟同樣究理の學なり、又爲祭禮用異樣の一事の如き、寬文丙午、先師居父喪追戒子弟中に云ふ、汝曹可戒、不可信浮屠、浮屠輕易而專粧嚴、悉乖聖人之禮云々、然世俗皆從之、不然乃有嫌公門故、大底多從浮屠之說可也、とあり、是等を以て先師の掛酌精密なるを知るべし、是究理の一端と爲すべし、
現代語訳
(前の続きを)見るべきです。また上の文で言う究理とは、このことです。中国で外国を抑えて自国を尊び、自ら中国と称するのを見ては、自国を尊び他国を軽んずる理を悟り、我が国が中朝と尊ばれるべきことを知り、中国で先王を尊び、宗廟社稷を重んずるのを見ては、本に報い祖先を敬う理を悟り、我が国の天神七代・地神五代から代々の聖帝を尊ぶべきことを知るような類が、究理の学です。もし漢籍を読んで中国を羨み、我が国を忘れ、中国の先王を尊んで我が国の神聖をおろそかに心得るような類は、みな理を究めない弊害です。何事によらず、形跡に拘泥せず、本質の理を会得することが肝要です。礼儀作法においては、特にその理を思うべきです。礼儀作法は、総じて君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信に行き着くのに、その点にはかえって気づかず、威儀や立ち居振る舞いの節度、家屋や衣服の制度などの些細なことに拘るのは、大きな誤りです。また西洋の船や砲の術のようなものも、もとはみな国益を開き外敵の害を防ぐための器械なのですから、その理はここにあります。その理を知らずにこれを学ぶ者は、異民族の卑しい風習を羨んで我が国の体を忘れるに至り、その理を知らずにこれを憎む者は、これを妖しい教えや邪術に等しいものとするに至ります。これはどちらも一方に偏った見方で、ともに誤りです。日本の大体を保ちつつ万国の器械を採用すること、中国の聖賢の書を究めて我が国の忠孝の行いを助けることは、事の大小は違っても、結局は同じく究理の学です。また、祭礼のために異なる方式を用いるという一事については、寛文丙午の年、先師が父の喪に居て子弟に追って戒めた文の中に、「お前たちは戒めよ。仏教を信じてはならない。仏教は軽々しく簡略で、ただ飾り立てることに専念し、すべて聖人の礼に反している。云々。しかし世間はみなこれに従っている。そうでなければ、公の場で嫌われることもあるので、おおむね仏教の説に従ってよい」とあります。これらによって、先師の斟酌の精密なことが分かります。これも究理の一端とすべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・述而篇子曰わく、黙してこれを識り、学びて厭わず、人を誨えて倦まず、我に何か有らんや。
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老子・第44章名と身と孰れか親しき。身と貨と孰れか多なる。得ると亡うと孰れか病なる。甚だ愛すれば必ず大いに費え、多く蔵すれば必ず厚く亡う。故に足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なるべし。
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『幽夢影』巻下・文に通ぜずして愛すべき者有り貌に醜くして觀るべき者有り、醜からずと雖も觀るに足らざる者有り。文に通ぜずして愛すべき者有り、通ずと雖も極めて厭ふべき者有り。此れ未だ淺人と道ひ易からざるなり。
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老子・第14章之を視れども見えず、名づけて夷と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を搏てども得ず、名づけて微と曰う。此の三者は詰を致すべからず、故に混じて一と為る。其の上は皦らかならず、其の下は昧からず。縄縄として名づくべからず、無物に復帰す。是を無状の状、無物の象と謂い、是を惚恍と謂う。之を迎うれども其の首を見ず、之に随えども其の後を見ず。古の道を執りて、以て今の有を御す。能く古始を知る、是を道紀と謂う。
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言志四録・言志後録 第百四十条 月を看、花を看る月を看るは、清気を観るなり。円缺晴翳の間に在らず。花を看るは、生意を観るなり。紅紫香臭の外に存す。
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『晏子春秋』諫下・景公欲以聖王之居服而致諸侯晏子諫景公晏子に問いて曰く、「吾聖王の服を服し、聖王の室に居らんと欲す、此の如くんば、則ち諸侯其れ至らんか」と。晏子対えて曰く、「其の節倹に法るは則ち可なり、其の服室に法るは益無きなり。三王服を同じくせずして王たり、服を以て諸侯を致すに非ず。民を愛するに誠にして、善を行うに果、天下其の徳に懐き、其の義に帰す、若し其の衣服節倹にして衆説ぶがごときなり。夫れ冠は以て敬を修むるに足る、其の飾りを務めず。衣は以て形を掩うに足る、其の美を務めず。衣に隅差の削無く、冠に觚嬴の理無く、身服は彩を雑えず、首服は鏤刻せず。且つ古者嘗て紩衣攣領にして天下に王たる者有り、其の政は生を好み殺を悪み、上を節して下を羨う、天下其の服に朝せずして共に其の義に帰す。古者嘗て橧巣窟穴に処りて天下に王たる者有り、其の政は而して悪まず、予えて取らず、天下其の室に朝せずして共に其の仁に帰す。三代の服を作るに及びて、益ます敬を為すなり。首服は以て敬を修むるに足りて重からざるなり。身服は以て潔きを行うに足りて動作を害せず。服の軽重は身に便にして、用財の費は民に順う。

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