武教講録 / 武敎小學序・民の上に立つ者は責務を自覚する
且大學の書は古の大學にて、大夫元士の適子凡民の俊秀迄を敎ゆる所なれども、其敎亦治國平天下に及べり、是を以て知る、僅かに士となりて農工商の間を離れば、直に治國平天下迄へ心を配り、世の治安、政の和平を輔佐し奉るの誠心なくては叶はぬと也、抑二尊の萬物を生出し給ひし時、天下の主たる天照皇太神を生給ふ、夫より數千萬年を經ても皇太神の子子孫々繩々綿々として天壤と窮りなく、天下の主として萬物を統治給ふ、而して萬物中にて最も靈なるは人民に如くはなし、人民は靈物なれば衣食を生ずるあり、宮室器皿を造作するあり、此二物を有無交易して融通せしむるあり、是皆各其職ありて互に利し互に益して世を涉る者也、士たる者は、三民の業なくして三民の上に立ち、人君の下に居り、君意を奉じて民の爲めに災害禍亂を防ぎ、財成輔相をなすを以て職とせり、而るに今の士たる者民の膏血を賸り、君の俸祿を攘み、此理を思はざるは實に天の賊民と云べし、此處人人自ら考へ、三民の長たるに負かぬ如く覺悟し給へ、先考龍門先生、頼杏坪の食祿箴の後に題し給ふ中に云へり、君者國之幹、民者國之本、臣立於君民之間、使君仁民勤業而美、則歸之于君與民、而牧刺於己、朝典因此不亂、治敎因此日明、是人臣之所以奉上也と、寅や不敏なりと雖ども、遠くは先師の敎を思ひ、近くは先考の訓を仰ぐ、而して賊民となるに安ぜんや、學者、爲格物致知、而非爲效異國之俗也、と云處亦尤も思ふべし、格物致知は大學に見ゆ、其詳說の如きは、山鹿語類卷三十三、聖學一に具す、
新字:且大学の書は古の大学にて、大夫元士の適子凡民の俊秀迄を教ゆる所なれども、其教亦治国平天下に及べり、是を以て知る、僅かに士となりて農工商の間を離れば、直に治国平天下迄へ心を配り、世の治安、政の和平を輔佐し奉るの誠心なくては叶はぬと也、抑二尊の万物を生出し給ひし時、天下の主たる天照皇太神を生給ふ、夫より数千万年を経ても皇太神の子子孫々縄々綿々として天壤と窮りなく、天下の主として万物を統治給ふ、而して万物中にて最も霊なるは人民に如くはなし、人民は霊物なれば衣食を生ずるあり、宮室器皿を造作するあり、此二物を有無交易して融通せしむるあり、是皆各其職ありて互に利し互に益して世を渉る者也、士たる者は、三民の業なくして三民の上に立ち、人君の下に居り、君意を奉じて民の為めに災害禍乱を防ぎ、財成輔相をなすを以て職とせり、而るに今の士たる者民の膏血を賸り、君の俸禄を攘み、此理を思はざるは実に天の賊民と云べし、此処人人自ら考へ、三民の長たるに負かぬ如く覚悟し給へ、先考竜門先生、頼杏坪の食禄箴の後に題し給ふ中に云へり、君者国之幹、民者国之本、臣立於君民之間、使君仁民勤業而美、則帰之于君与民、而牧刺於己、朝典因此不乱、治教因此日明、是人臣之所以奉上也と、寅や不敏なりと雖ども、遠くは先師の教を思ひ、近くは先考の訓を仰ぐ、而して賊民となるに安ぜんや、学者、為格物致知、而非為効異国之俗也、と云処亦尤も思ふべし、格物致知は大学に見ゆ、其詳説の如きは、山鹿語類巻三十三、聖学一に具す、
書き下し
且大學の書は古の大學にて、大夫元士の適子凡民の俊秀迄を敎ゆる所なれども、其敎亦治國平天下に及べり、是を以て知る、僅かに士となりて農工商の間を離れば、直に治國平天下迄へ心を配り、世の治安、政の和平を輔佐し奉るの誠心なくては叶はぬと也、抑二尊の萬物を生出し給ひし時、天下の主たる天照皇太神を生給ふ、夫より數千萬年を經ても皇太神の子子孫々繩々綿々として天壤と窮りなく、天下の主として萬物を統治給ふ、而して萬物中にて最も靈なるは人民に如くはなし、人民は靈物なれば衣食を生ずるあり、宮室器皿を造作するあり、此二物を有無交易して融通せしむるあり、是皆各其職ありて互に利し互に益して世を涉る者也、士たる者は、三民の業なくして三民の上に立ち、人君の下に居り、君意を奉じて民の爲めに災害禍亂を防ぎ、財成輔相をなすを以て職とせり、而るに今の士たる者民の膏血を賸り、君の俸祿を攘み、此理を思はざるは實に天の賊民と云べし、此處人人自ら考へ、三民の長たるに負かぬ如く覺悟し給へ、先考龍門先生、頼杏坪の食祿箴の後に題し給ふ中に云へり、君者國之幹、民者國之本、臣立於君民之間、使君仁民勤業而美、則歸之于君與民、而牧刺於己、朝典因此不亂、治敎因此日明、是人臣之所以奉上也と、寅や不敏なりと雖ども、遠くは先師の敎を思ひ、近くは先考の訓を仰ぐ、而して賊民となるに安ぜんや、學者、爲格物致知、而非爲效異國之俗也、と云處亦尤も思ふべし、格物致知は大學に見ゆ、其詳說の如きは、山鹿語類卷三十三、聖學一に具す、
現代語訳
そもそも『大学』の書は、古の大学であり、大夫や元士の跡継ぎ、一般の民の優れた者までを教えるところですが、その教えもまた国を治め天下を平らかにすることにまで及んでいます。ここから分かるのは、わずかでも士となって農工商の間を離れれば、すぐに国を治め天下を平らかにすることにまで心を配り、世の治安と政の和平を補佐し奉る誠の心がなくてはならない、ということです。そもそも伊弉諾・伊弉冉の二尊が万物を生み出されたとき、天下の主である天照皇太神をお生みになりました。それから数千万年を経ても、皇太神の子孫は絶え間なく続き、天地とともに窮まりなく、天下の主として万物を統治されます。そして万物の中で最も霊妙なのは人民で、人民は霊妙な物であるから、衣食を生み出す者があり、家屋や器を造る者があり、この二つを有無交換して融通させる者があります。これはみな、それぞれに職があって互いに利し益して世を渡るものです。士は三民の業を持たずに三民の上に立ち、君主の下にあって、君の意を奉じ、民のために災害や禍乱を防ぎ、自然の恵みを整え助けることを職分としています。それなのに今の士は、民の膏血をむさぼり、君の俸禄を盗み、この理を思わないのは、まことに天の賊民というべきです。ここで一人ひとり自ら考え、三民の長たるに恥じないよう覚悟してください。亡き父、龍門先生が頼杏坪の『食禄箴』の後ろに題された文の中で、「君は国の幹であり、民は国の本である。臣は君と民の間に立ち、君を仁にし民を業に励ませて美を成し、その功を君と民に帰し、過ちは己に引き受ける。朝廷の典礼はこれによって乱れず、政治と教化はこれによって日に明らかになる。これが人臣が君に仕えるゆえんである」と言われました。私(寅)は不敏ではありますが、遠くは先師の教えを思い、近くは亡き父の訓えを仰いでいます。それでどうして賊民となることに安んじていられましょうか。「学者は格物致知のために学ぶのであって、異国の風俗を真似るために学ぶのではない」というところも、もっともなことで思うべきです。格物致知は『大学』に見えます。その詳しい説明は『山鹿語類』巻三十三、聖学一に備わっています。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
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人生を、一行の式にしてみた。
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