武教講録 / 武敎小學序・士道と国体を幼い頃から心がける
此序の大主意を能々呑込給へ、是にて士道も國體も其梗槩を得べし、先づ士道と云は、無禮無法粗暴狂悖の偏武にても濟まず、記誦詞章浮華文柔の偏文にても濟まず、眞武眞文を學び、身を修心を正ふして、國を治め天下を平にすると、是士道也、國體と云は、神州は神州の體あり、異國は異國の體あり、異國の書を讀めば兎角異國の事のみを善と思ひ、我國をば却て賤みて異國を羨む樣に成行くと、學者の通患にて、是神州の體は異國の體と異なる譯を知らぬ故也、故に晦菴の小學にて、前に云士道は大氏知れたれども、是は唐人の作りたる書ゆへ、國體を辨ぜずして遽かに讀むときは、同じく異國を羨み我國體を失ふ樣に成行くとを免がれざるを、先師深く慮り給ふ、是武敎小學を作る所以也、是を以て國體を考ふべし、扨其士道國體は甚切要の事なれば、幼年の時より心掛させ工夫さすべきと、是小學の本意にて、詰り志人仁人と成る樣にとの敎誡なり、是此序の大意、即ち此書の大意也、士無農工商之業而爲三民之長と云所へ深く工夫を凝し給へ、此意味孟子にも論じてあり、盡心上篇に云く、公孫丑曰、詩曰、不素餐兮、君子之不耕而食何也、孟子曰、君子居是國也、其君用之安富尊榮、其子弟從之則孝弟忠信、不素餐兮孰大於是、又云く、王子塾問曰、士何事、孟子曰、尙志、曰、何謂尙志、曰、仁義而已矣、と余曾て講孟餘話中に於て畧是を辨ず、又士は主將士へ係るとなるが、平士を以て治國平天下を任ずると過僭の樣に聞ゆれども、論語にも友于兄弟施於有政是亦爲政と云とあれば、一家と國天下と原是一串の事也、
新字:此序の大主意を能々呑込給へ、是にて士道も国体も其梗槩を得べし、先づ士道と云は、無礼無法粗暴狂悖の偏武にても済まず、記誦詞章浮華文柔の偏文にても済まず、真武真文を学び、身を修心を正ふして、国を治め天下を平にすると、是士道也、国体と云は、神州は神州の体あり、異国は異国の体あり、異国の書を読めば兎角異国の事のみを善と思ひ、我国をば却て賤みて異国を羨む様に成行くと、学者の通患にて、是神州の体は異国の体と異なる訳を知らぬ故也、故に晦菴の小学にて、前に云士道は大氏知れたれども、是は唐人の作りたる書ゆへ、国体を弁ぜずして遽かに読むときは、同じく異国を羨み我国体を失ふ様に成行くとを免がれざるを、先師深く慮り給ふ、是武教小学を作る所以也、是を以て国体を考ふべし、扨其士道国体は甚切要の事なれば、幼年の時より心掛させ工夫さすべきと、是小学の本意にて、詰り志人仁人と成る様にとの教誡なり、是此序の大意、即ち此書の大意也、士無農工商之業而為三民之長と云所へ深く工夫を凝し給へ、此意味孟子にも論じてあり、尽心上篇に云く、公孫丑曰、詩曰、不素餐兮、君子之不耕而食何也、孟子曰、君子居是国也、其君用之安富尊栄、其子弟従之則孝弟忠信、不素餐兮孰大於是、又云く、王子塾問曰、士何事、孟子曰、尚志、曰、何謂尚志、曰、仁義而已矣、と余曽て講孟余話中に於て略是を弁ず、又士は主将士へ係るとなるが、平士を以て治国平天下を任ずると過僭の様に聞ゆれども、論語にも友于兄弟施於有政是亦為政と云とあれば、一家と国天下と原是一串の事也、
書き下し
此序の大主意を能々呑込給へ、是にて士道も國體も其梗槩を得べし、先づ士道と云は、無禮無法粗暴狂悖の偏武にても濟まず、記誦詞章浮華文柔の偏文にても濟まず、眞武眞文を學び、身を修心を正ふして、國を治め天下を平にすると、是士道也、國體と云は、神州は神州の體あり、異國は異國の體あり、異國の書を讀めば兎角異國の事のみを善と思ひ、我國をば却て賤みて異國を羨む樣に成行くと、學者の通患にて、是神州の體は異國の體と異なる譯を知らぬ故也、故に晦菴の小學にて、前に云士道は大氏知れたれども、是は唐人の作りたる書ゆへ、國體を辨ぜずして遽かに讀むときは、同じく異國を羨み我國體を失ふ樣に成行くとを免がれざるを、先師深く慮り給ふ、是武敎小學を作る所以也、是を以て國體を考ふべし、扨其士道國體は甚切要の事なれば、幼年の時より心掛させ工夫さすべきと、是小學の本意にて、詰り志人仁人と成る樣にとの敎誡なり、是此序の大意、即ち此書の大意也、士無農工商之業而爲三民之長と云所へ深く工夫を凝し給へ、此意味孟子にも論じてあり、盡心上篇に云く、公孫丑曰、詩曰、不素餐兮、君子之不耕而食何也、孟子曰、君子居是國也、其君用之安富尊榮、其子弟從之則孝弟忠信、不素餐兮孰大於是、又云く、王子塾問曰、士何事、孟子曰、尙志、曰、何謂尙志、曰、仁義而已矣、と余曾て講孟餘話中に於て畧是を辨ず、又士は主將士へ係るとなるが、平士を以て治國平天下を任ずると過僭の樣に聞ゆれども、論語にも友于兄弟施於有政是亦爲政と云とあれば、一家と國天下と原是一串の事也、
現代語訳
この序の大きな趣旨をよく呑み込んでください。これで士道も国体も、その大要が分かります。まず士道とは、無礼無法で粗暴な偏った武でも済まず、暗記や詩文に偏った浮ついた軟弱な偏った文でも済まず、真の武と真の文を学び、身を修め心を正して、国を治め天下を平らかにすることです。国体とは、日本には日本の体があり、外国には外国の体があるということです。外国の書を読むと、とかく外国のことばかりを善いと思い、我が国をかえって賤しんで外国を羨むようになるのが学者に共通の弊害で、それは日本の体が外国の体と異なる理由を知らないからです。そこで朱子(晦菴)の『小学』によって、前に述べた士道はおおよそ分かりますが、これは中国人の作った書なので、国体を弁えずにいきなり読むと、同じく外国を羨み、我が国の体を失うようになることを免れないと、先師は深く憂えられました。これが『武教小学』を作られた理由です。このことから国体を考えるべきです。さて、その士道と国体はきわめて大切なことなので、幼年のときから心がけさせ、工夫させるべきだというのが『小学』の本意で、つまりは志人・仁人となるようにという教えです。これがこの序の大意であり、すなわちこの書の大意です。「士は農工商の業なくして三民の長となる」というところに、深く工夫を凝らしてください。この意味は孟子にも論じられています。尽心上篇に、公孫丑が「詩に『働かずに食らわず』とありますが、君子が耕さずに食べるのはなぜですか」と問い、孟子は「君子がこの国にいて、君主が用いれば安らかで富み尊く栄え、その子弟が従えば孝悌忠信となる。『働かずに食らわず』とは、これ以上のものがあろうか」と答えました。また王子塾が「士は何をするものですか」と問い、孟子は「志を高く持つことだ」と答え、「志を高く持つとは」と問われて「仁義だけだ」と答えました。私はかつて『講孟余話』の中で、これを大略論じました。また、士は主将・士に関わることなので、平士が国を治め天下を平らかにする任を負うのは分を越えるように聞こえますが、『論語』にも「兄弟に友愛を尽くして政に及ぼす、これもまた政をなすことである」とあるので、一家と国・天下はもともと一続きのことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」

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