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武教講録 / 開講主意・道を知れば職分は自然と務められる

安政三年丙辰八月二十二日を卜定し、諸君を會し、山鹿先師の武敎全書を開講すると何たる主意なるぞ、各能く考給へ、吾も人も貴き皇國に生れ、特に吾々は武門武士たる上は、其職分なる武道を勸め、皇國の大恩に報ずべきは論にも及ぬと也、然ども、誰人も職分と國恩を知らぬ者はなけれども、勤むる者と報ゆる者とは今古に亘りて甚稀也、其故由を考ふるに、勤むるも報ゆるも左迄六ヶ敷事には非ず、唯道を知ると知らぬとなり、果して能く道を知らば誰か勸めざらんや、誰か報ざらんや、されば、道を知らんとならば能々先師の敎誡を服膺し給へ、書物も古今に多き者なるに、何故余が殊更に先師の書を信仰するかなれば、吾が先師の敎は、此書を見れば具に知るゝとなれども、其一端を云はゞ、先師曾て北條安房守の守へ召出され、赤穗謫居の命を承られたる時の事を見ても、先師平日の覺悟筋を知るべし、又赤穗の遺臣亡君の仇を復したる始末の處置を見ても、大石良雄が先師に學得たる所知るべし、國恩の事に至ては、先師滿世の俗儒外國を貴み我邦を賤むる中に生れ、獨り卓然として異說を排し、上古神聖の道を窮め、中朝事實を撰ばれたる深意を考て知るべし、此二事は、先日諸君と先師の配所殘筆を會讀したるとき、口舌の焦爛する丈繰返し卷返し說續けたるとなれば、諸君固より已に胸中に存し居らるべし、余は罪囚の餘にて他人に接すべき身に非ざれども、其獨自ら志す所は皇國の大恩に報ひ、武門武士の職分を勤むるにあり、此志は死すと雖も吾敢て變ぜず、今諸君親戚の緣故を以て惠然として來會す、吾願くば闔族相謀り志を勵まし先師の行實に負くとなからんとを欲す、昔し先師斯道を以て己の任とす、世の是非毀譽を顧みず、其極赤穗に謫居するに至て已む、然れば、吾輩寧ろ志を斯道を衞るに勵まざるべけんや、是今日開講第一の主意なり、諸君能々思慮し給へ、

新字:安政三年丙辰八月二十二日を卜定し、諸君を会し、山鹿先師の武教全書を開講すると何たる主意なるぞ、各能く考給へ、吾も人も貴き皇国に生れ、特に吾々は武門武士たる上は、其職分なる武道を勧め、皇国の大恩に報ずべきは論にも及ぬと也、然ども、誰人も職分と国恩を知らぬ者はなけれども、勤むる者と報ゆる者とは今古に亘りて甚稀也、其故由を考ふるに、勤むるも報ゆるも左迄六ヶ敷事には非ず、唯道を知ると知らぬとなり、果して能く道を知らば誰か勧めざらんや、誰か報ざらんや、されば、道を知らんとならば能々先師の教誡を服膺し給へ、書物も古今に多き者なるに、何故余が殊更に先師の書を信仰するかなれば、吾が先師の教は、此書を見れば具に知るゝとなれども、其一端を云はゞ、先師曽て北条安房守の守へ召出され、赤穂謫居の命を承られたる時の事を見ても、先師平日の覚悟筋を知るべし、又赤穂の遺臣亡君の仇を復したる始末の処置を見ても、大石良雄が先師に学得たる所知るべし、国恩の事に至ては、先師満世の俗儒外国を貴み我邦を賤むる中に生れ、独り卓然として異説を排し、上古神聖の道を窮め、中朝事実を撰ばれたる深意を考て知るべし、此二事は、先日諸君と先師の配所残筆を会読したるとき、口舌の焦爛する丈繰返し巻返し説続けたるとなれば、諸君固より已に胸中に存し居らるべし、余は罪囚の余にて他人に接すべき身に非ざれども、其独自ら志す所は皇国の大恩に報ひ、武門武士の職分を勤むるにあり、此志は死すと雖も吾敢て変ぜず、今諸君親戚の縁故を以て恵然として来会す、吾願くば闔族相謀り志を励まし先師の行実に負くとなからんとを欲す、昔し先師斯道を以て己の任とす、世の是非毀誉を顧みず、其極赤穂に謫居するに至て已む、然れば、吾輩寧ろ志を斯道を衛るに励まざるべけんや、是今日開講第一の主意なり、諸君能々思慮し給へ、

書き下し

安政三年丙辰八月二十二日を卜定し、諸君を會し、山鹿先師の武敎全書を開講すると何たる主意なるぞ、各能く考給へ、吾も人も貴き皇國に生れ、特に吾々は武門武士たる上は、其職分なる武道を勸め、皇國の大恩に報ずべきは論にも及ぬと也、然ども、誰人も職分と國恩を知らぬ者はなけれども、勤むる者と報ゆる者とは今古に亘りて甚稀也、其故由を考ふるに、勤むるも報ゆるも左迄六ヶ敷事には非ず、唯道を知ると知らぬとなり、果して能く道を知らば誰か勸めざらんや、誰か報ざらんや、されば、道を知らんとならば能々先師の敎誡を服膺し給へ、書物も古今に多き者なるに、何故余が殊更に先師の書を信仰するかなれば、吾が先師の敎は、此書を見れば具に知るゝとなれども、其一端を云はゞ、先師曾て北條安房守の守へ召出され、赤穗謫居の命を承られたる時の事を見ても、先師平日の覺悟筋を知るべし、又赤穗の遺臣亡君の仇を復したる始末の處置を見ても、大石良雄が先師に學得たる所知るべし、國恩の事に至ては、先師滿世の俗儒外國を貴み我邦を賤むる中に生れ、獨り卓然として異說を排し、上古神聖の道を窮め、中朝事實を撰ばれたる深意を考て知るべし、此二事は、先日諸君と先師の配所殘筆を會讀したるとき、口舌の焦爛する丈繰返し卷返し說續けたるとなれば、諸君固より已に胸中に存し居らるべし、余は罪囚の餘にて他人に接すべき身に非ざれども、其獨自ら志す所は皇國の大恩に報ひ、武門武士の職分を勤むるにあり、此志は死すと雖も吾敢て變ぜず、今諸君親戚の緣故を以て惠然として來會す、吾願くば闔族相謀り志を勵まし先師の行實に負くとなからんとを欲す、昔し先師斯道を以て己の任とす、世の是非毀譽を顧みず、其極赤穗に謫居するに至て已む、然れば、吾輩寧ろ志を斯道を衞るに勵まざるべけんや、是今日開講第一の主意なり、諸君能々思慮し給へ、

現代語訳

安政三年丙辰八月二十二日を選び、皆さんを集めて山鹿先師の武教全書を講じ始めるのは、どのような趣旨でしょうか。各自よく考えてください。私もあなた方も尊い皇国に生まれ、特に私たちは武門の武士である以上、その職分である武道を励み、皇国の大恩に報いるべきなのは言うまでもないことです。しかし、誰もが職分と国恩を知らないわけではないのに、務める者と報いる者は昔も今も甚だ稀です。その理由を考えると、務めるのも報いるのもそれほど難しいことではなく、ただ道を知っているか知らないかの違いです。本当に道を知れば、誰が励まず、誰が報いないでしょうか。ですから道を知ろうとするなら、よく先師の教えを心に刻んでください。書物は古今に多いのに、なぜ私が特に先師の書を信仰するのかといえば、先師の教えはこの書を見れば詳しく分かりますが、その一端を言えば、先師がかつて北条安房守に召し出され、赤穂への配流の命を受けたときの様子を見ても、先師の平素の覚悟が分かります。また赤穂の遺臣が亡き主君の仇を討った経緯の処置を見ても、大石良雄が先師に学んだところが分かります。国恩については、先師が世の俗儒が外国を貴び我が国を賤しむ中に生まれながら、ただ一人卓然として異説を退け、上古の神聖の道を究め、『中朝事実』を著された深い意図を考えれば分かります。この二点は、先日皆さんと先師の『配所残筆』を会読したとき、口が焦げるほど繰り返し説いたことですから、皆さんの胸中にすでにあるはずです。私は罪人の身で他人に接する資格はありませんが、ひそかに志すところは、皇国の大恩に報い、武門武士の職分を務めることにあります。この志は死んでも変えません。今、皆さんが親戚の縁で快く集まってくださいました。願わくは一族がともに励まし合い、先師の行いに背かないようにしたいのです。昔、先師はこの道を自分の任とし、世間の是非や毀誉を顧みず、ついに赤穂に配流されるに至りました。ならば私たちは、むしろこの道を守ることに志を励まないでよいでしょうか。これが今日の開講の第一の趣旨です。皆さん、よく考えてください。

解説

開講の趣旨を述べた一節で、職分や恩を知らない人はいないのに実行する人が稀なのは、道、つまり筋道を知るか否かの差だと説きます。背景には、先師の覚悟を範とし、志を同じくする仲間と励まそうという呼びかけがあります。現代の組織でも、役割や使命を知っていても動けないのは、なぜそれをやるのかという根本が腹に落ちていないからです。管理職は仕事の手順だけでなく理念と理由を丁寧に語り、同じ志で歩む仲間をつくることが大切です。

この章句が説くこと

武教講録吉田松陰山鹿素行開講主意職分志

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