武訓 / 下・第23段
武士を、物の部といふこと、神武天皇の御時、宇麻志麻治命と、道臣命と、軍兵を具して、內裏を守る。道臣命の司れる軍兵をば、兵といふ。宇麻志麻治命の司れるを、物部といひし故なり。
新字:武士を、物の部といふこと、神武天皇の御時、宇麻志麻治命と、道臣命と、軍兵を具して、内裏を守る。道臣命の司れる軍兵をば、兵といふ。宇麻志麻治命の司れるを、物部といひし故なり。
書き下し
武士を、物の部といふこと、神武天皇の御時、宇麻志麻治命と、道臣命と、軍兵を具して、內裏を守る。道臣命の司れる軍兵をば、兵といふ。宇麻志麻治命の司れるを、物部といひし故なり。
現代語訳
武士を「もののふ」というのは、神武天皇の御代に、宇麻志麻治命と道臣命が軍兵を率いて内裏を守った。道臣命が司った軍兵を「兵」といい、宇麻志麻治命が司ったのを「物部」といったからである。
解説
武士を「物の部」と呼ぶ由来を、神武天皇の御代の故事で説明する短い段です。内裏を守った軍兵のうち、道臣命の司る軍兵を「兵」、宇麻志麻治命の司るものを「物部」と呼んだとされています。益軒は戦陣の心得の合間に、こうした語源の知識も記しており、武の道が言葉や歴史と結びついていることがうかがえます。本文だけでは、二人の来歴や制度の詳細までは分かりません。現代の仕事でも、自分の職種や肩書の由来を知ることは、役割への理解や誇りを深める手がかりになります。言葉のはじまりを知ることは、仕事の足場を確かめる作業でもあります。
この章句が説くこと
物部武士語源神武天皇内裏武訓
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『文武訓』武訓下一武士を物の部といふこと、神武天皇の御時、宇麻志麻治命と、道臣命と、軍兵を具して内裏を守る。道臣命の司れる軍兵をば兵といふ。宇麻志麻治命の司れるを、物部といひし故なり。一戦陣に川を渡すに、河辺にのぞんで乗り入る所と、向ひのあがり所をよく見定むべし。むかひあがり場悪しければ、あがりにくく、敵にうたれ身方に越さる。川ほりなどありて、馬にて飛びこすべきとおもふ所は、かねて馬を乗るに、馬の足をはやめ、其勢を以て飛び越さすべし。かち立にて走り越ゆるも同意なり。敵川を越来るを待ちて戦ふに、古法に、半渡るをうつといふ。半渡とは、敵川半まで渡り来るといふ事には非ず。身方は、川ばたより二三町ほど引退きて陣をなし、敵の川をこし来るをうつ。敵兵半ば岸よりあがりて、備いまだ定まらず、半ば未だ川中にありて渡る時、此方よりきそひかかりて、敵の備なきを急にうつて、敵を川に追ひはめ打つをいふ。是必ず利ある謀なり。
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