武訓 / 上・第26段
勇にあやまる人は、死すべからずして死す。是、仁にそむきて、生をかろんず、孝にあらず。勇なき人は、死すべくして死なず。是、義にそむきて、生をしみ、恥をしらず、忠にあらず。
書き下し
勇にあやまる人は、死すべからずして死す。是、仁にそむきて、生をかろんず、孝にあらず。勇なき人は、死すべくして死なず。是、義にそむきて、生をしみ、恥をしらず、忠にあらず。
現代語訳
勇を誤る人は、死んではならないのに死にます。これは仁に背いて、生を軽んじるもので、孝ではありません。勇のない人は、死ぬべきときに死にません。これは義に背いて、生を惜しみ、恥を知らないもので、忠ではありません。
解説
短い段ですが、前の二段の要点を、勇を誤る人と勇のない人の対比に絞ってまとめています。前者は生を軽んじて仁と孝に背き、後者は生を惜しんで義と忠に背く、という形です。益軒は勇を、行き過ぎと足りなさの両側から見ており、どちらも道を外れるとします。蛮勇と臆病の間に正しい勇があるという考え方は、仕事の場面にもあてはまります。無謀な挑戦に突っ込む人も、責任を負うべき場面で引く人も、組織には危うさをもたらします。自分がどちらに傾きやすいかを知っておくことが、調整の出発点です。
この章句が説くこと
勇過不足生を軽んじる恥仁義武訓
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