武訓 / 上・第13段
士たる者、戰にのぞんで、身をすつることはかたからず。血氣の勇は、盜賊もよくするものなり。只、身をすてゝ、義にかなふことかたし。故に、死ぬべからずして死ぬるは、是、其の身をかろんず。父母よりうけし身をいたづらにするは、不孝なり。死ぬべくして死なざるは、是、其の死をおそれ、命をしみて君の爲にせず、不忠なり。是、李太白が言なり。年わかく血氣さかんなる人、勇をたのまば、忠孝の道をしりて、生死、只、義にかなふべし。學問なければ、忠孝の道をしらず。死ぬべくして死なず。いやしむべし。死ぬべからずして死ぬ。かなしむべし。勇怯ことなれども、義理にそむけることは一なり。武士は、學問して義理をしれば、死生する理にかなふ。
新字:士たる者、戦にのぞんで、身をすつることはかたからず。血気の勇は、盗賊もよくするものなり。只、身をすてゝ、義にかなふことかたし。故に、死ぬべからずして死ぬるは、是、其の身をかろんず。父母よりうけし身をいたづらにするは、不孝なり。死ぬべくして死なざるは、是、其の死をおそれ、命をしみて君の為にせず、不忠なり。是、李太白が言なり。年わかく血気さかんなる人、勇をたのまば、忠孝の道をしりて、生死、只、義にかなふべし。学問なければ、忠孝の道をしらず。死ぬべくして死なず。いやしむべし。死ぬべからずして死ぬ。かなしむべし。勇怯ことなれども、義理にそむけることは一なり。武士は、学問して義理をしれば、死生する理にかなふ。
書き下し
士たる者、戰にのぞんで、身をすつることはかたからず。血氣の勇は、盜賊もよくするものなり。只、身をすてゝ、義にかなふことかたし。故に、死ぬべからずして死ぬるは、是、其の身をかろんず。父母よりうけし身をいたづらにするは、不孝なり。死ぬべくして死なざるは、是、其の死をおそれ、命をしみて君の爲にせず、不忠なり。是、李太白が言なり。年わかく血氣さかんなる人、勇をたのまば、忠孝の道をしりて、生死、只、義にかなふべし。學問なければ、忠孝の道をしらず。死ぬべくして死なず。いやしむべし。死ぬべからずして死ぬ。かなしむべし。勇怯ことなれども、義理にそむけることは一なり。武士は、學問して義理をしれば、死生する理にかなふ。
現代語訳
士たる者が、戦に臨んで身を捨てることは、難しくありません。血気の勇は、盗賊もよくするものです。ただ、身を捨てて義にかなうことが難しいのです。ですから、死ぬべきでないのに死ぬのは、その身を軽んじることです。父母から受けた身をむだにするのは、不孝です。死ぬべきなのに死なないのは、その死を恐れ、命を惜しんで君のためにしないことで、不忠です。これは李太白の言葉です。年が若く血気の盛んな人が、勇を頼みにするなら、忠孝の道を知って、生死をただ義にかなうようにすべきです。学問がなければ、忠孝の道を知りません。死ぬべきなのに死なないのは、いやしむべきことです。死ぬべきでないのに死ぬのは、悲しむべきことです。勇怯は異なっていても、義理にそむいている点では同じです。武士は、学問をして義理を知れば、死ぬも生きるも理にかないます。
解説
この章句が説くこと
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