武訓 / 上・第8段
勇怯とは、勇は、けなげなり。怯は、つたなきなり。怯とは、おく病なるをいふ。勇怯は、生れつきたる性により、又、ならはしによる。うまれつきも、ならはしによりて、變じて勇にも怯にもなる。武士の子は、武藝をまなび、武勇なる人にまじはり、その物語をきゝ、むかしの戰記をよみ、勇をはげまし、武をたしむべし。武士の子も、商人となれば、ならはしとなりて、武道にうとく、勇氣よわくなる。ならはしをえらびつゝしむべし。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとしと、聖人ものたまへり。いとけなき時より、つとめ學べば、天性生れつきたるごとくなる。ならひなれたることは、じねんに、つとめずしてよくなるが如しとなり。からもやまとも、軍には、農人は用ふれども、商人は、武士には用ひず。商人は、其の習、專、利をはかりて、武士に遠ければなり。農人は、其の心他の求なく、一筋なれば、士に近し。
新字:勇怯とは、勇は、けなげなり。怯は、つたなきなり。怯とは、おく病なるをいふ。勇怯は、生れつきたる性により、又、ならはしによる。うまれつきも、ならはしによりて、変じて勇にも怯にもなる。武士の子は、武芸をまなび、武勇なる人にまじはり、その物語をきゝ、むかしの戦記をよみ、勇をはげまし、武をたしむべし。武士の子も、商人となれば、ならはしとなりて、武道にうとく、勇気よわくなる。ならはしをえらびつゝしむべし。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとしと、聖人ものたまへり。いとけなき時より、つとめ学べば、天性生れつきたるごとくなる。ならひなれたることは、じねんに、つとめずしてよくなるが如しとなり。からもやまとも、軍には、農人は用ふれども、商人は、武士には用ひず。商人は、其の習、専、利をはかりて、武士に遠ければなり。農人は、其の心他の求なく、一筋なれば、士に近し。
書き下し
勇怯とは、勇は、けなげなり。怯は、つたなきなり。怯とは、おく病なるをいふ。勇怯は、生れつきたる性により、又、ならはしによる。うまれつきも、ならはしによりて、變じて勇にも怯にもなる。武士の子は、武藝をまなび、武勇なる人にまじはり、その物語をきゝ、むかしの戰記をよみ、勇をはげまし、武をたしむべし。武士の子も、商人となれば、ならはしとなりて、武道にうとく、勇氣よわくなる。ならはしをえらびつゝしむべし。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとしと、聖人ものたまへり。いとけなき時より、つとめ學べば、天性生れつきたるごとくなる。ならひなれたることは、じねんに、つとめずしてよくなるが如しとなり。からもやまとも、軍には、農人は用ふれども、商人は、武士には用ひず。商人は、其の習、專、利をはかりて、武士に遠ければなり。農人は、其の心他の求なく、一筋なれば、士に近し。
現代語訳
勇怯とは、勇は健気なこと、怯は拙いことです。怯とは臆病なことを言います。勇怯は、生まれつきの性質により、また習慣によります。生まれつきも、習慣によって変わり、勇にも怯にもなります。武士の子は、武芸を学び、武勇の人と交わり、その物語を聞き、昔の戦記を読んで、勇を励まし、武をたしなむべきです。武士の子でも、商人になれば、それが習慣となって、武道にうとく、勇気も弱くなります。習慣を選び、慎むべきです。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとしと、聖人も言われました。幼い時から努め学べば、天性として生まれついたもののようになります。習い慣れたことは、おのずと、努めなくてもよくできるようになるということです。唐も日本も、軍には農人は用いても、商人は武士には用いません。商人はその習慣がもっぱら利をはかるもので、武士から遠いからです。農人は、その心に他の求めがなく一筋であるので、士に近いのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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『新書』保傅秦に及びて然らず、其の俗は固より辞譲を貴ぶに非ず、上ぶ所は告訏なり。固より礼義を貴ぶに非ず、上ぶ所は刑罰なり。趙高をして胡亥に傅きて之に獄を教えしめ、習う所は人を斬劓するに非ざれば、則ち人の三族を夷するなり。故に今日位に即き、明日人を射、忠諫する者は之を誹謗と謂い、深く之が為に計る者は之を妖言と謂い、其の人を殺すを視ること艾草菅の若く然り。豈に胡亥の性悪ならんや。其の之を集め道く所以の者、理に非ざる故なり。
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『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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