武家家訓集 / 武田信繁家訓九十九箇条第76〜78条
一宿其外步行之時、付前後左右心、不可油斷事、臣範曰、事不愼者、取敗之道也、 一取人之命事、努々不可有之事、三略曰、治國安家得人也、亡國破家失人也、 一隱居之時、不可假其子之力事、碧巖曰、擲標橫檐不顧人、直入千峰萬峰去、又云、犯是非來莫辨我、浮世穿鑿不相關、
新字:一宿其外歩行之時、付前後左右心、不可油断事、臣範曰、事不慎者、取敗之道也、 一取人之命事、努々不可有之事、三略曰、治国安家得人也、亡国破家失人也、 一隠居之時、不可仮其子之力事、碧巖曰、擲標横檐不顧人、直入千峰万峰去、又云、犯是非来莫弁我、浮世穿鑿不相関、
書き下し
一、宿その外歩行の時、前後左右に心を付け、油断すべからざる事。臣範に曰く、「事慎まざる者は、敗を取るの道なり」と。 一、人の命を取る事、努々之有るべからざる事。三略に曰く、「国を治め家を安んずるは人を得るなり、国を亡ぼし家を破るは人を失うなり」と。 一、隠居の時、其の子の力を仮るべからざる事。碧巌に曰く、「標を擲ち檐を横たえて人を顧みず、直ちに千峰万峰に入り去る」。又云く、「是非を犯し来たるも我を弁ずる莫かれ、浮世の穿鑿は相関せず」と。
現代語訳
第一に、宿やその他の場所を歩くときは、前後左右に心を配り、油断してはなりません。臣範に「事に慎まない者は、敗れを招く道を歩んでいる」とあります。第二に、人の命を取ることは、決してあってはなりません。三略に「国を治め家を安んずるのは人を得るからであり、国を亡ぼし家を破るのは人を失うからである」とあります。第三に、隠居したときは、その子の力を借りてはなりません。碧巌録に「杖を投げ、ひさしを横たえて人を顧みず、まっすぐ千の峰、万の峰へと入ってゆく」とあり、また「是非が持ち込まれても私に判断を求めるな、世俗のせんさくとは関わらない」とあります。
解説
この章句が説くこと
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