武家家訓集 / 武田信繁家訓九十九箇条第73〜75条
一不可取合醉狂之族事、漢書曰、丙吉爲丞相御史、醉嘔其車、吉不責也、 一不可人之最屓偏頗事、孝經曰、天地不爲一物枉其時、日月不爲一物晦其明、明王不爲一人枉其法、 一用利劔、聊不可帶鈍刀事、云、鈍刀不截骨、
新字:一不可取合酔狂之族事、漢書曰、丙吉為丞相御史、酔嘔其車、吉不責也、 一不可人之最屓偏頗事、孝経曰、天地不為一物枉其時、日月不為一物晦其明、明王不為一人枉其法、 一用利剣、聊不可帯鈍刀事、云、鈍刀不截骨、
書き下し
一、酔狂の族に取り合うべからざる事。漢書に曰く、「丙吉、丞相御史と為り、酔いて其の車に嘔く、吉責めざるなり」と。 一、人の最屓偏頗すべからざる事。孝経に曰く、「天地は一物の為に其の時を枉げず、日月は一物の為に其の明を晦ましめず、明王は一人の為に其の法を枉げず」と。 一、利剣を用い、聊かも鈍刀を帯すべからざる事。云く、「鈍刀は骨を截らず」と。
現代語訳
第一に、酒に酔って狂ったような者とは取り合ってはなりません。漢書に「丙吉が丞相・御史であったとき、御者が酔って車の中に吐いた。しかし吉はこれを責めなかった」とあります。第二に、人を贔屓したり偏ったりしてはなりません。孝経に「天地は一物のために季節を曲げず、日月は一物のためにその明るさを隠さず、名君は一人のために法を曲げない」とあります。第三に、よく切れる剣を用い、少しも切れない刀を帯びてはなりません。「なまくら刀では骨を断てない」と云います。
解説
最初の条は、酔って乱れた者を相手にするなという教えで、漢書の丙吉の逸話を例に、咎めないという度量を示します。次の条は、贔屓偏頗の戒めです。天地も日月も明王も、一つの存在のために法則を曲げないという句が引かれ、公平の根拠が自然の理に置かれます。最後は、武具の手入れです。鈍刀では骨を断てないと、備えの質を問います。現代でも、感情的な相手との対立を避ける度量、人事での公平、そして仕事道具やスキルの手入れを怠らない姿勢が、管理職の信用を左右します。
この章句が説くこと
公平度量備え贔屓を戒める漢書武家家訓集
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