武家拾要記抄録 / 善行篇・義なき戦いを戒め、荷と心を守る
一城ぜめは、土地をひらき富をもとむるにあらず、もつとも一つの辜なき殺して天下を得るともすまじき道也、よりて兵を佳するは不祥の器也、物あるひはこれをにくむといへり、若一揆叛逆のともがらありて是をうつとも、みだりに懸合せて味方を損ずべからず、仕寄竹束持楯搔だて、土俵築山穴仕寄柵虎落車栖樓組上栖樓釣栖樓梯栖樓燒草埋火等、其外矢文計策までも用意あらん事もつとも歟、又味方籠城の砌、かたきの來りて陣とるべき所を見たて、井の中に鴆毒を入不淨を沈むる事などはすべからず、かゝる事をなして勝利を得べきにあらず、尤武士の本意にあらじ、又矢の根に毒をぬり、あるひは矢柄をぬけば、跡に鏃の殘るやうにゆるく矢の根をすぐるたぐひは夷狄の所爲、いさぎよき武のはたらきにあらず、一大切なる荷物を預りたる旅ならば、片時もはなるべからず、宿々表裏の道筋、二階座敷簀子の下までよく吟味して、荷物をば座敷の眞中に置、其身は壁ある方に番すべし、たとひ火事よ夜うちよといふともあはてふためきて出むかふべからず、こゝろしづかにさしひきあるべし、
新字:一城ぜめは、土地をひらき富をもとむるにあらず、もつとも一つの辜なき殺して天下を得るともすまじき道也、よりて兵を佳するは不祥の器也、物あるひはこれをにくむといへり、若一揆叛逆のともがらありて是をうつとも、みだりに懸合せて味方を損ずべからず、仕寄竹束持楯搔だて、土俵築山穴仕寄柵虎落車栖楼組上栖楼釣栖楼梯栖楼焼草埋火等、其外矢文計策までも用意あらん事もつとも歟、又味方籠城の砌、かたきの来りて陣とるべき所を見たて、井の中に鴆毒を入不浄を沈むる事などはすべからず、かゝる事をなして勝利を得べきにあらず、尤武士の本意にあらじ、又矢の根に毒をぬり、あるひは矢柄をぬけば、跡に鏃の残るやうにゆるく矢の根をすぐるたぐひは夷狄の所為、いさぎよき武のはたらきにあらず、一大切なる荷物を預りたる旅ならば、片時もはなるべからず、宿々表裏の道筋、二階座敷簀子の下までよく吟味して、荷物をば座敷の真中に置、其身は壁ある方に番すべし、たとひ火事よ夜うちよといふともあはてふためきて出むかふべからず、こゝろしづかにさしひきあるべし、
書き下し
一城ぜめは、土地をひらき富をもとむるにあらず、もつとも一つの辜なき殺して天下を得るともすまじき道也、よりて兵を佳するは不祥の器也、物あるひはこれをにくむといへり、若一揆叛逆のともがらありて是をうつとも、みだりに懸合せて味方を損ずべからず、仕寄竹束持楯搔だて、土俵築山穴仕寄柵虎落車栖樓組上栖樓釣栖樓梯栖樓燒草埋火等、其外矢文計策までも用意あらん事もつとも歟、又味方籠城の砌、かたきの來りて陣とるべき所を見たて、井の中に鴆毒を入不淨を沈むる事などはすべからず、かゝる事をなして勝利を得べきにあらず、尤武士の本意にあらじ、又矢の根に毒をぬり、あるひは矢柄をぬけば、跡に鏃の殘るやうにゆるく矢の根をすぐるたぐひは夷狄の所爲、いさぎよき武のはたらきにあらず、一大切なる荷物を預りたる旅ならば、片時もはなるべからず、宿々表裏の道筋、二階座敷簀子の下までよく吟味して、荷物をば座敷の眞中に置、其身は壁ある方に番すべし、たとひ火事よ夜うちよといふともあはてふためきて出むかふべからず、こゝろしづかにさしひきあるべし、
現代語訳
一つ、城攻めは、土地を開き富を求めるためではありません。ましてや一人でも罪のない者を殺して天下を得るようなことはしてはならない道です。だから、兵を用いるのは不祥の器であり、物はこれを憎むと言われています。もし一揆や謀反の者がいてこれを討つにしても、みだりに攻めかけて味方を損なってはなりません。仕寄(攻め寄せの装備)、竹束、持楯、掻楯、土俵、築山、穴仕寄、柵、虎落、車櫓、組上げ櫓、釣り櫓、梯子櫓、焼き草、埋み火など、そのほか矢文や計略まで用意することはもっともでしょう。また味方が籠城するとき、敵が来て陣を取りそうな所を見立てて、井戸の中に鴆毒(猛毒)を入れたり汚物を沈めたりすることはしてはなりません。そのようなことをして勝利を得てはならず、武士の本意ではありません。また矢の根に毒を塗り、あるいは矢柄を抜くと鏃が残るように矢の根を緩く挿げるような類は、夷狄(異民族)の所為であり、いさぎよい武の働きではありません。一つ、大切な荷物を預かって旅をするならば、片時も離れてはなりません。宿々の表裏の道筋、二階座敷、縁の下までよく吟味して、荷物は座敷の真ん中に置き、自分は壁のある方で番をするべきです。たとえ火事だ、夜討ちだと言っても、あわてふためいて出向かってはなりません。心静かに、進退の駆け引きをするべきです。
解説

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『春秋左氏伝』哀公十四年 陳恒、簡公を弑す六月、左師巢をして之を伐たしむ。大夫を質として以て入らんと欲す。能はず。亦た曹に入りて質を取らんとす。魋曰く、「不可なり。既に君に事ふる能はず、又罪を民に得ば、將に之を若何せん」と。乃ち之を舍(ゆる)す。民遂に之に叛く。向魋衛に奔る。向巢來奔す。宋公之を止めしめて曰く、「寡人子と言有り。以て向氏の祀を絕つ可からず」と。辭して曰く、「臣の罪大なり。盡く桓氏を滅ぼすも可なり。若し先臣の故を以て、後有らしめば、君の惠なり。臣の若きは則ち以て入る可からず」と。司馬牛其の邑と珪とを致して、齊に適く。向魋衛の地に出づ。公文氏之を攻め、夏后氏の璜を求む。之に他の玉を與へて、齊に奔る。陳成子次卿と為さしむ。司馬牛又其の邑を致して、吳に適く。吳人之を惡みて反る。趙簡子之を召き、陳成子も亦た之を召く。魯の郭門の外に卒す。阬氏諸を丘輿に葬る。甲午、齊の陳恆其の君壬を舒州に弒す。孔丘三日齊(ものいみ)して、齊を伐たんことを請ふこと三たび。公曰く、「魯の齊の為に弱めらるること久し。子の之を伐つ、將に之を若何せん」と。對へて曰く、「陳恆其の君を弒す。民の與せざる者半ばなり。魯の眾を以て、齊の半ばに加へば、克つ可きなり」と。公曰く、「子季孫に告げよ」と。孔子辭す。退きて人に告げて曰く、「吾大夫の後に從ふを以てなり。故に敢へて言はずんばあらず」と。初め孟孺子洩將に馬を成に圉(か)はんとす。成の宰公孫宿受けずして曰く、「孟孫成の病なるが為に、焉に馬を圉はず」と。孺子怒り、成を襲ふ。從者入るを得ず。乃ち反る。成の有司使ひす。孺子之を鞭うつ。秋八月辛丑、孟懿子卒す。成人喪に奔る。內(い)れず。袒免して衢に哭し、共を聽かんとす。許さず。懼れて歸らず。
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『驢鞍橋』卷上壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に対して曰く、当寺の大衆一様に志出来、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ仏法繁昌の基也。則ち示曰、仏法の至極したる処を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に仏弟子と為りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の涙を流し、跳り上つて仏意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。
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史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。
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『武治提要』傳璽・第11段父將老て、政事を執こと不叶、以て武德を後將に傳へ、或は死して而して后、後將に任ずるが如き、皆士道の大義により、やむことを得ざるの道を以てするにあり。此間毫末も人欲の私意を以て、其則を加損すべからず。
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『春秋左氏伝』成公二年 我が疆、我が理蕭同叔子は他に非ず、寡君の母なり。若し匹敵を以てせば、則ち亦た晉君の母なり。吾子大命を諸侯に布きて、曰く、必ず其の母を質として以て信と為さんと。其れ王命を若何せん。且つ是れ不孝を以て令するなり。詩に曰く、『孝子匱しからず、永く爾が類に錫ふ』と。若し不孝を以て諸侯に令せば、其れ乃ち德類に非ざること無からんや。先王天下を疆理し、土の宜しきを物して其の利を布く。故に詩に曰く、『我が疆我が理、其の畝を南東にす』と。今吾子諸侯を疆理して、曰く、盡く其の畝を東にせよと。唯だ吾子の戎車是れ利するのみにして、土の宜しきを顧みず、其れ乃ち先王の命に非ざること無からんや。先王に反くは則ち不義なり、何を以てか盟主と為らん。其れ晉實に闕くる有り。四王の王たるや、德を樹てて同欲を濟す。五伯の霸たるや、勤めて之を撫し、以て王命に役す。今吾子諸侯を合せんことを求めて、以て無疆の欲を逞しくす。詩に曰く、『政を布くこと優優たり、百祿是れ遒まる』と。子實に優ならずして、百祿を棄つ。