春秋左氏伝 / 成公二年 我が疆、我が理
蕭同叔子非他。寡君之母也。若以匹敵。則亦晉君之母也。吾子布大命於諸侯。而曰必質其母以為信。其若王命何。且是以不孝令也。詩曰。孝子不匱。永錫爾類。若以不孝令於諸侯。其無乃非德類也乎。先王疆理天下。物土之宜而布其利。故詩曰。我疆我理。南東其畝。今吾子疆理諸侯。而曰盡東其畝而已。唯吾子戎車是利。無顧土宜。其無乃非先王之命也乎。反先王則不義。何以為盟主。其晉實有闕。四王之王也。樹德而濟同欲焉。五伯之霸也。勤而撫之。以役王命。今吾子求合諸侯。以逞無疆之欲。詩曰。布政優優。百祿是遒。子實不優。而棄百祿。
新字:蕭同叔子非他。寡君之母也。若以匹敵。則亦晋君之母也。吾子布大命於諸侯。而曰必質其母以為信。其若王命何。且是以不孝令也。詩曰。孝子不匱。永錫爾類。若以不孝令於諸侯。其無乃非徳類也乎。先王疆理天下。物土之宜而布其利。故詩曰。我疆我理。南東其畝。今吾子疆理諸侯。而曰尽東其畝而已。唯吾子戎車是利。無顧土宜。其無乃非先王之命也乎。反先王則不義。何以為盟主。其晋実有闕。四王之王也。樹徳而済同欲焉。五伯之覇也。勤而撫之。以役王命。今吾子求合諸侯。以逞無疆之欲。詩曰。布政優優。百禄是遒。子実不優。而棄百禄。
書き下し
蕭同叔子は他に非ず、寡君の母なり。若し匹敵を以てせば、則ち亦た晉君の母なり。吾子大命を諸侯に布きて、曰く、必ず其の母を質として以て信と為さんと。其れ王命を若何せん。且つ是れ不孝を以て令するなり。詩に曰く、『孝子匱しからず、永く爾が類に錫ふ』と。若し不孝を以て諸侯に令せば、其れ乃ち德類に非ざること無からんや。先王天下を疆理し、土の宜しきを物して其の利を布く。故に詩に曰く、『我が疆我が理、其の畝を南東にす』と。今吾子諸侯を疆理して、曰く、盡く其の畝を東にせよと。唯だ吾子の戎車是れ利するのみにして、土の宜しきを顧みず、其れ乃ち先王の命に非ざること無からんや。先王に反くは則ち不義なり、何を以てか盟主と為らん。其れ晉實に闕くる有り。四王の王たるや、德を樹てて同欲を濟す。五伯の霸たるや、勤めて之を撫し、以て王命に役す。今吾子諸侯を合せんことを求めて、以て無疆の欲を逞しくす。詩に曰く、『政を布くこと優優たり、百祿是れ遒まる』と。子實に優ならずして、百祿を棄つ。
現代語訳
(賓媚人は答えた)「蕭同叔子はほかでもない、わが君の母です。もし対等の立場で言うならば、晋君の母にも当たる方です。あなたは諸侯に大いなる命令を布告しながら、必ずその母を人質として信の証しにせよと言われる。それで王の命令をどうなさるおつもりか。しかもこれは不孝をもって人に命じることです。詩に『孝子の孝心は尽きることがなく、永くなんじの同類に福を賜う』とあります。もし不孝をもって諸侯に命令するなら、それは徳ある者の同類ではないということになりはしませんか。先王は天下の境界を定め、地理を整えるにあたって、土地の性質に合ったものを見極めて、その利益を行き渡らせました。だから詩に『わが境界を定め、わが地理を整え、その畝を南向きにも東向きにもする』とあるのです。いまあなたは諸侯の土地を治めるにあたり、畝をすべて東向きにせよとだけ言われる。ただあなたの兵車が通りやすいことだけを利とし、土地の性質を顧みないのは、先王の命令に背くことになりはしませんか。先王に背くのは不義です。それでどうして盟主となれましょう。これは晋にまことに欠けたところがあるということです。四王(禹・湯・文王・武王)が王者となったのは、徳を打ち立てて、人々が共に望むことを成し遂げたからです。五伯(五人の覇者)が覇者となったのは、努めて諸侯をいたわり、それによって王命のために働いたからです。いまあなたは諸侯を集めようとしながら、限りない欲を満たそうとしておられる。詩に『政治を布くことゆったりとして、あまたの福がここに集まる』とあります。あなたはまことにゆったりとせず、あまたの福を捨てておられるのです。
解説
この章句が説くこと
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史記 楚世家九年、若敖氏に相たり。人或いは之を王に讒す。誅せられんことを恐れ、反って王を攻む。王撃ちて若敖氏の族を滅ぼす。十三年、舒を滅ぼす。十六年、陳を伐ち、夏徴舒を殺す。徴舒其の君を弑す。故に之を誅するなり。已に陳を破り、即ち之を県とす。群臣皆賀す。申叔時斉に使ひして来たり、賀せず。王問ふ。対へて曰く、「鄙語に曰く、牛を牽きて人の田を徑(わた)れば、田主其の牛を取る、と。徑る者は則ち直からず。之が牛を取るは亦た甚だしからずや。且つ王陳の乱を以て諸侯を率ゐて之を伐つ。義を以て之を伐ちて其の県を貪る。亦た何を以て復た天下に令せん」と。荘王乃ち陳の後を復国す。十七年春、楚の荘王鄭を囲み、三月にして之に克つ。皇門より入る。鄭伯肉袒し羊を牽きて以て逆へて曰く、「孤天ならず、君に事ふること能はず。君用て怒りを懐き、以て敝邑に及ぶ。孤の罪なり。敢て惟だ命を是れ聴かざらんや。之を南海に賓(しりぞ)くるも、若しくは臣妾を以て諸侯に賜ふも、亦た惟だ命を是れ聴かん。若し君厲・宣・桓・武を忘れず、其の社稷を絶たず、改めて君に事へしめば、孤の願ひなり。敢て望む所に非ざるなり。敢て腹心を布く」と。楚の群臣曰く、「王許すこと勿かれ」と。荘王曰く、「其の君能く人に下る。必ず能く其の民を信用せん。庸ぞ絶つべけんや」と。荘王自ら旗を手にし、左右に軍を麾(さしまね)き、兵を引きて去ること三十里にして舎り、遂に之に平らぐことを許す。潘尪入りて盟ひ、子良出でて質たり。夏六月、晋鄭を救ひ、楚と戦ふ。大いに晋の師を河上に敗り、遂に衡雍に至りて帰る。二十年、宋を囲む。楚の使ひを殺せしを以てなり。宋を囲むこと五月、城中食尽き、子を易へて食らひ、骨を析きて炊ぐ。宋の華元出でて告ぐるに情を以てす。荘王曰く、「君子なるかな」と。遂に兵を罷めて去る。二十三年、荘王卒し、子の共王審立つ。共王の十六年、晋鄭を伐つ。鄭急を告ぐ。共王鄭を救ふ。晋の兵と鄢陵に戦ふ。晋楚を敗り、共王の目に射中つ。共王将軍子反を召す。
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尉繚子・武議凡そ兵は過ち無きの城を攻めず、罪無きの人を殺さず。
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『驢鞍橋』卷上壬辰霜月十一日の晩、去る寺に到る次で、大衆に対して曰く、当寺の大衆一様に志出来、目出度事也。次第に大事も起るべし。兎角此中から起るべし。是れ仏法繁昌の基也。則ち示曰、仏法の至極したる処を大義と云ふ也。義無くして修行成るべからす。今人間に生を得、殊に仏弟子と為りながら、餓鬼畜生の心にて居る事無念なりと思ひ定め、血の涙を流し、跳り上つて仏意を修せで不叶と、自ら眼をすゑ拳を握り、咦と牙を咬み給ふ。
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史記 周本紀是に於て武王遍く諸侯に告げて曰く、「殷重罪有り、以て畢く伐たざる可からず」と。乃ち文王に遵ひ、遂に戎車三百乗、虎賁三千人、甲士四万五千人を率ゐて、以て東のかた紂を伐つ。十一年十二月戊午、師畢く盟津を渡り、諸侯咸会す。曰く、「孳孳として怠ること無かれ」と。武王乃ち太誓を作り、衆庶に告ぐ。「今殷王紂乃ち其の婦人の言を用ゐ、自ら天に絶ち、其の三正を毀壊し、其の王父母弟を離逖し、乃ち其の先祖の楽を断棄し、乃ち淫声を為り、用て正声を変乱し、婦人を怡説せしむ。故に今予発維れ共に天罰を行ふ。勉めよや夫子、再びす可からず、三たびす可からず」と。二月甲子の昧爽、武王朝に商の郊の牧野に至り、乃ち誓ふ。武王左に黄鉞を杖き、右に白旄を秉りて、以て麾く。曰く、「遠きかな西土の人」と。武王曰く、「嗟、我が有国の冢君、司徒・司馬・司空、亜旅・師氏、千夫長・百夫長、及び庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の人、爾の戈を称げ、爾の干を比べ、爾の矛を立てよ。予其れ誓はん」と。王曰く、「古人言へる有り、『牝雞は晨する無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索くるなり』と。今殷王紂は維れ婦人の言を是れ用ゐ、自ら其の先祖の肆祀を棄てて答へず、昏くして其の家国を棄て、其の王父母弟を遺てて用ゐず、乃ち維れ四方の多罪の逋逃を、是れ崇び是れ長とし、是れ信じ是れ使ひ、百姓に暴虐し、以て商国に姦軌せしむ。今予発維れ共に天の罰を行ふ。今日の事は、六歩七歩を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐を過ぎずして、乃ち止まりて斉へよ。勉めよや夫子。尚はくは桓桓として、虎の如く羆の如く、豺の如く離の如く、商の郊に于いて、奔るを御ぐことなく、以て西土に役せしめよ。勉めよや夫子。爾勉めざる所あらば、其れ爾の身に于いて戮有らん」と。
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史記 殷本紀是の時に当たり、夏桀虐政淫荒を為し、而して諸侯昆吾氏乱を為す。湯乃ち師を興して諸侯を率ゐ、伊尹湯に従ふ。湯自ら鉞を把りて以て昆吾を伐ち、遂に桀を伐つ。湯曰く、「格れ女衆庶、来たれ、女悉く朕が言を聴け。台小子の、敢へて行ひて乱を挙ぐるに匪ず。有夏罪多し。予維れ女衆の言を聞くに、夏氏罪有り。予上帝を畏れ、敢へて正さずんばあらず。今夏罪多く、天命じて之を殛す。今女衆有り、女曰く、『我が君我が衆を恤れまず、我が嗇事を舍てて政を割く』と。女其れ曰く、『罪有り、其れ柰何』と。夏王率ゐて衆の力を止め、率ゐて夏国を奪ふ。衆有りて率ゐて怠り和せず、曰く、『是の日何の時にか喪びん。予女と皆亡びん』と。夏の徳茲の若し、今朕必ず往かん。爾尚はくは予一人に及びて天の罰を致せ。予其れ大いに女に理せん。女信ぜざること毋かれ、朕食言せず。女誓言に従はずんば、予則ち帑僇し、攸赦すこと有る無からん」と。以て師に告令し、湯誓を作る。是に於て湯曰く、「吾甚だ武なり」と。号して武王と曰ふ。桀有娀の虚に敗れ、桀鳴条に犇り、夏の師敗績す。湯遂に三㚇を伐ち、厥の宝玉を俘にす。義伯・仲伯典宝を作る。湯既に夏に勝ち、其の社を遷さんと欲するも、可ならず、夏社を作る。伊尹報ず。是に於て諸侯畢く服し、湯乃ち天子の位を践み、海内を平定す。湯帰りて泰卷陶に至り、中𤳹誥を作る。既に夏の命を絀け、亳に還り、湯誥を作る。「維れ三月、王自ら東郊に至る。諸侯羣后に告ぐ、『民に功有らずんばあらず、力を勤めて迺ち事とせよ。予乃ち大いに罰して女を殛せん、予を怨む毋かれ』と。曰く、『古禹・皋陶久しく外に労し、其の民に功有り、民乃ち安んずる有り。東を江と為し、北を済と為し、西を河と為し、南を淮と為し、四瀆已に修まり、万民乃ち居る有り。后稷降りて播き、農百穀を殖やす。三公咸民に功有り、故に后立つ有り。昔蚩尤其の大夫と乱を百姓に作す。帝乃ち予さず、状有り。
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