武家拾要記抄録 / 敬身篇・短気を戒め、悪名を超えて善に向かう
一無用の手詰の論は、わざはひのなかだち、上手の人の好まぬ事也、或人の云、かさつは臆病の花、短氣は未練の相、氣遣ひは分別のいろは、堪忍は忠孝のはじめ、心懸は手柄の基也、心操ある士は、毎度のてがらをもわすれ、常に慎みて譽をとる也、尤戰場にて乘まじき馬は、第一物おどろきさする馬、臆病なる馬、さては手に過たる馬也、物まへにて馬の進むるを留る躰見ぐるしきゆへ、片手綱にても自由なる馬を用ゆべし、惣じて大なる馬は乘下にあしく、胴の短き馬は野山をよく走り、頭高く胴の長き馬は、海川をよく游ぐ、さて芦毛駁馬雪白など、陣中へはきらふ、一我は譜代久き忠行の者なれども、御加増をも給はらずといふ人あり、代々久く厚恩を蒙る君なれば、一入忠節を勵むべき事也、凡人一たび惡名をうくるとも、後に佳名を得る人は、益善人と思ふべし、その故は過をあらため、よのつねの人に十倍して宜しからずは、其名あるまじ、
新字:一無用の手詰の論は、わざはひのなかだち、上手の人の好まぬ事也、或人の云、かさつは臆病の花、短気は未練の相、気遣ひは分別のいろは、堪忍は忠孝のはじめ、心懸は手柄の基也、心操ある士は、毎度のてがらをもわすれ、常に慎みて誉をとる也、尤戦場にて乗まじき馬は、第一物おどろきさする馬、臆病なる馬、さては手に過たる馬也、物まへにて馬の進むるを留る体見ぐるしきゆへ、片手綱にても自由なる馬を用ゆべし、惣じて大なる馬は乗下にあしく、胴の短き馬は野山をよく走り、頭高く胴の長き馬は、海川をよく游ぐ、さて芦毛駁馬雪白など、陣中へはきらふ、一我は譜代久き忠行の者なれども、御加増をも給はらずといふ人あり、代々久く厚恩を蒙る君なれば、一入忠節を励むべき事也、凡人一たび悪名をうくるとも、後に佳名を得る人は、益善人と思ふべし、その故は過をあらため、よのつねの人に十倍して宜しからずは、其名あるまじ、
書き下し
一無用の手詰の論は、わざはひのなかだち、上手の人の好まぬ事也、或人の云、かさつは臆病の花、短氣は未練の相、氣遣ひは分別のいろは、堪忍は忠孝のはじめ、心懸は手柄の基也、心操ある士は、毎度のてがらをもわすれ、常に慎みて譽をとる也、尤戰場にて乘まじき馬は、第一物おどろきさする馬、臆病なる馬、さては手に過たる馬也、物まへにて馬の進むるを留る躰見ぐるしきゆへ、片手綱にても自由なる馬を用ゆべし、惣じて大なる馬は乘下にあしく、胴の短き馬は野山をよく走り、頭高く胴の長き馬は、海川をよく游ぐ、さて芦毛駁馬雪白など、陣中へはきらふ、一我は譜代久き忠行の者なれども、御加増をも給はらずといふ人あり、代々久く厚恩を蒙る君なれば、一入忠節を勵むべき事也、凡人一たび惡名をうくるとも、後に佳名を得る人は、益善人と思ふべし、その故は過をあらため、よのつねの人に十倍して宜しからずは、其名あるまじ、
現代語訳
一つ、無用の手詰めの論は、災いの仲立ちであり、上手の人の好まないことです。ある人が言うには、がさつは臆病の花、短気は未練の相、気遣いは分別の初歩、堪忍は忠孝の始め、心がけは手柄の基であるとのことです。心操のある士は、毎度の手柄を忘れ、常に慎んで誉れを得るのです。ことに戦場で乗ってはならない馬は、第一に物に驚く馬、臆病な馬、さては手に余る馬です。物の前で馬が進むのを止める様子は見苦しいので、片手綱でも自由に操れる馬を用いるべきです。すべて大きな馬は乗り降りに悪く、胴の短い馬は野山をよく走り、頭が高く胴の長い馬は海や川をよく泳ぎます。さらに芦毛・駁馬・雪白などは、陣中では嫌います。一つ、私は譜代久しい忠義の者なのに、ご加増もいただけないと言う人があります。代々久しく厚い恩を受けている君であれば、いっそう忠節を励むべきことです。およそ人がひとたび悪名を受けても、後に佳名を得る人は、いっそう善人だと思うべきです。その理由は、過ちを改め、世の常の人の十倍もよくならなければ、その名は得られないからです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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