武家須知 / 学問は家職の元立ち、学校で広める
既に勸學にものべたる通、身を修めるは、上々より下々まで根本の所にて、其身を修る本たてば學問なり、ことに家國を治め政事をよくするは、學問なくては叶はず、亂をふせぎ敵を亡すに、武藝なくては叶はぬと同じ、生れ付の智慧計りにて、政よくし忠つくすべきと思ふは、武藝を知らずして敵に勝事を願ふにおなじ、學問を國に廣るは、學校なくては行屆かず、細工する場を搾ずして作事をするに同じ、然れば、學問は、國主、郡主、諸士の家職のもと立なり、今の武門の家業なり、第一につとむべき事うたがひなし、それをかく心得玉はぬ方あるは、國主、郡主になり居るといふところに、はきと氣付なく、諸奉公人も、今は文武をかねて居る所、はきとすますはづと心付ても、武家といふ名になづみ、又先祖より年久しく武計りを家としたる、餘風にて、何となく政事をかるくこゝろへ、それよりして、又武藝計りを急務とおもひ、政の本となる此學問を、家業と心得玉はぬ方あるは、心うきことなり、
新字:既に勧学にものべたる通、身を修めるは、上々より下々まで根本の所にて、其身を修る本たてば学問なり、ことに家国を治め政事をよくするは、学問なくては叶はず、乱をふせぎ敵を亡すに、武芸なくては叶はぬと同じ、生れ付の智慧計りにて、政よくし忠つくすべきと思ふは、武芸を知らずして敵に勝事を願ふにおなじ、学問を国に広るは、学校なくては行届かず、細工する場を搾ずして作事をするに同じ、然れば、学問は、国主、郡主、諸士の家職のもと立なり、今の武門の家業なり、第一につとむべき事うたがひなし、それをかく心得玉はぬ方あるは、国主、郡主になり居るといふところに、はきと気付なく、諸奉公人も、今は文武をかねて居る所、はきとすますはづと心付ても、武家といふ名になづみ、又先祖より年久しく武計りを家としたる、余風にて、何となく政事をかるくこゝろへ、それよりして、又武芸計りを急務とおもひ、政の本となる此学問を、家業と心得玉はぬ方あるは、心うきことなり、
書き下し
既に勸學にものべたる通、身を修めるは、上々より下々まで根本の所にて、其身を修る本たてば學問なり、ことに家國を治め政事をよくするは、學問なくては叶はず、亂をふせぎ敵を亡すに、武藝なくては叶はぬと同じ、生れ付の智慧計りにて、政よくし忠つくすべきと思ふは、武藝を知らずして敵に勝事を願ふにおなじ、學問を國に廣るは、學校なくては行屆かず、細工する場を搾ずして作事をするに同じ、然れば、學問は、國主、郡主、諸士の家職のもと立なり、今の武門の家業なり、第一につとむべき事うたがひなし、それをかく心得玉はぬ方あるは、國主、郡主になり居るといふところに、はきと氣付なく、諸奉公人も、今は文武をかねて居る所、はきとすますはづと心付ても、武家といふ名になづみ、又先祖より年久しく武計りを家としたる、餘風にて、何となく政事をかるくこゝろへ、それよりして、又武藝計りを急務とおもひ、政の本となる此學問を、家業と心得玉はぬ方あるは、心うきことなり、
現代語訳
すでに「勧学」にも述べたとおり、身を修めることは上は上々から下は下々まで根本のところで、その身を修める元を立てるのが学問です。ことに家や国を治め政治をよくするには、学問なしでは叶いません。乱を防ぎ敵を滅ぼすのに武芸なしでは叶わないのと同じです。生まれつきの智慧だけで政治をよくし忠を尽くせると思うのは、武芸を知らずに敵に勝つことを願うのと同じです。学問を国に広めるには、学校がなくては行き届きません。細工をする場を用意せずに(原文「搾ずして」のまま)普請をするのと同じです。そうであれば、学問は国主・郡主・諸士の家職の元立ちであり、今の武門の家業です。第一に努めるべきことは疑いありません。それをこのように心得られない方がおられるのは、国主・郡主になっているという点にはっきり気づかず、諸奉公人も今は文武を兼ねているところで、はっきり済ますはずだと気づいても、武家という名にとらわれ、また先祖から年久しく武だけを家としてきた余風で、何となく政治を軽く心得、そこからまた武芸だけを急務と思い、政治の本となるこの学問を家業と心得ておられない方があるのは、心苦しいことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』上卷之末体充曰、学問と政は各別なるものと存候へば、ひとつものにて御座候や。師の曰、惣じて世間に、学問にはづれたるものは、ひとつもなく候、正真の学問あきらかならざるゆへに、いろいろ迷いたるうたがひあることにて候、学問は明徳をあきらかにするを全体根本とす、明徳は天地有形の外へ通じ、上もなく外もなく神明不測なるものなれば天下国家を治むる政は、明徳神通妙用の要領にて候、ゆへに政は明徳をあきらかにする学問、学問は天下国家を治むる政なり、本来一にして二、二にして一なるものと心得べし、そのうへ法度の箇条ばかりが政にてはなく候天子諸侯の身におこなひたもふ一事、くちにのたもふ一言、みなしおきの根本なれば、政と学問と本来同一理なることを明に得心すべし。
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『慎思録』巻之二天下は一日も義理無かるべからず。義理無ければ則ち人道廃る。是を以て国家は一日も学校無かるべからず。学校無ければ則ち義理の教へ興らず、人倫の道明らかならず。故に曰く、飽食暖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し、と。元人王介謂へること有り、天下の事、緩なるが若くして実は急なる者は、学校是れなり、と。豈に然らずや。夫れ明君は先づ民の産を制す。民の食既に足れば、則ち学校の政を修むること、緩くすべからず。此れ富ましめて而る後に之を教ふる者、聖人の治を為すの序なり。王介の言は晋の李遠の語に本づく。
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『学問のすゝめ』初編・愚民の上に苛き政府ありかかる愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においても、この人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
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『洗心洞箚記』卷下・第百三十七條而して先生毎に文中子を称して以て賢儒と為す。其の意将た何くに在るや。其の続経に在らずして、其の周官を尊ぶに在り。文中子周官を称して以て王道の極めて是なりと為し、夢寐にも之を行はんと欲す。又其の言に曰く、吾千載よりして上を視るに、聖人の上に在る者、未だ周公に若く有らず。其の道は則ち一にして、経制大いに備はる。後の政を為す者持循する有り、と。文中子の云ふ所の其の道は則ち一とは、先生の云ふ所の本を明らかにせずの本にして、即ち亦慎独の独なり。経制慎独より出づれば、便ち是れ王道にして、文中子の願ふ所なり、先生も亦願ふ所なり。故に吾謂ふ、先生の文中子を指して以て賢儒とするは、必ず其の周官を尊ぶに在り、と。
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うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
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『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。

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