武人訓抄録 / 志を一にして多岐を避ける
一止戈學問の法、一なる時は達す、多岐なる時は迷ふ、今世の學者皆もて神武の正道を得る事不能ものは、其多岐なるが爲なり、無益の空文に驚せ、無益の異術に遊び、旁徑他岐にして、志を用る事專ならず、國を經し民を保するの切要に至つては是を度外に附す、習學の術如斯ならば、たとひ數十年の漸功ありとも亦嬰兒の遊戲を爲がごし、學者志を一にして他岐に亘るべからず、
新字:一止戈学問の法、一なる時は達す、多岐なる時は迷ふ、今世の学者皆もて神武の正道を得る事不能ものは、其多岐なるが為なり、無益の空文に驚せ、無益の異術に遊び、旁径他岐にして、志を用る事専ならず、国を経し民を保するの切要に至つては是を度外に附す、習学の術如斯ならば、たとひ数十年の漸功ありとも亦嬰児の遊戯を為がごし、学者志を一にして他岐に亘るべからず、
書き下し
一止戈學問の法、一なる時は達す、多岐なる時は迷ふ、今世の學者皆もて神武の正道を得る事不能ものは、其多岐なるが爲なり、無益の空文に驚せ、無益の異術に遊び、旁徑他岐にして、志を用る事專ならず、國を經し民を保するの切要に至つては是を度外に附す、習學の術如斯ならば、たとひ數十年の漸功ありとも亦嬰兒の遊戲を爲がごし、學者志を一にして他岐に亘るべからず、
現代語訳
戈を止める学問の法は、一つであれば達し、多方面に分かれれば迷います。今の世の学者がみな神武の正道を得られないのは、その多岐のためです。無益な空文に心を奪われ、無益な異術に遊び、わき道や他の道に入って、志を用いることが専一でありません。国を治め民を保つ切要に至っては、これを度外視しています。習い学ぶ方法がこのようであれば、たとえ数十年の漸進の功があっても、幼児の遊びをするようなものです。学者は志を一にして、他の岐路に及んではなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」

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