武学拾粋抄録 / 勇氣を養ふ事・勇気は心気を鎮めて養う
是又別事に非ず、上文の如く心氣を鎭むるときは勇氣生ずる也、今の人勇と强とを混じ覺えたる者多し、勇は氣にあり强は筋骨にあり別なるもの也、勇は決斷を主る、平日猶豫狐疑のみ多く兒女子の如き人武を職にし死生を決斷すること成らざる者也、是等の人は猶更勉め勵んで勇氣を養ふべし、勇氣容易に養はるゝ者にあらず、心氣を修整し道理を會得すれば事に臨みて恐るゝ事無き故勇氣を養ふこと是より上なるは無し、其次は心氣眞に鎭まらざれども己が賴む處有れば夫に據て心氣を一にす、或は槍劍の類を學ぶに、槍を遣ふて勇有れども太刀を持たすれば後足を踏み、太刀に熟せしとて鎗を探らすれば進む氣無くなる也、是眞勇に非ず、己が得手たる道具にては習ひ熟したるを賴にし疑心を散ず、疑心散ずれば心氣一に成り勇を生ずる也、其下は札守の類にても賴にし疑念を決するの外無し、勇怯は勢といへども武門に生れ怯縮の名を取らんこと口惜き事ならずや、平日の心を用ふる處に有るべし、何事にもあれ物に臨みて顚動する樣にては死生を決する場に至り猶以益にならずと知るべし、生得の大勇大怯と云は多くは無き者也、皆ゝ勇怯共に彙備はりたる者故其用ふる處より勇怯何れにも趣くべし、武士たる者常ゝ何の思慮も無く茫然として日を暮らし、
新字:是又別事に非ず、上文の如く心気を鎮むるときは勇気生ずる也、今の人勇と強とを混じ覚えたる者多し、勇は気にあり強は筋骨にあり別なるもの也、勇は決断を主る、平日猶予狐疑のみ多く児女子の如き人武を職にし死生を決断すること成らざる者也、是等の人は猶更勉め励んで勇気を養ふべし、勇気容易に養はるゝ者にあらず、心気を修整し道理を会得すれば事に臨みて恐るゝ事無き故勇気を養ふこと是より上なるは無し、其次は心気真に鎮まらざれども己が頼む処有れば夫に拠て心気を一にす、或は槍剣の類を学ぶに、槍を遣ふて勇有れども太刀を持たすれば後足を踏み、太刀に熟せしとて鎗を探らすれば進む気無くなる也、是真勇に非ず、己が得手たる道具にては習ひ熟したるを頼にし疑心を散ず、疑心散ずれば心気一に成り勇を生ずる也、其下は札守の類にても頼にし疑念を決するの外無し、勇怯は勢といへども武門に生れ怯縮の名を取らんこと口惜き事ならずや、平日の心を用ふる処に有るべし、何事にもあれ物に臨みて顛動する様にては死生を決する場に至り猶以益にならずと知るべし、生得の大勇大怯と云は多くは無き者也、皆ゝ勇怯共に彙備はりたる者故其用ふる処より勇怯何れにも趣くべし、武士たる者常ゝ何の思慮も無く茫然として日を暮らし、
書き下し
是又別事に非ず、上文の如く心氣を鎭むるときは勇氣生ずる也、今の人勇と强とを混じ覺えたる者多し、勇は氣にあり强は筋骨にあり別なるもの也、勇は決斷を主る、平日猶豫狐疑のみ多く兒女子の如き人武を職にし死生を決斷すること成らざる者也、是等の人は猶更勉め勵んで勇氣を養ふべし、勇氣容易に養はるゝ者にあらず、心氣を修整し道理を會得すれば事に臨みて恐るゝ事無き故勇氣を養ふこと是より上なるは無し、其次は心氣眞に鎭まらざれども己が賴む處有れば夫に據て心氣を一にす、或は槍劍の類を學ぶに、槍を遣ふて勇有れども太刀を持たすれば後足を踏み、太刀に熟せしとて鎗を探らすれば進む氣無くなる也、是眞勇に非ず、己が得手たる道具にては習ひ熟したるを賴にし疑心を散ず、疑心散ずれば心氣一に成り勇を生ずる也、其下は札守の類にても賴にし疑念を決するの外無し、勇怯は勢といへども武門に生れ怯縮の名を取らんこと口惜き事ならずや、平日の心を用ふる處に有るべし、何事にもあれ物に臨みて顚動する樣にては死生を決する場に至り猶以益にならずと知るべし、生得の大勇大怯と云は多くは無き者也、皆ゝ勇怯共に彙備はりたる者故其用ふる處より勇怯何れにも趣くべし、武士たる者常ゝ何の思慮も無く茫然として日を暮らし、
現代語訳
これもまた別のことではありません。上の文のように心気を鎮めれば、勇気が生まれます。今の人は勇と強を混同して覚えている者が多いのですが、勇は気にあり、強は筋骨にあり、別のものです。勇は決断を主とします。平日ためらい疑ってばかりで、女子供のような人が武を職とし、死生を決断することはできません。こうした人は、なおさら努め励んで勇気を養うべきです。勇気は容易には養えません。心気を修め整え、道理を会得すれば、事に臨んで恐れることがないので、勇気を養うにこれより上はありません。その次は、心気が真に鎮まらなくても、自分の頼むところがあればそれに拠って心気を一つにします。たとえば槍や剣の類を学ぶのに、槍を使えば勇があっても太刀を持たせると後ずさりし、太刀に熟したからといって槍を探らせれば進む気がなくなります。これは真の勇ではありません。自分の得意の道具で習い熟したのを頼りに疑心を散らすのです。疑心が散じれば心気が一になり、勇が生まれます。その下は、お守りの類でも頼みにして疑念を決めるほかありません。勇怯は勢いと言いますが、武門に生まれて臆病の名を取るのは口惜しいことではないでしょうか。平日の心の用い方にかかっています。何事であれ物に臨んで取り乱すようでは、死生を決する場に至ればなおさら役に立たないと知るべきです。生まれつきの大勇・大怯というのは多くはありません。みな勇も怯も備わっている者ですから、その用い方によってどちらにも向かいます。武士たる者が常々何の思慮もなくぼんやりと日を暮らし、
解説

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