武学拾粋抄録 / 勇氣を養ふ事・血気の勇と真の勇の違い
事有るに臨み俄に顚倒し志は臆せねども臆病の評を受けし者多し、平日心掛くべし、昔攝津守賴光の臣に四天王とて世に聞えたる勇士有り、中にも公時と云者自ら智勇ありて、宗徒しける綱と云者公時に心の剛になる樣を敎へよと云ひければ、公時答へて心の剛を習はんと思はゞ臆病を習へと云ひければ、綱其旨を得たりと云、此語至簡にして旨廣し、能く反覆して味ふべし、又天正年中明智光秀謀反して信長公を本能寺に圍みしに、營中の諸士俄の事なれば大に狼狽しける中に、新參の士多くは忽色を直し浮やかに勇み眞先に突て出る、譜代の輩は皆色靑みて跡を黑めて出たり、扨六七度揉合ふて寄手打勝ち門內へ亂入する頃は勇み逸りたる者共は盡く落失せ、色の變り臆病らしく見えし輩は皆討死し迯るゝ者無かりしと云、是は小勢にて在る處を大軍にて圍まれ、とても運を開くまじきと知りたる故、憂面に見はれ後死を決定するに至り苟も免るゝことを思はぬと、何の思慮も無く突崩し恩賞に預らんと思ふ血氣との違也、血氣は一端烈きに似たれど、內心の實より出たる勇ならねば、程過ぐれば却て臆する者也、元祿の義士の振廻抔考合はせて、血氣と眞勇との異なるを知て、志の士は務めて血氣の虛勇に遠ざかり、本心の眞勇を養ふ事を日夜に學び得べし、
新字:事有るに臨み俄に顛倒し志は臆せねども臆病の評を受けし者多し、平日心掛くべし、昔摂津守頼光の臣に四天王とて世に聞えたる勇士有り、中にも公時と云者自ら智勇ありて、宗徒しける綱と云者公時に心の剛になる様を教へよと云ひければ、公時答へて心の剛を習はんと思はゞ臆病を習へと云ひければ、綱其旨を得たりと云、此語至簡にして旨広し、能く反覆して味ふべし、又天正年中明智光秀謀反して信長公を本能寺に囲みしに、営中の諸士俄の事なれば大に狼狽しける中に、新参の士多くは忽色を直し浮やかに勇み真先に突て出る、譜代の輩は皆色青みて跡を黒めて出たり、扨六七度揉合ふて寄手打勝ち門内へ乱入する頃は勇み逸りたる者共は尽く落失せ、色の変り臆病らしく見えし輩は皆討死し迯るゝ者無かりしと云、是は小勢にて在る処を大軍にて囲まれ、とても運を開くまじきと知りたる故、憂面に見はれ後死を決定するに至り苟も免るゝことを思はぬと、何の思慮も無く突崩し恩賞に預らんと思ふ血気との違也、血気は一端烈きに似たれど、内心の実より出たる勇ならねば、程過ぐれば却て臆する者也、元禄の義士の振廻抔考合はせて、血気と真勇との異なるを知て、志の士は務めて血気の虚勇に遠ざかり、本心の真勇を養ふ事を日夜に学び得べし、
書き下し
事有るに臨み俄に顚倒し志は臆せねども臆病の評を受けし者多し、平日心掛くべし、昔攝津守賴光の臣に四天王とて世に聞えたる勇士有り、中にも公時と云者自ら智勇ありて、宗徒しける綱と云者公時に心の剛になる樣を敎へよと云ひければ、公時答へて心の剛を習はんと思はゞ臆病を習へと云ひければ、綱其旨を得たりと云、此語至簡にして旨廣し、能く反覆して味ふべし、又天正年中明智光秀謀反して信長公を本能寺に圍みしに、營中の諸士俄の事なれば大に狼狽しける中に、新參の士多くは忽色を直し浮やかに勇み眞先に突て出る、譜代の輩は皆色靑みて跡を黑めて出たり、扨六七度揉合ふて寄手打勝ち門內へ亂入する頃は勇み逸りたる者共は盡く落失せ、色の變り臆病らしく見えし輩は皆討死し迯るゝ者無かりしと云、是は小勢にて在る處を大軍にて圍まれ、とても運を開くまじきと知りたる故、憂面に見はれ後死を決定するに至り苟も免るゝことを思はぬと、何の思慮も無く突崩し恩賞に預らんと思ふ血氣との違也、血氣は一端烈きに似たれど、內心の實より出たる勇ならねば、程過ぐれば却て臆する者也、元祿の義士の振廻抔考合はせて、血氣と眞勇との異なるを知て、志の士は務めて血氣の虛勇に遠ざかり、本心の眞勇を養ふ事を日夜に學び得べし、
現代語訳
事があるに臨んで急に取り乱し、志は臆していないのに臆病の評判を受けた者が多くいます。平日から心がけるべきです。昔、摂津守頼光の臣に四天王といって世に聞こえた勇士がいました。中でも公時という者は自ら智勇があり、宗徒の綱という者が公時に心を剛くする方法を教えよと言ったところ、公時は答えて、心の剛を習おうと思うなら臆病を習えと言いました。綱はその趣旨を会得したと言いました。この語は至って簡潔で意味が広い。よく繰り返して味わうべきです。また天正年中、明智光秀が謀反して信長公を本能寺に囲んだとき、陣営の諸士は急なことなので大いに狼狽する中、新参の士の多くはたちまち顔色を改めて浮き立って勇み、真っ先に突いて出ました。譜代の輩はみな顔が青ざめ、後から黒ずんだ様子で出ました。さて六、七度揉み合って寄せ手が打ち勝ち、門内へ乱入する頃には、勇み逸っていた者どもはことごとく逃げ失せ、顔色が変わって臆病らしく見えた輩はみな討死し、逃げる者は無かったということです。これは小勢でいるところを大軍に囲まれ、とても運を開くことはできまいと知っていたので、憂い顔に現れ、後に死を決定するに至り、いやしくも免れることを思わなかったのと、何の思慮もなく突き崩して恩賞にあずかろうと思う血気との違いです。血気は一瞬烈しいようですが、内心の実から出た勇でないので、程が過ぎればかえって臆するものです。元禄の義士の振る舞いなども考え合わせて、血気と真勇との異なりを知り、志ある士は努めて血気の虚勇に遠ざかり、本心の真勇を養うことを日夜に学び得るべきです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
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『武学拾粋抄録』・勇氣を養ふ事・勇気は心気を鎮めて養う是又別事に非ず、上文の如く心氣を鎭むるときは勇氣生ずる也、今の人勇と强とを混じ覺えたる者多し、勇は氣にあり强は筋骨にあり別なるもの也、勇は決斷を主る、平日猶豫狐疑のみ多く兒女子の如き人武を職にし死生を決斷すること成らざる者也、是等の人は猶更勉め勵んで勇氣を養ふべし、勇氣容易に養はるゝ者にあらず、心氣を修整し道理を會得すれば事に臨みて恐るゝ事無き故勇氣を養ふこと是より上なるは無し、其次は心氣眞に鎭まらざれども己が賴む處有れば夫に據て心氣を一にす、或は槍劍の類を學ぶに、槍を遣ふて勇有れども太刀を持たすれば後足を踏み、太刀に熟せしとて鎗を探らすれば進む氣無くなる也、是眞勇に非ず、己が得手たる道具にては習ひ熟したるを賴にし疑心を散ず、疑心散ずれば心氣一に成り勇を生ずる也、其下は札守の類にても賴にし疑念を決するの外無し、勇怯は勢といへども武門に生れ怯縮の名を取らんこと口惜き事ならずや、平日の心を用ふる處に有るべし、何事にもあれ物に臨みて顚動する樣にては死生を決する場に至り猶以益にならずと知るべし、生得の大勇大怯と云は多くは無き者也、皆ゝ勇怯共に彙備はりたる者故其用ふる處より勇怯何れにも趣くべし、武士たる者常ゝ何の思慮も無く茫然として日を暮らし、
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『艮斎閑話抄録』・臆病稽古という真の勇者の心得江府は大都會にて五方の士民輻湊の地なれば、途中にて無禮を行ふ者もあるべし、然るに其無禮を責て口論となり、遂に殺傷に及は大なる痴漢なり、尤も格外に無禮甚しく、士道の疵になるは容忍しがたきともあれども、大體は宥免すべし、昔し或人、坂田の金時に勇士に成るべき工夫を問しに、臆病稽古せよと敎たる事、星野葛山の武學拾粹に見へたり、是は深き意味あることにて、凡そ勇士と云は愼み深き者にて、能く事理の輕重を辨じ、危き所に近よらず、人立多き所に行かず、堪忍を第一として喧嘩口論をなさず、人に對し無禮を行はず、人無禮なることありても敢て怒り取合はず、如此身を大切に守るは、吾身は君へ奉りし者にて、我自由にならざるゆへ、君の用に立べき爲なり、且つ愼無き者は油斷多く、人その透間に乘ずるとあれども、如此堅固に身を守るゆへ金城湯池の如く攻入る所なし、一旦君の爲に勇を發する時は、其忠誠純一の氣金石を貫き鐵壁を摧べし、是を眞の勇士と稱するなり、血氣の勇を好み爭鬪を喜ぶものは下郎の勇にして犬死にするとあるべし、但士のみに非ず、古の名將は愼深く臆病なる者なり、
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『艮斎閑話抄録』・恐れ慎む人が発揮する本物の武勇大學に瑟兮僩兮者恂慄也とあり、瑟僩は嚴密武毅の貌なり、恂慄は深く懼れ愼むなり、懼れ愼みある人臆病の如くにて□密武毅の强き所あり、渡那半藏は梁の王鐵槍と同じく、槍半藏と稱せられ、武勇の士なり、然し戰に臨みてけさんの鳴ほどふるひ出し、其後に敵にあたるやいなや、勇氣奮然として突戰す、越後長尾の家に蟹輪源七も敵前にはふるひ出□吐し、然して後勇氣發するなり、坂邊三四郎久世三四郎は兩三四郎と稱せられし武名高き人なり、何れの城攻にや 東照公兩士に命じ斥候に遣さる、坂邊は勇みて馳出す、久世は弱りたる風情にて退出す、側の衆皆坂邊の勇氣を稱美せり、東照公は坂邊は天性剛勇の士なり、久世は嗜の勇なり、然れども城近く往能見ん者は久世なるべしとの玉へり、果して久世は矢石を犯し坂邊よりは城近く熟察して歸れり、人皆 公の御眼力の高きを感歎せり、是等にても、武毅の恂慄より出る意見るべし、
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『艮斎閑話抄録』・慎重さと平松金次郎の一番槍梁の韋叡北魏と戰ふ時、堰を築き水を引き、堅固に陣を搆て容易に合戰せず、或人餘り臆病なりと笑しかば、韋叡大將たる者專ら勇を振べからず、臆病の時もあるべしと、長篠の戰に織田信長三重に柵を搆へ鐵炮を幷べ、甲州の猛士を打殺せしは臆病のようなれども、兵畧に通じ愼深しと謂べし、此時甲州の馬塲信房、山縣昌景等は、敵新に來り其勢銳し、戰はずして避くるにしかずと諫しに、長坂調閑、跡部勝資云ふ、一戰して兩敵に勝は今日に在り、臆病なる計を聽べからず、勝賴其言を用ひ血氣の勇を奮しかば大に敗北せり、平松金次郎は平日臆病なりと、人侮り笑ひ一所に刀を置ざりき、平松少も怒らず謙恭を守れり、長久手の戰に森武藏守三千の精兵黑雲の捲來る勢にて攻掛る、鬼武藏の勇にや畏けん、諸士踏こみ槍を入る者なし、唯平松一人奮然として進み、一番槍を合せ大功を顯せり、此後平松諸士に向ひ、我は喧嘩に甚臆病なれども、戰塲にては大剛の士なり、諸士其心得にて交るべしと云はれしは、感稱に堪へず、士は平生吾身を守り、忠義を盡さんと思ひ、必喧嘩口論にて身を失ふべからず、金時の臆病稽古せよと云ふ意味誠に深かし、
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『肝要工夫録』・勇気とは勇はいさむと訓じて、何事も決斷よく、物事をしとげ、少しも臆する氣なく、外は溫和謙遜にして、かりそめにも、人の無禮を咎めず、內に勇剛を專にして、血氣麁忽の振舞なく、いかにも柔に見ゆるといへども、心操の大丈夫なること、鐵石の如くなるを、勇氣の者といふ。武士は、とりわけ勇氣なくては叶はぬ事にて、諺にも、唐土の虎は毛を惜み、日本の武士は名を惜むといへるは本朝の武士の勇氣を、よく〱言ひ取りたる言葉なり。名を惜むは、恥ある士の心にて、義勇ともに名を惜む中に備はることなれば、名利などいへる意味とは大に違ふ事なり。故に勉めて武勇を勵むべき事、肝要なり。しかれども、あしく勇に勵むときは、血氣の勇にして、俠者といふ者なり。