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武道初心集 / 治家

武士たらむもの。我が妻女の身の上に於て。心に叶はざる義有之候はゞ。事の道理をいひ分けて。よく合點致す樣に申し敎へ。少々の義ならば思ひ免し。堪忍仕りて差置尤に候。然れ共元來心だて惡く。畢竟用に立間敷と存ずる程ならば。一向に暇を遣はし。親のもとへ送り返すは格別の義に候。左ながら左樣にも致さず。我が女房と定め。奧樣かみ樣と人にも言はせて指置者へ對し。高聲を揚げ。種々の惡口雜言に及ぶは。市町の裏屋脊戸屋の。傭夫役丁の風情は格別。既に一騎役をも勤むる武士の所行には。決して有まじき義に候。況や腰刀などをひねくり廻し。或は握り拳の一つもあて候類は。言語道斷の事にて臆病武士の仕業に候。子細を申すに武士の娘に生れ。人の女房と成程の年齡にて。男子の義ならば人に拳をあてられては中々こらへぬ筈なれ共。女性の淺ましさに。是非なく涙を流して。堪忍をば仕るにて候。總じて我に手向ひのならぬ相手と見懸て。理不盡の仕形に及ぶ義をば。猛き武士は決して致さぬものに候。猛き武士の嫌ふてせぬ事を。好みて致すものをさして。臆病者とは申にて候。初心の武士心得のため仍如件。

新字:武士たらむもの。我が妻女の身の上に於て。心に叶はざる義有之候はゞ。事の道理をいひ分けて。よく合点致す様に申し教へ。少々の義ならば思ひ免し。堪忍仕りて差置尤に候。然れ共元来心だて悪く。畢竟用に立間敷と存ずる程ならば。一向に暇を遣はし。親のもとへ送り返すは格別の義に候。左ながら左様にも致さず。我が女房と定め。奥様かみ様と人にも言はせて指置者へ対し。高声を揚げ。種々の悪口雑言に及ぶは。市町の裏屋脊戸屋の。傭夫役丁の風情は格別。既に一騎役をも勤むる武士の所行には。決して有まじき義に候。況や腰刀などをひねくり廻し。或は握り拳の一つもあて候類は。言語道断の事にて臆病武士の仕業に候。子細を申すに武士の娘に生れ。人の女房と成程の年齢にて。男子の義ならば人に拳をあてられては中々こらへぬ筈なれ共。女性の浅ましさに。是非なく涙を流して。堪忍をば仕るにて候。総じて我に手向ひのならぬ相手と見懸て。理不尽の仕形に及ぶ義をば。猛き武士は決して致さぬものに候。猛き武士の嫌ふてせぬ事を。好みて致すものをさして。臆病者とは申にて候。初心の武士心得のため仍如件。

書き下し

武士たらむもの。我が妻女の身の上に於て。心に叶はざる義有之候はゞ。事の道理をいひ分けて。よく合點致す樣に申し敎へ。少々の義ならば思ひ免し。堪忍仕りて差置尤に候。然れ共元來心だて惡く。畢竟用に立間敷と存ずる程ならば。一向に暇を遣はし。親のもとへ送り返すは格別の義に候。左ながら左樣にも致さず。我が女房と定め。奧樣かみ樣と人にも言はせて指置者へ對し。高聲を揚げ。種々の惡口雜言に及ぶは。市町の裏屋脊戸屋の。傭夫役丁の風情は格別。既に一騎役をも勤むる武士の所行には。決して有まじき義に候。況や腰刀などをひねくり廻し。或は握り拳の一つもあて候類は。言語道斷の事にて臆病武士の仕業に候。子細を申すに武士の娘に生れ。人の女房と成程の年齡にて。男子の義ならば人に拳をあてられては中々こらへぬ筈なれ共。女性の淺ましさに。是非なく涙を流して。堪忍をば仕るにて候。總じて我に手向ひのならぬ相手と見懸て。理不盡の仕形に及ぶ義をば。猛き武士は決して致さぬものに候。猛き武士の嫌ふてせぬ事を。好みて致すものをさして。臆病者とは申にて候。初心の武士心得のため仍如件。

現代語訳

武士たる者が、自分の妻女の身の上について、心にかなわないことがあるなら、事の道理を言い分けて、よく納得するように教え、少しのことであれば思い許して、堪忍して置くのがよいのです。しかし、そもそも心根が悪く、結局は役に立たないだろうと思うほどであれば、すっぱりと暇を遣わして、親元へ送り返すのは格別のことです。そうはせず、自分の女房と定め、奥様、上様と人にも呼ばせて置いている者に対して、高声を上げ、さまざまな悪口雑言に及ぶのは、市中の裏長屋や背戸屋の、日雇いや人足の様子ならばともかく、すでに一騎役をも務める武士のする行いには、決してあってはならないことです。まして刀を振り回したり、握り拳の一つもあてる類は言語道断のことで、臆病武士の仕業です。そのわけを申せば、武士の娘に生まれ、人の女房となるほどの年齢で、男子のことなら人に拳をあてられてはとても堪えられないはずですが、女性の悲しさで、是非もなく涙を流して堪忍するのです。総じて、自分に手向かいのできない相手と見かけて、理不尽な仕打ちに及ぶことは、猛き武士は決してしないものです。猛き武士の嫌ってしないことを、好んでする者を指して、臆病者というのです。初心の武士が心得るために、以上のとおりである。

解説

家庭内での振る舞いを、武士の勇気の問題として論じる段です。妻女に不満があるなら、まず道理を説いて納得させ、少しのことは堪忍する。それでも見込みがないなら、暇を出して親元へ返すのが筋で、そうしないなら悪口や暴力は許されないと友山は述べます。論の核心は、手向かいできない相手に理不尽をする者こそ臆病者だという定義です。現代の職場にも、立場の弱い部下や取引先に厳しく当たる管理職がいます。強い者に強く出られず、弱い者に強い態度を取ることが、勇気とは正反対だという指摘は、パワーハラスメントの考え方に近いものがあります。

この章句が説くこと

勇気家庭堪忍臆病弱い立場武道初心集

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