武学拾粋抄録 / 心氣を鎭むる事・心気を鎮めて、物に動じない
心氣形無し、形無き故體中所として有らざること無し、鎭まるときは體中に充實し、動くときは上りて下虛也、心鎭まるときは正くして慾寡く物忘無く邪正是非の分別出來る也、氣鎭まるときは強くして物に恐るゝこと無し、心動くときは慾情盛にして物覺踈く善惡に暗し、氣動くときは躰虛にして物に恐るゝこと深く事に臨み顚動する者也、心氣一の如くにして別也、先づ體を靜にし妄想の念少きときは氣下に集まる、氣下に集まれば心靜なる者なり、隨分心氣を鎭むる心掛をすべし、勇怯才不才皆此處より生ず、此事常になれば鎭むる心附かざれども靜なるもの也、譬へば步行する者の如し、達者なるは腰より下のみ動き腰より上は動くこと無く躰豐にて形疲れず、物に中り躓きても倒るゝに至らず、不達者なるは氣上釣り頭と足と釣合ひ步行き臟腑を搖み身躰を强く動かす故、忽胸塞がり息喘き足疲れ、僅の物に躓けば忽倒るゝ者也、是氣上にのみ升り下輕くして定まらず胸の上にて呼吸し氣活動せざる故也、鎧武者は上つりて少の物にも躓き倒るゝと言傳へしも同じ事也、佗無し、唯活氣と死氣との差別に由るのみ、
新字:心気形無し、形無き故体中所として有らざること無し、鎮まるときは体中に充実し、動くときは上りて下虚也、心鎮まるときは正くして慾寡く物忘無く邪正是非の分別出来る也、気鎮まるときは強くして物に恐るゝこと無し、心動くときは慾情盛にして物覚疎く善悪に暗し、気動くときは体虚にして物に恐るゝこと深く事に臨み顛動する者也、心気一の如くにして別也、先づ体を静にし妄想の念少きときは気下に集まる、気下に集まれば心静なる者なり、随分心気を鎮むる心掛をすべし、勇怯才不才皆此処より生ず、此事常になれば鎮むる心附かざれども静なるもの也、譬へば歩行する者の如し、達者なるは腰より下のみ動き腰より上は動くこと無く体豊にて形疲れず、物に中り躓きても倒るゝに至らず、不達者なるは気上釣り頭と足と釣合ひ歩行き臓腑を揺み身体を強く動かす故、忽胸塞がり息喘き足疲れ、僅の物に躓けば忽倒るゝ者也、是気上にのみ升り下軽くして定まらず胸の上にて呼吸し気活動せざる故也、鎧武者は上つりて少の物にも躓き倒るゝと言伝へしも同じ事也、佗無し、唯活気と死気との差別に由るのみ、
書き下し
心氣形無し、形無き故體中所として有らざること無し、鎭まるときは體中に充實し、動くときは上りて下虛也、心鎭まるときは正くして慾寡く物忘無く邪正是非の分別出來る也、氣鎭まるときは強くして物に恐るゝこと無し、心動くときは慾情盛にして物覺踈く善惡に暗し、氣動くときは躰虛にして物に恐るゝこと深く事に臨み顚動する者也、心氣一の如くにして別也、先づ體を靜にし妄想の念少きときは氣下に集まる、氣下に集まれば心靜なる者なり、隨分心氣を鎭むる心掛をすべし、勇怯才不才皆此處より生ず、此事常になれば鎭むる心附かざれども靜なるもの也、譬へば步行する者の如し、達者なるは腰より下のみ動き腰より上は動くこと無く躰豐にて形疲れず、物に中り躓きても倒るゝに至らず、不達者なるは氣上釣り頭と足と釣合ひ步行き臟腑を搖み身躰を强く動かす故、忽胸塞がり息喘き足疲れ、僅の物に躓けば忽倒るゝ者也、是氣上にのみ升り下輕くして定まらず胸の上にて呼吸し氣活動せざる故也、鎧武者は上つりて少の物にも躓き倒るゝと言傳へしも同じ事也、佗無し、唯活氣と死氣との差別に由るのみ、
現代語訳
心気には形がありません。形がないので、体の中どこにでもあります。鎮まるときは体中に充実し、動くときは上って下が虚ろになります。心が鎮まれば正しくて欲が少なく、物忘れがなく、邪正是非の分別ができます。気が鎮まれば強くて、物に恐れません。心が動けば欲情が盛んで物覚えが疎く、善悪に暗くなります。気が動けば体が虚ろで、物に恐れること深く、事に臨んで取り乱す者です。心と気は一のようで別です。まず体を静かにし、妄想の念が少なければ気は下に集まります。気が下に集まれば心は静かです。できる限り心気を鎮める心がけをするべきです。勇怯・才不才はみなここから生まれます。このことが常となれば、鎮めようと意識しなくても静かなものです。たとえば歩行する者のようなものです。達者な者は腰から下だけ動いて腰から上は動かず、体はゆったりして疲れず、物に当たり躓いても倒れるに至りません。不達者な者は気が上に釣り上がって頭と足の釣り合いで歩き、臓腑を揺さぶり身体を強く動かすので、たちまち胸が塞がり息が喘ぎ足が疲れ、わずかな物に躓いてもたちまち倒れます。これは気が上にのみ昇り下が軽くて定まらず、胸の上で呼吸して気が活動しないからです。鎧武者は上ずって少しの物にも躓き倒れると言い伝えるのも同じことです。ほかでもなく、ただ活気と死気との違いによるのみです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『武家拾要記抄録』・敬身篇・心を一所に止めず自在に働かせる一だましうちに手なしと云り、是を兵法の一つ太刀と名付たり、哲人は幾を知り、仁者には敵なしといへり、行軍の路次にをゐて馬の乘あひなどよく〱慎み、他の雜言をうけざるやうにすべし、凡藝を學ぶ者はまづ腰を直くし、心を臍の下に治めよといへり、又心を臍の下に置かんとすれば、其心すなはち其處に止りて働き得ず、心一方にとゞまる時は九方の用は缺る也、十方に置ざるときは十方にあり、只無心無念の心をもつて、手のいる時は手を用ひ、足のいる時は足を用ゆ、是兵法の極意、即存心の形に似たるもの也、理は窮りなし、藝は熟するによつて妙にいたる、あつく學びふかく思ひ、よくわきまへ、習ふ事の熟せば、をのづから事理一致の至極を得んもの歟、一番所などにて、高ばたし小うた酒もりなど一切是をとゞむべし、尤も靜に物音をも聞さだめ、いかやうのさはがしき事ありとも、其所を去べからず、
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『慎思録』巻之四養気の道は、先づ息を調ふるに在り。息調へば則ち気養ひを得て、心も亦た平らかなるべし。気息躁急なれば、則ち心も亦た躁急なり。故に心を平らかにし気を和らぐるは、気息を調ふるを以て要と為す。言を発し事を做すに、従容として迫らざれば、則ち気息舒緩なり。是れ心を平らかにし気を和らぐるの工夫なり。然らば則ち息を調へ気を和らぐるを以て、術者の事と為して之を鄙棄すべからず。
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