武学拾粋抄録 / 三恩之事・君恩・父恩・師恩、忠孝は離れない
三恩とは君恩父恩師恩也、孰も甲乙無し、父は此身を生じ君は此身を養ひ師は此身を敎ふる者なり、父生ぜざれば此身有るべき樣なし、君養はざれば此身を安んずること能はず、師敎へざれば人倫の道を知らず、一も闕くべからざる也、古より君父に忠孝を盡くさんことを思ひ、僅の間違より自分にては隨分忠孝と思ひつめ行ふこと不忠不孝と成りし輩有り、是等は眞理に暗きによれり、苟も人と生れ忠孝の志無きは禽獸に等し、常住坐臥も忘るべからず、心身の及ぶ程は盡くすべし、猶古より忠臣孝子の所行を見聞し智見を廣め置き、變に臨み顛倒し所思と所行と行違はぬ樣に心掛くべし、今の世偏見の族君父の恩義に甲乙を附け敎ふる者有り、其弊俗を移し、親に事へて不孝の輩人前にて君恩を辱とし、事有らば必人より先に溝壑に盈つべく、君命とだに云はゞ水火をも厭はずと云者有り、是飾言にして虛詭也、古より父に事ふるを取て君に仕ふとも云、又忠臣を求むるは孝子の門に於てすとも云へり、和漢共に不孝の人忠義を爲したるは古今の間一人も聞及びたること無し、故に君に忠を盡くさんとも父に孝を竭くすの中に有り、君臣は義也父子は親也、目前の罰利生も父は親故に薄く君は義故に嚴也、目前に理を附け敎ふる徒は唯利を貪るが爲のみ、忠孝の離れざるは猶文武の離るべからざるに同じ、偏見の說を是として終身を過つこと勿れ、
新字:三恩とは君恩父恩師恩也、孰も甲乙無し、父は此身を生じ君は此身を養ひ師は此身を教ふる者なり、父生ぜざれば此身有るべき様なし、君養はざれば此身を安んずること能はず、師教へざれば人倫の道を知らず、一も闕くべからざる也、古より君父に忠孝を尽くさんことを思ひ、僅の間違より自分にては随分忠孝と思ひつめ行ふこと不忠不孝と成りし輩有り、是等は真理に暗きによれり、苟も人と生れ忠孝の志無きは禽獣に等し、常住坐臥も忘るべからず、心身の及ぶ程は尽くすべし、猶古より忠臣孝子の所行を見聞し智見を広め置き、変に臨み顛倒し所思と所行と行違はぬ様に心掛くべし、今の世偏見の族君父の恩義に甲乙を附け教ふる者有り、其弊俗を移し、親に事へて不孝の輩人前にて君恩を辱とし、事有らば必人より先に溝壑に盈つべく、君命とだに云はゞ水火をも厭はずと云者有り、是飾言にして虚詭也、古より父に事ふるを取て君に仕ふとも云、又忠臣を求むるは孝子の門に於てすとも云へり、和漢共に不孝の人忠義を為したるは古今の間一人も聞及びたること無し、故に君に忠を尽くさんとも父に孝を竭くすの中に有り、君臣は義也父子は親也、目前の罰利生も父は親故に薄く君は義故に厳也、目前に理を附け教ふる徒は唯利を貪るが為のみ、忠孝の離れざるは猶文武の離るべからざるに同じ、偏見の説を是として終身を過つこと勿れ、
書き下し
三恩とは君恩父恩師恩也、孰も甲乙無し、父は此身を生じ君は此身を養ひ師は此身を敎ふる者なり、父生ぜざれば此身有るべき樣なし、君養はざれば此身を安んずること能はず、師敎へざれば人倫の道を知らず、一も闕くべからざる也、古より君父に忠孝を盡くさんことを思ひ、僅の間違より自分にては隨分忠孝と思ひつめ行ふこと不忠不孝と成りし輩有り、是等は眞理に暗きによれり、苟も人と生れ忠孝の志無きは禽獸に等し、常住坐臥も忘るべからず、心身の及ぶ程は盡くすべし、猶古より忠臣孝子の所行を見聞し智見を廣め置き、變に臨み顛倒し所思と所行と行違はぬ樣に心掛くべし、今の世偏見の族君父の恩義に甲乙を附け敎ふる者有り、其弊俗を移し、親に事へて不孝の輩人前にて君恩を辱とし、事有らば必人より先に溝壑に盈つべく、君命とだに云はゞ水火をも厭はずと云者有り、是飾言にして虛詭也、古より父に事ふるを取て君に仕ふとも云、又忠臣を求むるは孝子の門に於てすとも云へり、和漢共に不孝の人忠義を爲したるは古今の間一人も聞及びたること無し、故に君に忠を盡くさんとも父に孝を竭くすの中に有り、君臣は義也父子は親也、目前の罰利生も父は親故に薄く君は義故に嚴也、目前に理を附け敎ふる徒は唯利を貪るが爲のみ、忠孝の離れざるは猶文武の離るべからざるに同じ、偏見の說を是として終身を過つこと勿れ、
現代語訳
三恩とは、君恩・父恩・師恩です。どれも優劣はありません。父はこの身を生み、君はこの身を養い、師はこの身を教える者です。父が生まなければこの身があるはずがなく、君が養わなければこの身を安んじることができず、師が教えなければ人倫の道を知りません。一つも欠いてはなりません。古来、君父に忠孝を尽くそうと思い、わずかな間違いから、自分ではずいぶん忠孝と思いつめて行ったことが不忠不孝となった者があります。これらは真理に暗いからです。いやしくも人と生まれて忠孝の志のないのは禽獣に等しいのです。日常のあらゆる場面で忘れてはなりません。心身の及ぶ限り尽くすべきです。さらに古来の忠臣孝子の行いを見聞して知見を広めておき、変事に臨んで取り乱さず、思うことと行うことが食い違わないように心がけるべきです。今の世、偏見の者で、君父の恩義に優劣をつけて教える者があります。その弊害が風俗を移し、親に仕えて不孝の輩が人前では君恩を恥とし、事があれば必ず人より先に溝壑に屍をさらそう、君命とさえ言えば水火をも厭わないと言う者があります。これは飾り言葉で偽りです。古来、父に仕えるのを取って君に仕えるとも言い、また忠臣を求めるなら孝子の門でするとも言います。日本でも中国でも、不孝の人が忠義を行ったことは古今を通じて一人も聞いたことがありません。ゆえに君に忠を尽くそうとするのも、父に孝を尽くすことの中にあります。君臣は義であり、父子は親です。目前の罰や利益も、父は親であるから薄く、君は義であるから厳しいのです。目前に理屈をつけて教える徒は、ただ利を貪るためのみです。忠孝の離れないのは、文武が離れてはならないのと同じです。偏見の説を是として生涯を誤ってはなりません。
解説

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『講孟余話』告子下 第二章此の章、徐行疾行を以て孝弟を論じ、言行衣服を以て堯桀を分つ。言浅近なりと云へども、其の然る所以の故を求めば、性の本然道の全体具に茲に存するは勿論なり。然れども心を舎てて言行を論ずるは至論に非ず。若し此の論のみを信ぜば、巧言令色、足恭色荘の者を以て孝弟とし、堯舜とするの誤りあらん。又或は義外の説に陥り、道を以て偽となすに近からん。是れ亦思はざるべからず。故に註に「詳らかにするに曹交の間、浅陋麤率、必ず其の進見の時、礼貌衣冠言動の間、多く礼に循はず、故に孟子之に告ぐること此の両節の如し」と云ふとあり。然れども曹交の浅陋麤率専ら言語上に於て求むべからず。唯言語外に於て其の精神を想像すべし。然らずんば十尺九尺の言浅陋の如しと云へども、上篇第七章足口耳目の喩の如きも亦相類すと云ふべし。故に其の浅陋の所は十尺九尺に非ず、其の言語動作の間少しも精神なきのみ。又梁襄王を以て曹交に比し、其の優劣を臆度せんに、襄王は小才ありて絶えて実心なし。曹交は遅鈍の極みと云へども、却つて少しの実心あり。故に襄王は必ず事を誤る人なり。曹交に至りては却つて大誤なかるべし。千古の人を懸空に論ずるは無益なれども、亦致格の一端ならんか。
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