武学拾粋抄録 / 文武可嗜事・文武は鳥の両翼・車の両輪
文武の道は人たる者日用にも備はりて、事々文と武とを離るゝと云こと無し、然れども文武の眞理は一朝一夕に窺ひ知らるべきに非ず、先づ文道は詩文書を學び和歌を詠じ、武も亦弓を射槍を遣ひ劍を學ぶことのみに非ず、是等を以て文武と云はゞ人々何にても得手たる一藝は習ひ得らるべし、故に古より文武を會得したる人甚寡し、されども詩歌文書も文の小端、弓馬槍劍も武の小割にて、文武の眞面目は合せて一體と成り人倫の常道是也、然らざれば偏文偏武也、偏文は甚柔弱、偏武は甚驕暴にして用ふるに足らず、文武は鳥の兩翼車の兩輪の如く離れざるもの也、或は云平士文の用なく武を學んて足るべしと、是目前の理を指して己が怠惰を覆ひ人倫の道に暗く國家の大法に違背すと謂ふべし、如何となれば文武は人倫の常道、上天子より下百姓に至る迄廢すべからざる也、但其職とする處に依り取用は異なれども理は一致に歸する也、殊に今の世の武士は民を治め政を施し國家を調理する吏職の任にも當れば、彌文に志し道理を會得し事に臨み判斷の才無くして叶はず、又吏職の人と云へども軍役の割附有れば武を學び單兵の用を知らずして可ならんや、尙文武一體に歸するの至理は識者に就て明らむべき、也
新字:文武の道は人たる者日用にも備はりて、事々文と武とを離るゝと云こと無し、然れども文武の真理は一朝一夕に窺ひ知らるべきに非ず、先づ文道は詩文書を学び和歌を詠じ、武も亦弓を射槍を遣ひ剣を学ぶことのみに非ず、是等を以て文武と云はゞ人々何にても得手たる一芸は習ひ得らるべし、故に古より文武を会得したる人甚寡し、されども詩歌文書も文の小端、弓馬槍剣も武の小割にて、文武の真面目は合せて一体と成り人倫の常道是也、然らざれば偏文偏武也、偏文は甚柔弱、偏武は甚驕暴にして用ふるに足らず、文武は鳥の両翼車の両輪の如く離れざるもの也、或は云平士文の用なく武を学んて足るべしと、是目前の理を指して己が怠惰を覆ひ人倫の道に暗く国家の大法に違背すと謂ふべし、如何となれば文武は人倫の常道、上天子より下百姓に至る迄廃すべからざる也、但其職とする処に依り取用は異なれども理は一致に帰する也、殊に今の世の武士は民を治め政を施し国家を調理する吏職の任にも当れば、弥文に志し道理を会得し事に臨み判断の才無くして叶はず、又吏職の人と云へども軍役の割附有れば武を学び単兵の用を知らずして可ならんや、尚文武一体に帰するの至理は識者に就て明らむべき、也
書き下し
文武の道は人たる者日用にも備はりて、事々文と武とを離るゝと云こと無し、然れども文武の眞理は一朝一夕に窺ひ知らるべきに非ず、先づ文道は詩文書を學び和歌を詠じ、武も亦弓を射槍を遣ひ劍を學ぶことのみに非ず、是等を以て文武と云はゞ人々何にても得手たる一藝は習ひ得らるべし、故に古より文武を會得したる人甚寡し、されども詩歌文書も文の小端、弓馬槍劍も武の小割にて、文武の眞面目は合せて一體と成り人倫の常道是也、然らざれば偏文偏武也、偏文は甚柔弱、偏武は甚驕暴にして用ふるに足らず、文武は鳥の兩翼車の兩輪の如く離れざるもの也、或は云平士文の用なく武を學んて足るべしと、是目前の理を指して己が怠惰を覆ひ人倫の道に暗く國家の大法に違背すと謂ふべし、如何となれば文武は人倫の常道、上天子より下百姓に至る迄廢すべからざる也、但其職とする處に依り取用は異なれども理は一致に歸する也、殊に今の世の武士は民を治め政を施し國家を調理する吏職の任にも當れば、彌文に志し道理を會得し事に臨み判斷の才無くして叶はず、又吏職の人と云へども軍役の割附有れば武を學び單兵の用を知らずして可ならんや、尙文武一體に歸するの至理は識者に就て明らむべき、也
現代語訳
文武の道は、人たる者の日常にも備わっていて、事ごとに文と武を離れることはありません。しかし文武の真理は、一朝一夕に窺い知れるものではありません。まず文の道は、詩文書を学び和歌を詠むこと、武もまた弓を射、槍を使い、剣を学ぶことだけではありません。これらをもって文武と言うなら、人々は何であれ得意の一芸は習得できるでしょう。だから古来、文武を会得した人は非常に少ないのです。けれども詩歌文書も文のほんの端、弓馬槍剣も武の小さな一部で、文武の真面目は合わさって一体となり、人倫の常道となるものです。そうでなければ偏文・偏武です。偏文は甚だ柔弱、偏武は甚だ驕り暴れて、用いるに足りません。文武は鳥の両翼、車の両輪のように離れないものです。あるいは「平士は文の用はなく、武を学べば足りる」と言う者があります。これは目の前の理屈を指して自分の怠惰を覆い、人倫の道に暗く、国家の大法に背くものと言うべきです。なぜなら文武は人倫の常道で、上は天子から下は百姓に至るまで廃してはならないものだからです。ただ、その職とするところによって用い方は異なりますが、理は一つに帰します。ことに今の世の武士は、民を治め政を施し国家を調える吏職の任にも当たるので、いよいよ文に志し、道理を会得し、事に臨んで判断する才がなくてはなりません。また吏職の人でも軍役の割り当てがあるのだから、武を学び、一兵卒の働きを知らずによいものでしょうか。なお文武一体に帰する至理は、識者について明らかにすべきです。
解説

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『武士訓』卷一・第4段世俗の說に。われは武人なり。武をこそ專らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の兩輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。旣爲文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文學をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文學を後にすることなかれ。許棐氏が語に。讀孔孟之書而不嗜殺人者。未爲仁人也。讀孫吳之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍學すらすでにしかり。况や其以下の小藝をや。文學は木の根本のごとく。諸藝は枝葉にひとしといへり。幼より文學をせざるうちに。外の藝にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
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『武訓』序・第1段文といひ、武といふ、分ちて是をいへば其の用大に同じからず。故に車の兩輪鳥の兩翼にたとへて、其一を闕くことあたはざることをいへるも、おなじからざるあとにつきて、文武の二を對しいへるのみ。合せて是れをいへば文武只一德にして、文の中に武あり、武の中に文あること、猶陰陽のたがひに根ざすがごとし。故に文なき武はまことの武にあらじ。わが國中頃保元平治より天正文祿の間にいたるまで、爭亂相踵で治日まれなりしかば、士人戎事に暇なく、文學をしるものすくなく、其の武とする所血氣の勇のみにして、眞の武道をしらず、勇俠刺客のしわざのごときを尙ぶこと風俗となり、其の餘習猶近世に及べり。今太平の化あまねく行はれ、四の海波しずかにして、人文日々に盛なれば、聖賢の遺訓家々に傳はり戶々に誦す。しかれども猶無學の輩は文武のことわりを辯へず、習俗にひかれてひが心得も有るべし。或は生質柔懦にして、治平に武をわすれざるの誠をおもはぬ輩も有るべし。先生俗士のために文武の二訓を著はし、其のことわりを辯明し給ふ。其の詞は假字にして讀みやすく、其の意は聖賢の正しきすぢを述べ給ふこと親切著明にして、且目今の時宜にかなはざることなし。世敎に補あること豈小ならんや。
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『和俗男子訓』・巻一・文と武を兼ね学ぶ士の心得一およそ、士としては、文武をまなぶと、尤おこたるべからず、むかし周成王告伯禽言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威德乃成、民親以服、とあり、意は、文武は、鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては、飛ことあたはざるごとし、文あれども、武なければ、人あなどりておそれず、武あれども、文なければ、人おそれてしたしまず、この故に、文と武とをかねまなびて、身におこなふときは、威德ともに備る故に、人したしみ、且おそれて、したがふといへり、今の世たま〱文學にこゝろざす者は、武術はいやしきことのやうにいひて、たしまず、武術をならふものは、文學は、手ぬるきさやうに思ひて、まなばず、これによりて、あるひは、怯弱にして、婦女のごとくになり、或は、麁暴にして、田夫のごとくになる、かたよれりといふべし、士たる者は、もつぱら心をつけて、さとすべし、
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『翁問答』上卷之末体充問曰、文武は車の両輪鳥の両翼のごとしと申ならはし候へば、文と武とは二色にて御座候やさて又如何様なるものを文武とは申候や。師の曰、文と武に世俗大きなる心得そこなひ候、世俗は歌を読み詩を作り文筆に達し気だてものやはらかに花車なるを文といひ、弓馬兵法軍法を習ひ知り、気立たけくいかつなるを武と云ならはせり、皆似たる事の似ぬ事にて候、元来文武は一徳にして各別なる者にては無く候、天地の造化一気にして陰陽の差別ある如く、人性の感通一徳にして文武の差別あれば、武なき文は真実の文に非ず、文なき武は真実の武にあらず、
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『弘道館記述義』・文武不岐・文と武は車の両輪で分けてはならない文武岐れず。臣彪謹んで案ずるに、神聖は武を以て基を建て、而して文も亦固より其の中に寓す。猶ほ夫れ西土三代の忠質文に於けるがごとし。夏殷に文無きに非ず、周豈に忠質を廃せんや。而るに夏は忠、殷は質、周は文と曰ふは、皆其の向ふ所を言ふのみ。天祖天孫の統を垂れ、神武崇神諸帝の天業を経綸するは、其の武を尚ぶこと論ずる亡し。然れども其の神を敬ひ民を愛し、政を為し治を図るの迹、豈に之を文と謂はざるべけんや。聖子神孫世々其の緒を承け、内は万民を安んじ外は四夷を撫す。諸王諸臣も亦皆文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。国運の盛んなること赫赫として日の升るが如し。中葉以降、将相職を異にし、文武背馳す。公卿軟弱にして手に兵を知らず、源平互ひに起こり、皇室陵夷し、天下の大権遂に武人に移る。夫れ文武の国家に於けるは、猶ほ天地の陰陽有るがごとし。陰陽並び行はれて年穀豊饒なり、文武並び挙げて天下乂安なり。其れ然らざる者は則ち反す。是の故に武人の政を為すや、其の文教を質す者は或いは小康を致すべし。専ら威刑に任ずる者は亡ぶること踵を旋らさず。東照宮に至りては文を撥め武を奮ひ、以て今日の基を開く。則ち上に在る君子は固より宜しく其の業を紹述すべし、而して凡そ天下の士は、黽勉して此に従事せざるべからず。蓋し文武の道には各小大有り。天地を経緯し克く禍乱を定むるは、是れ其の大なる者なり。書を読み冊を挟み、剣を撃ち矛を奮ふは、是れ其の小なる者なり。然れども書冊は道義を講ずる所以にして、剣矛は心胆を錬る所以なり。心胆実して後に以て難に臨み変を制すべく、道義明らかにして後に以て己を脩め人を治むべし。且つ文の弊は弱、武以て弱を矯むべし。武の弊は愚、文以て愚を医すべし。然らば則ち学者其の大を語りて其の小を急にするは、固より不可なり。其の小に務めて其の大を忘るるも、亦不可なり。分かちて二と為し、又其の一を廃するは、尤も不可なり。周代六芸の科、射御其の中に居る。孔子曰く、文事有る者は必ず武備有りと。冉求矛を奮ひて斉の軍に入り、仲由三軍を行ふを以て自ら許す。則ち古の人を教ふる所以は、其をして文武兼ね資り、徳を成し材を達せしむるなり、知るべし。後世に及び、大道湮晦し、学校の設けも亦文具に属す。凡そ黌舎に周旋する者は率ね皆白面の書生。古の所謂勇敢強有力なる者は、頭を其の間に屈するを甘んぜず。李唐に至りて呂尚を尊びて孔子に匹似せしめ、別に武学を建てて文学と相対す。其の文武に心を用ふるは則ち似たり。殊に知らず、文武益ます岐れて復た収合すべからず、而して聖人の意大いに荒るるを。備前国主池田氏、蓋し此に見る有り、其の臣熊沢伯継の議を用ひ、新たに学校を設けて文武を合して一と為す。我が公、毎に深く其の国体に通達するを嗟賞し、斯の館を建つるに及び、亦其の美意に倣ふ。文武岐れずの戒め有る所以なり。学者、其れ服膺せざるべけんや。
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『武藝訓抄録』・叙・文武を兼ね備える道文は道を載するの器なり。藝は業を修むるの法なり。聖人の万世に訓を垂れる所以にして、人倫日用に欠くべからざる者なり。筑前の産、武矩片島氏、夙に志有り。師を尋ね友を求めて以て文武の術を究む。窃かに患う、近世士たる者、頽く業を修むるを喜び、文武全く備うべきの道を察せず。其の文事を専らにする者は、訓詁詞藻を以て文を為し、未だ嘗て六藝の文たるを識らず。武事に勤むる者も、亦惟だ弓釼の兵たるを知りて、却って詩書の武たるを知らず。故に巧言文を説く者有り、臂を攘げて武を講ずる者有り。豈に欠けたるに非ずや。武矩嚮に武士和訓を作為し、以て初学者に示す。復た其の不足を補い、其の遺を拾い、六藝訓を著す。其の書たるや、礼楽の奥を会し、立躬御書数の階梯なり。皆是れ聖賢の訓を垂るる所以にして、武矩の夙に志す所なり。啻に初学者をして裨有るを得しむるのみに非ず。儻し士たる者、即ち是れに省閲を加え、以て欠くべからざるの業を識らば、則ち勤むる所の節目皆至当にして、何ぞ文武の道の全備せざるを患えんや。