武学拾粋抄録 / 武士之起本・兵農分離と城下住まいの弊
政令も武家の頒行と成果ぬ、扨武士も近習旗本のみは守護の在所近く居住すれども、其外は皆領地に引籠り、被官に耕作させ、被官寡き者は自身も倶に耕し百姓と甚親睦なる故に、大將たる人合戰の節何程敗北すれども根城迄拔かるゝ程に至らず、萬一攻拔かれても子孫其地を分散せず民間にからまり、百姓も共に隱して時節を俟ち、又討て出取返すこと多し、畿內の楠、近江の佐々木、伊豫の河野、筑紫の少貳、加賀の富樫の類是也、兵農の差別甚くなりしは豐臣の太閤に起れり、秀吉公威力を以て天下を得たまひ、國々諸侯其土地に久住すれば事有る時根を斷ち葉を枯らすが如きこと成し難きを恐れ、國替を始めて諸侯を移封す、未戰國の煩熱凉めす、國替の當坐は百姓と隔心有る故虛と軍勢を分散することも成難く、城下に纏め置きしが、時過ぎて士着さすべき頃に至りても大勢を城下に住居さすれば賑はしく手都合も宜き故。其儘にして終に武士城下住居の時節に成りぬ、武士安坐美食して佚飽すること目前の大幸に似たれども、退て考ふれば武士の懦弱軍役の乏少是に基すと云ふべきか、
新字:政令も武家の頒行と成果ぬ、扨武士も近習旗本のみは守護の在所近く居住すれども、其外は皆領地に引籠り、被官に耕作させ、被官寡き者は自身も倶に耕し百姓と甚親睦なる故に、大将たる人合戦の節何程敗北すれども根城迄抜かるゝ程に至らず、万一攻抜かれても子孫其地を分散せず民間にからまり、百姓も共に隠して時節を俟ち、又討て出取返すこと多し、畿内の楠、近江の佐々木、伊予の河野、筑紫の少貳、加賀の富樫の類是也、兵農の差別甚くなりしは豊臣の太閤に起れり、秀吉公威力を以て天下を得たまひ、国々諸侯其土地に久住すれば事有る時根を断ち葉を枯らすが如きこと成し難きを恐れ、国替を始めて諸侯を移封す、未戦国の煩熱凉めす、国替の当坐は百姓と隔心有る故虚と軍勢を分散することも成難く、城下に纏め置きしが、時過ぎて士着さすべき頃に至りても大勢を城下に住居さすれば賑はしく手都合も宜き故。其儘にして終に武士城下住居の時節に成りぬ、武士安坐美食して佚飽すること目前の大幸に似たれども、退て考ふれば武士の懦弱軍役の乏少是に基すと云ふべきか、
書き下し
政令も武家の頒行と成果ぬ、扨武士も近習旗本のみは守護の在所近く居住すれども、其外は皆領地に引籠り、被官に耕作させ、被官寡き者は自身も倶に耕し百姓と甚親睦なる故に、大將たる人合戰の節何程敗北すれども根城迄拔かるゝ程に至らず、萬一攻拔かれても子孫其地を分散せず民間にからまり、百姓も共に隱して時節を俟ち、又討て出取返すこと多し、畿內の楠、近江の佐々木、伊豫の河野、筑紫の少貳、加賀の富樫の類是也、兵農の差別甚くなりしは豐臣の太閤に起れり、秀吉公威力を以て天下を得たまひ、國々諸侯其土地に久住すれば事有る時根を斷ち葉を枯らすが如きこと成し難きを恐れ、國替を始めて諸侯を移封す、未戰國の煩熱凉めす、國替の當坐は百姓と隔心有る故虛と軍勢を分散することも成難く、城下に纏め置きしが、時過ぎて士着さすべき頃に至りても大勢を城下に住居さすれば賑はしく手都合も宜き故。其儘にして終に武士城下住居の時節に成りぬ、武士安坐美食して佚飽すること目前の大幸に似たれども、退て考ふれば武士の懦弱軍役の乏少是に基すと云ふべきか、
現代語訳
そして政令も武家が分け行うものとなり果てました。さて武士も、近習・旗本だけは守護の在所の近くに居住しますが、そのほかはみな領地に引きこもり、被官に耕作させ、被官の少ない者は自身も共に耕し、百姓と非常に親しく睦まじいので、大将たる人は合戦のときどれほど敗北しても根城まで抜かれるほどにはならず、万一攻め抜かれても子孫はその地を離散せず民間に紛れ、百姓も共に隠して時節を待ち、また討って出て取り返すことが多くありました。畿内の楠、近江の佐々木、伊予の河野、筑紫の少弐、加賀の富樫の類がこれです。兵と農の差別が甚だしくなったのは、豊臣の太閤に起こりました。秀吉公は威力をもって天下を得られ、国々の諸侯がその土地に長く住むと、事あるときに根を断ち葉を枯らすようなことが難しくなるのを恐れ、国替えを始めて諸侯を移封しました。まだ戦国の熱気が冷めないうちで、国替えの当座は百姓と心の隔たりがあるので、むやみに軍勢を分散させることも難しく、城下にまとめておきましたが、時が過ぎて土着させるべき頃になっても、大勢を城下に住まわせると賑やかで都合もよいので、そのままにして、ついに武士が城下に住む時代になりました。武士が安座して美食し飽き満ちることは目前の大きな幸せに似ていますが、退いて考えれば、武士の惰弱と軍役の乏しさはこれに基づくというべきでしょうか。
解説

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『実武一家言抄録』・武士を土着させる利(一)人數を撫御して武備を精銳にせん事を欲せば諸士の風俗を質朴にするには山林草野に土着せしむるを良とす、諸士自身に農業にも從事する時は小給にても馬を持るゝ者にて、居家衣服等の奢侈を爲ざる時は心次第に武具も持られ、且耕作を勤むる時は手足も自然に丈夫に成、時に猪狩等を樂みとし、弓鐵砲の早業を勵むを以武藝も自ら上達し、險阻を走り廻りて遠行するが故に筋骨も健に成、力らを用る事有共速に疲勞する事なく、常に粗食を喰雨雷を犯して、或は野宿し或は飢を凌ぎ、艱難に馴るゝを以、軍役に出て奔走すると雖も、さまで苦とも思はざる也、大身の武士も奢を絶て農を本とする時は、年毎に財用餘りて內證富饒と成て數多の家士を扶持する事も出來る者也、古の領主は僅に五千石歟一萬石程の知行高にて五百人も千人も人數を出す事を得たる者は只是故の次第なりしが故也、今は天下一統に武士をば悉く城下に集置事に古來二百餘年續しに因て、人々皆繁華の風俗に習ひ馴れ、競て家宅を壯嚴に衣服に美麗を究極し安居して、共に珍味を喰飽て老の將に至らんとするを知らず、故に邇近に武備を論ずる者有を見れば後に山間の猿なりと罵り、國家を保護し不虞を警衛すべき軍役の爲に收納する租稅を、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事但し大名の家来をも面々知行所をくれて其処に置きたることなれとも、当時差支ゆる仔細あり、元来是も皆知行所に居たれとも、太閤秀吉公のときより大名に所換をさすると云ふこと起る故、左様の節不便利なりとて皆夫々の城下に集め置きて、今は一面に風俗となれり、其時代は戦国の始めて静まりたる砌なれは、其勢を弱むる術にて計策の一つなるへけれとも、是より日本国中総人数减少すること武道に於て宜しからさることの第一なり、天草一揆の節僅かの小城に百姓一揆のこもりたるを、西国大名の数を尽して攻めたるも、其の節より早人数减少したる証拠なり、
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『実武一家言抄録』・城下集住の弊と反論悉く酒食淫樂の事に用費し、三千石の高取に馬一疋も飼はず譜代相續の家來一人もなき家あるに至る、如此迄に武道の衰微せしも、畢竟は武士を城下に集置より起れり、故に今世の武士といふ者は軍役の事をば悉く廢却して、只其言語の怜悧成と身振りの立派なるのみ事とする者也、嗚呼斯在澆季の世に萬一外寇の來る事あらば、城邑皆風を望て奔潰する事なるべし、故に國土を有つ者は、熟察せずんばあるべからざる所なり、太田才佐が梧窓漫筆に、武士を土着せしむる時は、僅千石二千石を領ずると雖も、在住すれば武備も具り、其餘の百姓を家の子郎黨とするが故に兵卒も乏しからず、萬一反を留時は後の山にたて籠れば誠に一國の動亂也、然れば其時の如く諸士を悉く其國主の城下に居住せしむれば五百坪歟三百坪の屋敷にて事足り、江戸に在時は五間七間の長屋に居住するを以て武備も欠け郎黨も少く威勢もなく町人と同樣にて百姓には遙に劣り、昔の地に生茂りたる大木の如くなる時に比すれば鉢植武士共稱すべき姿也、是に因て天下は太平也、若し今にも昔に復りて土着せしめば國家の動亂眼前に出來るべしと云り、是其小を知て大を知らざるの論なり、土着の武士なき所に萬一外寇の至る事あらば土崩せん事必せり、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事武家田舎に居住するときは第一衣食住にもの入らぬ故武家の身上直るへし、総して奢りは内証より起る、武家の妻女御城下に住む時は次第に奢りて身を倦し病者になる故、其腹に生るゝ子柔弱にて今は何の御用に立ぬやうに相成りたり、是れ亦田舎に住みぬれは自から機なとを織りて身をこなし、奢りも薄く身も強くなりて武家の妻女に相応すへし、男も野広く方々かけありき、手足も丈夫に成るへし、親類近付きの方へ話にありき、用事あれは五里も三里もつねにありき、馬も自から達者になるへし、飼料も心安けれは二三百石の身上にても五匹十匹も好き次第に持るゝは田舎なり、平生隙なれば武芸幷に学問も外の慰みなけれは江戸よりはよかるへし、家来も田地五石の十石の取らせても作取りにさする故五石は十石なり、十石は二十石なり、其の上に田舎の暮しなる故五石めは二十石めに向ひて、二十石めは四十石めに向ひ、何も豊にて然かも数多く持たるゝ故軍役の嗜み如何程もなるへし、