実武一家言抄録 / 城下集住の弊と反論
悉く酒食淫樂の事に用費し、三千石の高取に馬一疋も飼はず譜代相續の家來一人もなき家あるに至る、如此迄に武道の衰微せしも、畢竟は武士を城下に集置より起れり、故に今世の武士といふ者は軍役の事をば悉く廢却して、只其言語の怜悧成と身振りの立派なるのみ事とする者也、嗚呼斯在澆季の世に萬一外寇の來る事あらば、城邑皆風を望て奔潰する事なるべし、故に國土を有つ者は、熟察せずんばあるべからざる所なり、太田才佐が梧窓漫筆に、武士を土着せしむる時は、僅千石二千石を領ずると雖も、在住すれば武備も具り、其餘の百姓を家の子郎黨とするが故に兵卒も乏しからず、萬一反を留時は後の山にたて籠れば誠に一國の動亂也、然れば其時の如く諸士を悉く其國主の城下に居住せしむれば五百坪歟三百坪の屋敷にて事足り、江戸に在時は五間七間の長屋に居住するを以て武備も欠け郎黨も少く威勢もなく町人と同樣にて百姓には遙に劣り、昔の地に生茂りたる大木の如くなる時に比すれば鉢植武士共稱すべき姿也、是に因て天下は太平也、若し今にも昔に復りて土着せしめば國家の動亂眼前に出來るべしと云り、是其小を知て大を知らざるの論なり、土着の武士なき所に萬一外寇の至る事あらば土崩せん事必せり、
新字:悉く酒食淫楽の事に用費し、三千石の高取に馬一疋も飼はず譜代相続の家来一人もなき家あるに至る、如此迄に武道の衰微せしも、畢竟は武士を城下に集置より起れり、故に今世の武士といふ者は軍役の事をば悉く廃却して、只其言語の怜悧成と身振りの立派なるのみ事とする者也、嗚呼斯在澆季の世に万一外寇の来る事あらば、城邑皆風を望て奔潰する事なるべし、故に国土を有つ者は、熟察せずんばあるべからざる所なり、太田才佐が梧窓漫筆に、武士を土着せしむる時は、僅千石二千石を領ずると雖も、在住すれば武備も具り、其余の百姓を家の子郎党とするが故に兵卒も乏しからず、万一反を留時は後の山にたて籠れば誠に一国の動乱也、然れば其時の如く諸士を悉く其国主の城下に居住せしむれば五百坪歟三百坪の屋敷にて事足り、江戸に在時は五間七間の長屋に居住するを以て武備も欠け郎党も少く威勢もなく町人と同様にて百姓には遥に劣り、昔の地に生茂りたる大木の如くなる時に比すれば鉢植武士共称すべき姿也、是に因て天下は太平也、若し今にも昔に復りて土着せしめば国家の動乱眼前に出来るべしと云り、是其小を知て大を知らざるの論なり、土着の武士なき所に万一外寇の至る事あらば土崩せん事必せり、
書き下し
悉く酒食淫樂の事に用費し、三千石の高取に馬一疋も飼はず譜代相續の家來一人もなき家あるに至る、如此迄に武道の衰微せしも、畢竟は武士を城下に集置より起れり、故に今世の武士といふ者は軍役の事をば悉く廢却して、只其言語の怜悧成と身振りの立派なるのみ事とする者也、嗚呼斯在澆季の世に萬一外寇の來る事あらば、城邑皆風を望て奔潰する事なるべし、故に國土を有つ者は、熟察せずんばあるべからざる所なり、太田才佐が梧窓漫筆に、武士を土着せしむる時は、僅千石二千石を領ずると雖も、在住すれば武備も具り、其餘の百姓を家の子郎黨とするが故に兵卒も乏しからず、萬一反を留時は後の山にたて籠れば誠に一國の動亂也、然れば其時の如く諸士を悉く其國主の城下に居住せしむれば五百坪歟三百坪の屋敷にて事足り、江戸に在時は五間七間の長屋に居住するを以て武備も欠け郎黨も少く威勢もなく町人と同樣にて百姓には遙に劣り、昔の地に生茂りたる大木の如くなる時に比すれば鉢植武士共稱すべき姿也、是に因て天下は太平也、若し今にも昔に復りて土着せしめば國家の動亂眼前に出來るべしと云り、是其小を知て大を知らざるの論なり、土着の武士なき所に萬一外寇の至る事あらば土崩せん事必せり、
現代語訳
すべて酒食や淫楽に使い果たし、三千石取りでありながら馬を一頭も飼わず、代々仕える家来が一人もいない家さえある。これほどまでに武道が衰えたのも、結局は武士を城下に集めて住まわせたことから起こった。だから今の世の武士は、軍役のことをすっかり捨てて、ただ言葉が利口で身振りが立派なことばかりを事としている。ああ、この末世に万一外敵が来たなら、城も町もみな風を望んだだけで崩れ去るであろう。ゆえに国土を治める者は、よくよく考えなければならない。太田才佐の『梧窓漫筆』には、武士を土着させると、わずか千石二千石の領地でも、在住していれば武備も整い、そのほかの百姓を家の子郎党とするので兵も乏しくなく、万一謀反を起こしても後ろの山にたて籠もれば国中の騒乱になる、とある。そうなると、今のように武士をみな領主の城下に住まわせれば、五百坪か三百坪の屋敷で事足り、江戸にいるときは五間七間の長屋に住むので、武備も欠け家来も少なく威勢もなく、町人と同様で百姓にはるかに劣り、昔の地に生い茂った大木に比べれば、鉢植えの武士とも呼ぶべき姿である。これによって天下は太平である。もし今にも昔に戻して土着させたなら、国家の動乱は目前に起こるに違いない、と述べている。これは小さなことを知って大きなことを知らない論である。土着した武士のいないところに万一外敵が来たなら、土が崩れるように潰れることは必定である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『実武一家言抄録』・武士を土着させる利(一)人數を撫御して武備を精銳にせん事を欲せば諸士の風俗を質朴にするには山林草野に土着せしむるを良とす、諸士自身に農業にも從事する時は小給にても馬を持るゝ者にて、居家衣服等の奢侈を爲ざる時は心次第に武具も持られ、且耕作を勤むる時は手足も自然に丈夫に成、時に猪狩等を樂みとし、弓鐵砲の早業を勵むを以武藝も自ら上達し、險阻を走り廻りて遠行するが故に筋骨も健に成、力らを用る事有共速に疲勞する事なく、常に粗食を喰雨雷を犯して、或は野宿し或は飢を凌ぎ、艱難に馴るゝを以、軍役に出て奔走すると雖も、さまで苦とも思はざる也、大身の武士も奢を絶て農を本とする時は、年毎に財用餘りて內證富饒と成て數多の家士を扶持する事も出來る者也、古の領主は僅に五千石歟一萬石程の知行高にて五百人も千人も人數を出す事を得たる者は只是故の次第なりしが故也、今は天下一統に武士をば悉く城下に集置事に古來二百餘年續しに因て、人々皆繁華の風俗に習ひ馴れ、競て家宅を壯嚴に衣服に美麗を究極し安居して、共に珍味を喰飽て老の將に至らんとするを知らず、故に邇近に武備を論ずる者有を見れば後に山間の猿なりと罵り、國家を保護し不虞を警衛すべき軍役の爲に收納する租稅を、
-
『政談』武家旅宿の境遇を改むる事大勢の武家御城下に集まり居る故火災も繁く、其の上常の居住なる故妻子足手まとひになり、財宝に心引れ、火を消すこともならす、町人の風俗と傾城町野郎町の風儀武家へ移り風俗悪くなり、慰み多き所なれは武芸学文の嗜みも軽くなる、又不断御城下に在てなれこになる故公儀をも鵜呑にして上を恐るゝ心も薄く、行儀をたしなますれは公家上ろうのやうになり、行儀に搆はされは町奴のやうになる、
-
『政談』武家旅宿の境遇を改むる事武家田舎に居住するときは第一衣食住にもの入らぬ故武家の身上直るへし、総して奢りは内証より起る、武家の妻女御城下に住む時は次第に奢りて身を倦し病者になる故、其腹に生るゝ子柔弱にて今は何の御用に立ぬやうに相成りたり、是れ亦田舎に住みぬれは自から機なとを織りて身をこなし、奢りも薄く身も強くなりて武家の妻女に相応すへし、男も野広く方々かけありき、手足も丈夫に成るへし、親類近付きの方へ話にありき、用事あれは五里も三里もつねにありき、馬も自から達者になるへし、飼料も心安けれは二三百石の身上にても五匹十匹も好き次第に持るゝは田舎なり、平生隙なれば武芸幷に学問も外の慰みなけれは江戸よりはよかるへし、家来も田地五石の十石の取らせても作取りにさする故五石は十石なり、十石は二十石なり、其の上に田舎の暮しなる故五石めは二十石めに向ひて、二十石めは四十石めに向ひ、何も豊にて然かも数多く持たるゝ故軍役の嗜み如何程もなるへし、
-
『政談』武家旅宿の境遇を改むる事国に締を付けたること大概右の条々につくせり、されとも畢竟の所武家を知行所に置さるは締の至極にあらす、夫のみならす武道を再興し、世界の奢りを静め、武家の貧窮を救ふ仕方此の外更に有るへからす、先つ第一武家御城下に集り居るは旅宿なり、諸大名の家来も其の城下に居るを江戸に対して在所とはいへとも、是亦己か知行所にあらされは旅宿なり、其仔細は衣食住を初め木一本も買調へねはならぬ故旅宿なり、故に武家を御城下に差置ときは、一年の知行米を売払ふて夫にてものを買調へ一年中に使ひ切る故、勢を出して上へする奉公は皆御城下の町人のためになるなり、是に依りて御城下の町人盛になりて世界次第に悪しくなり、物の直段次第に高直になりて武家の困窮当時に至りては最早すへきやうなくなりたり、
-
『政談』武家旅宿の境遇を改むる事当時は大かた成人と云ふもの和らかに下の情に疎く、幼少と変なし、御譜代外様と云ふも今は名はかりにて同し事なり、御代初めの時分にて外様大名は御をつかまつりたるものゝ子孫なれは、御用心あらんも尤もなり、御譜代も武剛を者の子ともにてなるほとそのころまては差別有るべけれとも、今日に至りては何れも親縁の中に成り、何れも〳〵江戸育ちにて江戸を古郷と思ふ人なり、其家中の大禄の家来も皆な生まれかはりになり、代々其の家中にて人に崇めらるゝ故、其の主人とさのみ変らすうつかりなり、総体の様子に国持大名に奥ゆかしきことあるは所換をせす古き風俗を持ち伝へたる故のことなり、然れは御科ありての所換は各別の事、向後所換を停止ありて家中の武士をも皆知行所を呉れて面々知行所に居住せは、軍兵の数昔に帰りて日本武道の再興なるへし、大切のことなり、
-
『秘本玉くしげ』上 武士に農作を武士はおほくは町人などにくらぶれば、内内は花美とはいはれぬが如くなれども、それも世につれておのづから何事も花美になれる也。武士奢れば、金銀のほしきままにおのづから非義をも行ひ、又至りて困窮する時は、おのづから肝心の武備をも闕ことあり。よくよく心得べき事也。それに付て思ふに、当時役用のしげくもなき家中衆は、大小上下共に随分多く農作をさせ、家内婦人は女工を出精せられて宜しかるべきにや。其中に軽き人人は、随分なるべきだけは自身鋤鑊をとりて働き、又自身はさすがそれほどにはたらく事も成がたきほどの人人も、随分かけまはりて指図手伝等なして、惣体多くつくりをせらるるやうにあらまほしき也。さやうにするときは、さし当りてまづ内證用脚の助けにもなるべく、又武士の筋骨身体つよくなりて、第一武事の働きのためにも甚宜しかるべき也。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る