武学拾粋抄録 / 武士之起本・農兵から私兵へ、武力の私物化
常ゝ國々に團練司を置きて農隙毎に繰練し、陣法を敎へ兵に充られし民は其分に應じ、年貢夫役など免許有りし迄也、此輩平日耕作して其暇に武藝陣法を習ひ事有れば軍役を勤む、又國々所々に牧場を設け馬を養ひ兵民の逹乘を撰み、是を司らしむるを牧監とも別當とも呼びし也、扨年々京都への貢馬は牧々に定額有り、其餘は兵民己が腕尻に任せ撰み出し遣ひし故逹乘云ふばかり無し、日本一國の騎三十三萬四と言ひ傳へしも此頃也、其後源平藤原抔の氏族繁榮し受領して國守郡領抔と成りし者の子孫其所に止まり住居し、又は其身京に在ながら莊園邑田を賜はりたるは子弟を下し、其租税を司らしめし類次第に枝葉蔓り、其地の民は何となく皆被官の樣に成行くに任せ、其被官に耕作させ、纔の貢物を國府へ收め、其餘は己と被官と頒ちても乏しからざる故、土地の大小に隨ひ夫々に軍器をも畜へ置きしに依り私の軍勢と云者出來たり、朝家にも別に費無く兵士多くなり守禦に宜き樣に見ゆる故、後の慮も無く打捨置かれし程に、年々に私兵多く成行き夫に就きては公兵に充らるべき者次第に寡く、
新字:常ゝ国々に団練司を置きて農隙毎に繰練し、陣法を教へ兵に充られし民は其分に応じ、年貢夫役など免許有りし迄也、此輩平日耕作して其暇に武芸陣法を習ひ事有れば軍役を勤む、又国々所々に牧場を設け馬を養ひ兵民の逹乗を撰み、是を司らしむるを牧監とも別当とも呼びし也、扨年々京都への貢馬は牧々に定額有り、其余は兵民己が腕尻に任せ撰み出し遣ひし故逹乗云ふばかり無し、日本一国の騎三十三万四と言ひ伝へしも此頃也、其後源平藤原抔の氏族繁栄し受領して国守郡領抔と成りし者の子孫其所に止まり住居し、又は其身京に在ながら荘園邑田を賜はりたるは子弟を下し、其租税を司らしめし類次第に枝葉蔓り、其地の民は何となく皆被官の様に成行くに任せ、其被官に耕作させ、纔の貢物を国府へ収め、其余は己と被官と頒ちても乏しからざる故、土地の大小に随ひ夫々に軍器をも畜へ置きしに依り私の軍勢と云者出来たり、朝家にも別に費無く兵士多くなり守禦に宜き様に見ゆる故、後の慮も無く打捨置かれし程に、年々に私兵多く成行き夫に就きては公兵に充らるべき者次第に寡く、
書き下し
常ゝ國々に團練司を置きて農隙毎に繰練し、陣法を敎へ兵に充られし民は其分に應じ、年貢夫役など免許有りし迄也、此輩平日耕作して其暇に武藝陣法を習ひ事有れば軍役を勤む、又國々所々に牧場を設け馬を養ひ兵民の逹乘を撰み、是を司らしむるを牧監とも別當とも呼びし也、扨年々京都への貢馬は牧々に定額有り、其餘は兵民己が腕尻に任せ撰み出し遣ひし故逹乘云ふばかり無し、日本一國の騎三十三萬四と言ひ傳へしも此頃也、其後源平藤原抔の氏族繁榮し受領して國守郡領抔と成りし者の子孫其所に止まり住居し、又は其身京に在ながら莊園邑田を賜はりたるは子弟を下し、其租税を司らしめし類次第に枝葉蔓り、其地の民は何となく皆被官の樣に成行くに任せ、其被官に耕作させ、纔の貢物を國府へ收め、其餘は己と被官と頒ちても乏しからざる故、土地の大小に隨ひ夫々に軍器をも畜へ置きしに依り私の軍勢と云者出來たり、朝家にも別に費無く兵士多くなり守禦に宜き樣に見ゆる故、後の慮も無く打捨置かれし程に、年々に私兵多く成行き夫に就きては公兵に充らるべき者次第に寡く、
現代語訳
常々国々に団練司を置いて、農閑期ごとに訓練し、陣法を教えました。兵に充てられた民は、その分に応じて年貢や夫役などを免除されるだけでした。この者たちは平日は耕作し、その暇に武芸と陣法を習い、事があれば軍役を務めます。また国々所々に牧場を設けて馬を養い、兵民の中から馬術に巧みな者を選んでこれを司らせ、牧監とも別当とも呼びました。さて年々京都への貢馬は牧ごとに定額があり、そのほかは兵民が自分の腕に任せて選び出し使ったので、馬術の巧みさは言いようもありませんでした。日本一国の騎が三十三万四と言い伝えられるのも、この頃のことです。その後、源・平・藤原などの氏族が繁栄し、受領して国守・郡領などになった者の子孫がその所に留まり住み、あるいは身は京にありながら荘園・邑田を賜った者は子弟を下してその租税を司らせた類が、次第に枝葉を広げ、その地の民はいつとはなしにみな被官(従者)のようになっていくに任せ、その被官に耕作させて、わずかな貢物を国府に納め、残りは自分と被官とで分けても乏しくないので、土地の大小に応じてそれぞれ武器も蓄えておいたことから、私の軍勢というものができました。朝廷にも別に費用がかからず、兵士が多くなって守りによいように見えたので、後の心配もなく打ち捨てておかれたところ、年々私兵が多くなり、それにつれて公の兵に充てられるべき者が次第に少なくなり、
解説

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『墨子』備城門老小の事とせざる者をして城上に守らしむ。術に當たらざる者なり。城、持ちて出づるには必ず眀填を為り、吏民をして皆な之を智知せしむ。一人より百人以上に従うも、持ちて出でて填章を操らざれば、人に従うも亦た故人に非ざれば、乃ち亦た稹章あるなり。千人の将以上、之を止め、行くを得しむる勿かれ。行きて吏卒、之に従わば、皆な斬り、具に以て上に聞す。此れ守城の重禁なり。夫れ姦の生ずる所、審らかにせざる可からざるなり。
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史記 孝景本紀後九月、更めて(弋)[易]陽を以て陽陵と為す。復た津関を置き、伝を用ゐて出入せしむ。冬、趙国を以て邯鄲郡と為す。五年三月、陽陵・渭橋を作る。五月、募りて陽陵に徙し、銭二十万を予ふ。江都に大暴風西方より来り、城を壊すこと十二丈。丁卯、長公主の子蟜を封じて隆慮侯と為す。広川王を徙して趙王と為す。六年春、中尉(趙)綰を封じて建陵侯と為し、江都の丞相嘉を建平侯と為し、隴西の太守渾邪を平曲侯と為し、趙の丞相嘉を江陵侯と為し、故の将軍布を鄃侯と為す。
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説苑・雜言孔子曰く、「船は水に非ざれば行く可からず、水船中に入れば、則ち其れ没す。故に曰く、君子は厳ならざる可からざるなり、小人は閉ざさざる可からざるなり」と。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事当時の治めは余りに人の押へ扣へ特の外に過きたり、唯々子供の守をする如く下たる人をあてかひて悪事をさせぬやうなし、ことの方をは一々に差図をして何事も上へ伺ひて勤むる故、智恵を出たすことは入らぬなり、唯々子供を使ふ如く下を使ふこと是上たる人の智恵にて済むことを覚ゆる、斯の如き世界なる故人々己れか才智を出さす、左れは才智ある人も才智をは出たさす、才智なき人は才智の付くへきやうなし、人の撰みは只立廻り利口にて、上の気に逆からぬやうに物云ひよく、何事も念の入て上へ伺ふ人を何役をも仕落なく勤むへき人々と思ふ、斯の如くなれは下たる人は何事も上へもたれ居て、身を踏み込むことは曽て之なき筈のことなり、
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『韓非子』愛臣第四此れ明君の其の邪を禁ずる所以なり。是の故に四従を得ず、奇兵を載せず。伝に非ず遽に非ずして、奇兵革を載すれば、罪死して赦さず。此れ明君の不虞に備ふる所以の者なり。
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『新論』國體中故に朝廷衰ふと雖も、天下乱ると雖も、天下の勢猶未だ其の強為るを失はず。是を以て能く胡元の賊船を却け、朝鮮の国都を抜き、兵威の海外に震ふこと、猶尚ほ此の如きなり。豊臣氏天下の太だ強きを患へ、有土の君を挙げて尽く之を大阪に処き、或いは之を土木に役し、或いは之を戦伐に用ゐ、之をして一日も強を其の国に養ふを得ざらしむ。東照宮の興るや、其の務めも亦本を強くして末を弱くするに在り。武士をして各々都城に聚処せしめ、之をして一日も強を其の邑に養ふを得ざらしめ、庶民をして耳に金鼓を聞かず目に干戈を見ざらしむ。是に於てか兵寡く民愚にして、天下始めて弱く、而して一時の人豪、息を屏めて命を聴く。英算偉略の独り天下を運らす所以の者、其の効速やかなりと謂ふべし。